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古代エジプト展で思い出す、わたしの直感ストーリー

先日、兵庫県立美術館で開催されている古代エジプト展に行きました。
ライデン国立古代博物館所蔵 古代エジプト展|公式サイト (leidenegypt.jp)

古代エジプト展には、ある思い出があります。

ぐるっと過去に遡ったお話しです。
……あ、エジプト展の内容については、ほぼ出てきませんのでご注意を。

子どものころの私は、昔話が好きでした。
寝る前に、よく父が読み聞かせをしてくれていたからかもしれません。
小学校の3、4年生の頃は偉人の伝記に凝って、ものすごく読んだ。
ナイチンゲール、ヘレンケラー、野口英世、キューリー夫人、エジソンとかとか。よくあるやつ。

あるとき、近所のハイソで上品なお姉さまからモーツァルトの伝記をいただいた。幼い頃から天才的な音感で周囲を驚かせるなど、いろんなエピソードにすっごく感心しちゃって、おバカな私は、大きくなったら音楽家になる!と作文に書いた。音符はおろか、音階もたどれない私が…。当然、絶対音感なんて皆無だ。

そしてキリストの伝記でブームは終わりを迎えた。まったく興味がそそられず、読みかけで終わる人生最初の本だった。
その後、あっさりモーツァルトも忘れられた存在となる。

5、6年生になると歴史に興味を持つ。
当時の我が家は、毎週日曜の晩はNHKの大河ドラマ。定番でした。
今と違ってテレビは一家に一台。娯楽はテレビの時代。当然家族はみんなでテレビを見る。そのチャンネル権は父。必然的に、私は源頼朝やら織田、豊臣、徳川の名前に馴染んでいくわけです。
勉強しない子が歴史であれば進んで予習。教室でその成果を恥ずかしげもなく発表したりしてた。おバカな私は、「恥ずかしさ」というものを知るのがちょっと遅かったのだと思います。
ちなみに、今年の大河は久しぶりの源さんですな。ゲンさんじゃないですよ、ミナモトさんね。別に親しくないし直接お会いしたことも、当然ない。

中学1年生に上がり、千葉県佐倉市にある国立歴史民俗博物館へ両親と一緒に行った時は大喜びした。縄文、弥生の土器とか見てワクワクしてた。

そんな当時、池袋にあったセゾン美術館で古代エジプト展が開催された。母親と連れ立って見に行った。紀元前というはるか昔、その時代の空気が私をワクワクさせた。……のだが、それよりも印象深く、今でもはっきり覚えているのはそのエジプト展ではない。

美術館の出口を出たところにあったグッズ売り場。どこの美術館でもよくあるじゃない? その一角に並べられた3つの机。女性、おじさん、女性の3人が並んで座って、こちらを見ていた。
とことことこと母子二人はその机に吸い寄せられる。どうやら占いブース。占い好きの母は、興味深々だ。

女子って星占いとか好きじゃない? 雑誌の後ろによく星占いとか載ってるし。小学校の同級生たちと「何座だからホニャララ・・」とか喋った記憶もある。

母は私を促して占ってもうらことにした。たしか、星座占いの女性、タロット占いのおじさん、もう一人は何占いだったか覚えていない。その頃の私はタロット占いとかまったく知らない。そして、知らないからこその、真ん中のおじさんに決定。ベレー帽的な帽子をかぶった、いかにも占い師!という風情の人だった。
雑誌とかで占い記事を読むことがあっても、実際に私個人を占ってもらうのは初めて。ワクワクしていた。

カードを自分で切って、3つの島に並べたと思う。
おじさんが言ったことは、以下の事。
・あなたは海外という星を持っている。英語は絶対に勉強したほうがいい。
・20歳前後であなたにとって人生に関わる大きな出来事が起きる。
・死神カードが上下逆さで出ているので、その大きな出来事を跳ね返すエネルギーがある。だから大丈夫。

なんで覚えているか?
言われた瞬間、私に思ったことがあったからだ。

「あっ、お父さんは亡くなるんだ。」

まったく不気味な感じもなく、瞬時に浮かんでいた。
もちろん、おじさんはそんな事はひとことも言わなかったので、私のなかに勝手に浮かんできたものだ。
おじさんとの話の最後は、一生懸命英語を勉強することを約束して終わった。

英語は好きだったので、中学時代の英語の成績はよかった。歴史も成績がよかった。だけど、数学、理科、社会がどうにもよろしくなくて、高校受験では苦労した。

高校時代は色でいうとグレー。まったく勉強しなかったので常にクラスのブービー賞だった。ザ・グレー時代。同じグレーでも、GLAYのTERUとか並みのイカした男子がいたら一気にバラ色になったかもしれん。
そんな私が大学受験とか、本来は考えられなかった。
そこそこみんな進学するなか、何をしたいのかなんにも分からなくて、ぽや~んとしてた高校3年生。おじさんと約束した英語も落ちこぼれていた。単語を覚えるのが怠いし、文法も分からなくなっていた。
なのに私は突然四大を志望してしまう。……じぶんでも意味不明だった。
というわけで、サクッと浪人決定。
浪人中は予備校へ通って、そこそこ勉強したけど、やっぱりそこそこ。いやマジやばかった。

そしたら10月に突然1週間入院した。
腎臓結石。10代の女の子がする病気じゃない。……じつはおっさんだったのか? お医者さんの話では、手術の必要がない小さな石だったので、尿管を広げる薬を飲み、尿と一緒に流そうということになった。
毎日トイレへ行くたびに、出たか?出たか?と覗いていたよ。
ところが、この石がちょっと厄介だった。尿管で詰まってしまい、尿が腎臓へ逆流してしまったのだ。10月の時とはまるで違う痛みで、怖かった。12月に再入院。12月29日に退院。受験生にとって大事な12月。勉強一切できず。

母親が「あのタロットのおじさんが言ってたこと当たったね。これが大変なことだったんだよ。」と言っていた。
母親もあのおじさんのこと覚えていたんだな。

だけど私は「違うなぁ~これは…。」と思っていた。

受験の結果、一校から合格通知をもらった。受かった学部は経済学部。結局、そんなにやりたくない勉強を4年するのは勿体ないと思って、面白い紆余曲折もあって専門学校の英語科へ入学した。
キリストの伝記に興味を持てなかった私が、クリスチャンの専門学校へ行くことに。

専門学校の入学式、私は珍しく父を誘おうと思った。思春期といいますか、お年頃の女子はお父さんとの距離感が微妙だったりする。でも、私は父親とよく話をしたほうだったと思う。父は一流大学の入学式なら行ったかもしれないけど、女子専門学校に興味なかったのか、行くとは言わなかった。

通ってみると、専門学校は非常に私に合っていて楽しかった。英語の勉強も楽しかった。

そして、私が専門学校に入学した年の10月、父はがんの宣告を受けた。

「あ~これだ!」
……と、私は納得した。

当時は今と違って、「がんの告知」は一般的ではありませんでした。当然父には知らされず、家族だけに告げられました。
父自身も「がんの告知とかされたらお父さんは耐えられないから、もしがんになったとしても言わないで。」と元気な頃に言っていたので、希望の通りではあったんですが。

余命半年と言われたけれど、結局、告知されてから3ヶ月後に逝ってしまいました。

直感というか、勘が当たるというのかな?まさしくでした。
小さい頃はたびたび直感というのか、勘が当たることはあったのだけど、あのタロット占いのときほど明確にビンゴした覚えはない。

エジプト展というと、父親の死を直感した一連のことをつい思い出してしまう。



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