バベる 弓削 空

ついにやって来た。BABEL診断の日。人生に一度だけの朝は生憎の雨模様だ。俺が起きるまで降っていたのだろう。二階の窓から見ると地面が濡れていた。
「さてと」
BABEL診断とはどんなモノなんだろうか。痛くはないらしいが。具体的にバベられたらどうなってしまうのだろうか?当事者に話は聞く事が出来ないから全容は知り得ないが。俺は素早くベッドから起きて身支度を整えた。制服を着替える為に開けたクローゼットの元彼女が気にはなるが今は儀式の時間じゃない。
「おーい。少年ー起きなさいよー?」
下の階から母親の声が聞こえた。
「はいはいー」
下の階に届くか届かないかの声で返事を返して下の階に向かった。
朝食は肉の様だ。リビングに入らなくても焼けた肉の匂いがした。
リビングのドアを開けると母親がパタパタとキッチンので躍動していた。母親は料理が上手いのだ。
「おはよー今日BABELの日でしょ?早めに用意して早めに行ってちゃちゃっと終わらせて来なね」
現在時刻6:37分。BABEL診断の日は受診する人間は学校が休校になる。受診が終わったら学校に連絡を入れて無事終わった事を報告する。受診が終わればその日は1日休みになる。
「診断って何時から受けられるんだっけ?」
俺はソファーを目指しながら母親に聞いた。
鍋をかき混ぜながら母親が答えた。
「7時からだよ。多分。テレビ見てみたら?今日は1日BABEL診断の事ニュースでしてるはずだから」
言われるがままにテレビの電源を入れた。
「今年のBABEL診断の日がやってきましたね。17歳の方達の未来の、我々の未来の為にですね。えー。是非、しっかり診断を受けて…」
チャンネルを変えてみる。
「私も前受けたんですけどホントに受けて良かったってゆーか。周りの皆にも絶対受けて欲…」
チャンネルを変えてみる。
「各地でBABEL診断に対する大規模なデモ活動が行われています。市町村の受診会場での座り込みや時には大声での…」
テレビを切った。
「毎年の事なのに何でこんな大騒ぎしてんだろうね。毎年聞いてる気もするけど」
少し間を開けて母親がどことなくバツが悪そうな声色で答えた。
「デモに参加してるのは大体が今年BABEL診断を受ける子供の親なんだよ。うーん。あたしも参加したい気持ちは充分分かるよ。でも国って一度始めてしまった事を撤回します!ってのはなかなかしてくれないからね。」
食器と食器が当たるカチャカチャという音に混じりながら続けた。
「あたしだって心配だよ。でもあたしはあんたを。空を信じてるし。バカだけどしっかり育てて来たつもりだから。悪い事は悪い。良い事は良いって区別つくくらいにはね?」
ふーん。と返す俺の胸はチクチクと痛んでいた。俺を愛して育ててくれているのは自分で言うのも変だがよく分かっていた。いきなりリビングのドアがバン!!っと開いて警察がなだれ込んで来て確保される。みたいな想像をした事だって何度もある。取り押さえられる俺。きっと大して抵抗もしないのだろう。狼狽える母親。なんなんですか?と聞いて警察からの返答に愕然として表情を失って泣き崩れる様子。否定もせず取り押さえられる俺をどうしていいのか分からず見る母親の視線。
そんなのは想像してきた。でも仕方ないんだ。他人はどうか知らないが俺はそういう形に産まれて来たらしい。先天的にか後天的にかは知らない。でも現在の俺は普通の仮面を普通にしっかり被れて平気で人を傷つけられて戦利品の様に切り取った手と踊り狂える。なんて言うんだ?狂人?変態?サイコ野郎?違う。それは他人がそういう奴を蔑みたい、区別したいから名付けた言葉に過ぎない。そういう形の俺だから分かる。これは「個」なんだ。それも含めて個性なんだ。この世界にこの形で存在が許されてる以上は間違いなく存在していい形なんだ。でも受け入れられない人が大半を占めているに過ぎないんだ。でもこのチクチク痛む胸はきっと恩や情という鎖が俺を縛り付けているからだ。いっそ母親も殺そうかと思った事もある。でもそれは不思議とはばかられた。結局出来ずにいるが。
「どうしたの?ボーっとして。思春期小太郎君?」
「あーうん。別に。朝ご飯食べようかな」
少々センチメンタルになってしまった。いつもの「個」の俺に戻らなくちゃ。
テーブルに目を移すと誰かお誕生日の方ー?と言いたくなる位の朝ご飯らしくないメニューが並んでいた。
ステーキ。俺の好きなワサビ醤油が添えてある。
寿司。俺の好きなサーモンの比率が多い。
チャーハン。言わずもがな好き。
味噌汁。なめこと豆腐の。
ピーマンの肉詰め。嫌いな奴いないだろ。
野菜炒め。豚肉とピーマンの。塩コショウ味。
鮭のムニエル。名前の分からないパセリみたいなの添え。
チーズタルト。ケーキじゃなくタルト。
「ところでどしたのこれ?」
当たり前の質問だと思う。母親も当たり前に返した。
「BABEL診断受ける子供のいる家は多分どこもこうだよ。メニューは違うだろうけど好きなモノを食べさせるの。さぁ。好きなモノを好きなだけ食べて。ちゃちゃっと診断受けて来ちゃって」
なるほど。万一バベられた時のためにって事か。
「いただきます」
「いただきまーす」
至って普通の食事。特別なメニューなだけ。母親には何か思うトコロがある様でしみじみ昔話なんてしながら箸をすすめる。産まれた時に胎児仮死だった事。全く寝ない子供で寝かせたと思っても10分おきくらいに夜泣きで起きて寝不足だった事。5つの時に遊具から落ちて頭を打った事。幼稚園で初めてバレンタインチョコをもらった事。お返しにチョコじゃなく何故かちりめんを渡した事。小学校で好きな子が出来た事。学年が変わる度に好きな子が変わった事。中学で初めてケンカをした事。ケンカ慣れしてないせいで相手に重症を負わせた事。受験の時に科目による点数のバラつきが酷かった事。ナドナド。
よくもまぁそんなに昔の事を覚えているものだ。俺には出来そうにない。
「なにはともあれ。空が元気でいてくれるのが一番って事。ちなみに気付いてる?もう9時4分前だという事に」
「えっ?」
時計に目をやると確かに8時56分。蔵木が家に迎えに来る4分前って事を示していた。
「普通もっと早く言わない?」
俺はバタバタと机を後にした。
「自分で気付く大人になって欲しいって親心ー」
母親の声が遠くに聞こえる。

ピンポーン
家の呼び鈴の音だ。時計を見ると8時59分。今9時になった。
全ては俺のこの直毛のおかげだ。これのおかげで髪の毛のセットという身だしなみを免除されている。直毛バンザイ。
「空ー。蔵木君ー。ごめんねーもう来るからね」
いや。あなたのせいだから。と思ったがすぐ玄関に向かう。蔵木は玄関に入って土間のトコロで立っていた。
「一瞬待って」
そう蔵木に告げると慌ただしく二階にあがる。ドアを開け、クローゼットへ。禁断のクローゼットの中。さらに禁断のスニーカーの箱を取り出した。
臭いが気になりだしたあたりからいつかはと思っていたが思い立った時が手の切り時だ。今日だ。俺は元彼女と手を切る。文字通りじゃなく。元彼女を捨てる。いつ見ても美しいよ。大好きだよ。その手に唇をつけて手早く、しかし優しく入れた。
ヤバい。心に決めていたハズなのにいざその時になると未練が。圧倒的に未練が。寂しい。大好きだからこうしたのに結局捨てなければならないとは。
さっきのまでの勢いとは違い少しトボトボ階段を降りる。
「どした?さっきまでの勢いは」
あぁ。蔵木。仰る通りだよ。どこに行ったんだろうな。
「ん?何が?とりあえず行こうぜ」
「あー待って待ってー」
母親が玄関に来た。珍しい。いつもはリビングで声だけのいってらっしゃーいなのに。

おもむろに両手を広げて来た。
「ハグだ。空」

なぜ?困って蔵木を見ると黙ってうなづいて玄関から外に出ていった。
仕方なく元彼女の入った鞄を母親から遠い壁にもたれかけさせる様に置いた。そしてするりと母親の広げた腕に身を預けた。思いの外悪い気はしなかった。いつ以来だろう。母親に抱かれるのは。強く。でも優しく母親は俺を抱きしめてくれた。そしてこう呟いた。
「気をつけて。いってらっしゃい。待ってるよ」


蔵木と会場に向かって歩いていると蔵木が口を開いた。
「うちも珍しくあぁされた。俺のかあちゃんはお前んちとは違うけどさ」
蔵木の家は複雑なのだ。まぁアレだ。要は虐待を蔵木にしているらしい。
「どうだった?」
俺は不躾で味気ない質問を返した。
「まぁ。悪くなかった。うん。悪くは」
珍しくシリアスな返答をしてしまったのにバツが悪かったのか重ねてきた。
「チョコミントくらいには悪くなかった」
「どういう意味だよ」
「アイスのチョコミントって意味分からないんだよな。甘いの食べたいのにミントって。アレ歯磨きの味だぞ?」
「女の子とか好きな子いるだろ」
「しかし歯磨きの味にチョコミントが無いんだから歯磨き界からは干されたみんと達が行き場を求めた結果アイス界に行き着いたんだろうな」
「女の子とか好きな子いるだろ」
不毛。間違いなく不毛。だが俺は楽しい。だが鞄の中の元彼女とお別れする場所を思案していた。出来たら魚や鳥についばんでもらう為に川が好ましいが蔵木がいるのにそうもいかない。でも公衆トイレのゴミ箱に捨てるのも大好きな彼女に最後にする仕打ちとしては適当で無い気がした。それに公衆トイレのゴミ箱なんていつ回収してるのかよく分からないし臭いでバレたりしそうなもんだ。でも間もなくBABEL診断の会場の区役所に着いてしまう。なんとなく会場につく前にお別れした方が良い気がする。もう会場の近くのコンビニのゴミ箱しかないと思った。蔵木に尋ねる。
「コンビニのポリ袋とか持ってない?」
「急だな。あるよ」
「それくれない?」
「良いよ」
あら。あっさり。蔵木は自分の鞄から見事なコンビニの袋を取り出して俺に渡して来た。ギリギリ間に合った。コンビニまでもう10歩ってトコだった。袋を受け取り蔵木に言う。
「コンビニ寄って良いか?」
「おう!構わないぞ。俺は用が無いから外で待ってるわ」
なんておあつらえ向き。ありがとう友達よ。
「オッケー。じゃあちゃちゃっと買って来るわ。」
俺はコンビニに足早に入りトイレに入った。もらった袋に元彼女と家から持ってきたTシャツを入れる。手早く袋の口を縛りトイレからゴミ箱へ。寂しい。名残惜しい。でも仕方がない。さようなら。ありがとう。大好きだよ。

「お待たせ」
「おう。もう後2分らしい。地図アプリさんのお告げだと」
待ってる間暇を持て余したらしく教えてくれた。
「じゃあ2分歩こうぜ」
俺達は歩き始めた。
「いよいよ来たなぁ。BABEL診断。俺ちょっとドキドキするな」
蔵木が言う。
「確かにな。初めてだし。しかも一回だけだしな」
「ホントにな。それはそうと今日の帰り時間ある?地元に愛されるあの名店行こうぜ」
最近出来たチェーンのラーメン屋だ。蔵木はそう呼んでいた。
「生憎だが今日はそんなに持ち合わせがないぞ?」
「任せろ。珍しく、とても珍しくかあちゃんが帰りに好きなモノ食べて来いって軍資金をくれたから。まぁまた男を引っ張り込むからだろうけど」
「なら行く」
後半部分には触れず答えた。生きていたら大なり小なり皆何かあるものだ。
「そういや聞きたかったんだけどさ。」
蔵木がかしこまって聞いてきた。
「なに?」
「お前。元カノちゃんさ。まさかさ」
蔵木の言葉と被さる様に声が聞こえた。
「BABEL診断こちらです!受けられる方は学生証と診察表を提示して下さい!」
スピーカーを通したくぐもった声が耳に届いた。
「あっ。ついたみたいだ。流石アプリ様。ドンピシャ2分」
蔵木はどことなくホッとした様に言葉を紡いだ。
「2分かは俺には分からないけど近かったな」
区役所の入り口には
「第◯◯回BABEL診断会場」
と立て看板があった。入り口を入るとまばらに学生服を着た人間、私服の人間がいる。手に紙を持っている人間は受診者。スーツはスタッフ。分かりやすい。選挙の会場の様な雰囲気。
「受診者の方はこちらにお願いしまーす。学生証の提示もお願いしまーす」
女性の元気な声がする。長机がいくつか横並びになっていて机の前側に
受付
と味気なく書かれている。
受付の女性が話かけてきた。
「受診者の方ですか?学生証と受診証を見せて下さい」
言われるまま学生証と受診証を差し出した。女性は受診証の上に付いているバーコードを機械で読み取りパソコンと学生証と俺の顔を行ったりきたりさせた。女性はにこやかな声で話しかけて来た。
「弓削 空さん。ですね。記載のご住所でお間違えないですか?」
「はい。間違いないです」
クラスにいたら確実に誰かが好きになっているタイプの女性だ。
「このご住所にご両親はお住まいですか?」
「はい。住んでいます」
「ありがとうございます。それではこちらの受診証をお持ちになって会場にお進み下さい。トイレは会場の中にもございますので」
「はい。わかりました」
受付が終わると蔵木が隣の受付から走ってやって来た。
「弓削。落ち着いて聞いてくれ。受付のお姉さんがカワイイ。」
ほら。誰かが好きになるタイプだったろ?
「確かに。可愛かったな」
「だろ。俺は思った。クラスにいたら間違いなく誰かが好きになっているタイプだと」
蔵木よ。それはさっき俺が総評したぞ。
受付から真っ直ぐ歩く。いつもの区役所がいつもとは全く違って見える。この区役所は入口を入ると大きく吹き抜けになっている。その吹き抜けの部分。自動ドア越しでも分かる簡易のカーテンの様なモノがある。BABELはその向こうらしい。蔵木と自動ドアをくぐる。受付の女性とは打って変わって無愛想な男性のスタッフだ。
「こちらで受診証を拝見します」
言われるまま受診証を渡した。隣の列では蔵が同じ事をされているらしい。蔵木の方が先に列に並んだ。
「ではこちらの列に並んでお待ち下さい」
無造作かつ無愛想に促され近くの列に並んだ。おれの前には3人いた。蔵木の前には2人。向こうの方が先に終わるなと思っていたらこちらは2人。向こうは1人になった。カーテンの向こうから普通に制服の学生が出てきた。
あっ。蔵木の番だ。こちらに向かって親指を立てて来た。余裕だな。こちらも次が俺の番だ。いささか緊張してきた。カーテンの向こうからは特別音も聞こえない。蔵木が出てきた。先程と同じ様に親指を立てて来た。作り笑いの最上級の笑顔を添えてきた。前の学生が出てきた。俺の番だ。カーテンを開けて中に入った。

カーテンの向こうは眼科やメガネ屋にある様な視力を測る機械の様なモノがあった。眼科と違うのはその機械にヘッドホンの様な物が付いている事くらいか。技師なのかスーツの上から白衣を着た男が3人いる。
「こちらへどうぞ」
白衣の1人が声をかけて手を出してきた。握手じゃない。受診証を出せよと。男の手に受診証を渡した。
「椅子にかけてヘッドホンをつけて機械の中を覗いて下さい。絵や動画が流れますが特に何をして頂く事もありませんので」
「分かりました」
そう言うと俺は席についた。言われた通りヘッドホンを付け機械を覗いた。
音も無く画像が流れ初めた。
ケーキの画像。イチゴが乗っている。上からレンガが落ちて来てケーキが潰れた。
西部劇の様な服装の男が2人。話している様だ。急に殴り合いを初めた。
何だか額の辺りが熱いな。
戦車の画像。進んでいく道の先に女の人が立っている。もちろん踏まれた。
額が熱い。熱い。何だこれ。
包丁の画像。先に血ガついちりろ。
魚のガ像。ひらかれと原形をとどもとかなあ
あれ。思考がまとまらない。言葉が思考がまとまらない。俺の名前はらげ!ふさ
ガ像なんて見ていられない。全く思考が回らない。言葉も上手く出て来ない。助けを求める時はなんて言うんだったっけ。あれ。ダメだ。忘れちゃイケナイ事は忘れたく無い。母親の事。蔵木。トモダチの事。あれ?彼女の名前なんだった?これだけは忘れたらダめなんだヨ。コレだけはダ目なんだよ。
雪菜
そう。ユキナだよ。ユキナ雪菜だよ。ユキナユキナユキナユキナユキナユキナユキナユキナ雪菜雪菜ユキナ雪菜ユキナ雪菜ユキナユキナユキナユウナユキナ雪菜


俺はバベられたらしい



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