バベる 弓削 空の場合 ③

「さてと」
美味しいラーメンを堪能して家に帰って来た。車のライトが家の表札をわずかに照らし出した。あらかじめ出しておいた鍵を慣れた手つきで鍵穴に滑り込ませた。当たり前だけど俺は帰って来たら先ず靴を脱ぐ。靴を脱いで最初に向かうは洗面所だ。そう。もちろん手を洗う為だ。洗面台の鏡に映る自分をなんとなく見る。自分が好きなワケじゃあないけど。皆そうだろう。うん。しっかり疲れた顔をしてやがる。彼女とお別れしてから年の割に疲れてるんじゃないか?
呪われたりしてるんじゃないだろうな。まさかな。
ひとしきりお疲れチェックも済んだトコロでようやく奥のリビングから母親が話かけてきた。
「おかえりー」
「ただいま。その様子だとまたお惣菜?」
母親は仕事の制服のままソファーに横になって手の代わりに足を高くあげてヒラヒラさせて息子のお出迎えをしている。
「仕方ないでしょー今帰って来たんだからーしかも!お惣菜高いんだから!むしろパーティー気分でアゲてきなさいよ。コロッケだけにアゲてきなさいよ!」
今年で43歳になる母親だがこういうトコロはカワイイと思う。まぁ朝から晩まで働いて偉いとは思う。自分が43歳の時に同じ事が出来るのかいささか不安でもある。
「アガってるトコ悪いんだけどさ。蔵木とラーメン食べて来たよ」
「えっ。あっ。そう。まぁ高校生くらいにもなればラーメンくらい食べるよね。コロッケだけに」
「ソレ言いたいだけでしょ。まぁ夜食にでも頂くよ」
母親はバッとソファーから起き上がってこちらを見てきた。俺とは違った色の疲れが見て取れる。
「良い心がけだね。その心がけに免じてビールとって来て。ついでに惣菜のコロッケもとって来て。そのついでにソースと小皿とって来て」
母親は俺を見ながら指先をビール、コロッケ、ソース、小皿のある方に向けた。
「はいはい。お箸はご入用ですか?」
「しまった。あたしとしたことが。お箸を忘れるなんて。お箸もお願いーおばさんにお箸下さいー」
母親の言葉を背中に受けながら一番近かったソースのある冷蔵庫を目指した。
「そういや親父は?」
くるぞくるぞ。
「分かってるでしょー今日火曜だよ?帰って来ないよ」
ほら来た。火曜の朝仕事に出て水曜の夜に帰って来る。物心ついてからずっとそうだ。もう慣れた。小さい時はお父さんはお仕事頑張ってるんだって本気で思ってた。母親もそう言っていたし。でも流石に中学にあがる頃には何となく気付くじゃないか。この2年間は金曜の朝出て土曜の夜帰って来るシフトも加わった。まぁきっとそういう事なんだろう。母親はよく耐えていると思う。2人の中である程度の話し合いがついているのかもしれないがそれを俺に提示してくる事はまだ無い。
「そんな事は良いから店員さん?まだ注文の商品来ないんだけどー?」
「はい。ただいま」
最後のご注文の箸をおぼんに乗せてソファーまで運んだ。
「ありがとー!空くん!いや!空さん!自室でゆっくりくつろいでくれたまえ!」
「あんま飲みすぎない様にね」
言うのが先かプシッという音が背中で聞こえた。 
「お惣菜まだあるからいつでも食べなね」
「ありがと」
母親の優しさを背中に感じながらリビングを後にした。
俺の部屋は二階にある。階段を登って真正面の部屋。ドアを開けると真っ暗なお別れした彼女との笑顔の写真がお出迎えしてくれる。未練があるワケじゃない。いや。ホントに。ソレがそこにあるのが当たり前で剥がしたら違和感があったから貼り直しただけだ。いや。ホントに。電気をつけるとガランとした部屋が露わになる。いつもの位置に鞄を放り投げ今朝も着ていた部屋着に袖を通す。やっぱり自分の部屋、自分の服っていうのは落ち着く。
「さてと」
ここからは最近お家ルーティーンに加わった儀式の時間だ。これは誰にも邪魔されたくない。誰にも知られたくない。クローゼットの前に立った。クローゼットに手をかけた時だった。
「おーい。空ー?ちょっと来てー」
だからお母さん。この時間は誰にも邪魔されたくないんだってば。
「どしたのー?」
「ちょっと話したい事があるー」
仕方ない。儀式はお話の後に。俺は部屋を出てさも面倒くさいなぁという気持ちを足音に込めて一階に向かった。リビングでは母親がソファーからダイニングテーブルに移動していた。ビール、コロッケの大移動も済んでいる様だ。
「どしたの?」
「いやさ。次の金曜アレでしょ。BABEL診断の日でしょ?毎年何人かはバベられたりするから。万一にも空は大丈夫と思うけどゆっくり話したくてね」
「そういう事ね。じゃあ俺も惣菜パーティーに参加するかな」
俺は立ち上がりキッチンに向かう。さっきは気付かなかったが惣菜の入った袋が2つあった。コロッケの入った袋。ゲソのフライ、唐揚げ、チャーハンの入った袋。うん。気付いてるよ。俺の好きなモノ買ってくれてたんだね。全ての商品に割引のシールが貼ってあるのは母親が遅くまで働いた証拠ってトコかな。俺は袋2つをダイニングテーブルに置いた。
「おっ。来たね。食べようか」
「ありがと。いただきます」
母親は二本目のビールを口に含んで嬉しそうにまだ手をつけていなかった自分のコロッケを半分に割った。
俺も惣菜を袋から取り出して机に広げた。
「ソース取ってくれる?」
母親に頼むと自分の小皿を差し出して来た。そういうワケじゃないよと思ったが使わせてもらおう。コロッケを小皿に移してソースをかけた。衣がシナシナになったコロッケにかじりつく。うん。スーパーの惣菜のコロッケだ。不思議と懐かしい様なチープな味わいが食欲をそそる。なかなか具が詰まっていてしっかり食べ応えがある。これはゲソのフライも期待が持てそうだ。入れ物からフライを取り出してかじりつく。うん。そうだよ。これだよ。スーパーの油っぽいシナシナのゲソのフライだよ。こういうのは食事の後でも不思議と身体の中に納まっていった。
「それにしても空も17歳かー早いね」
母親はコロッケを口に運んだ。
「あんた大雨の日に生まれてさ。何でこんな青空も見えない日にー!!ってあたし悔しくてさ。だからこの子はいつも青空みたいに澄んでいて欲しいって空って名前にしたんだよ」
「どうしたの?急だね。しかも青空って名前じゃなかったんだ」
母親が急にそんな事を言い出して驚いたが俺の切り返しも当然だろう。
「青空でそらって読ませる案もあったんだけど学校であおぞらくんって呼ばれるの確定だから辞めたの。ちゃんと読めて意味がある名前にしたくてさ」
「からって読まれる可能性は考えてなかったの?」
実際呼ばれた事はないけど。
「しまった!盲点!」
母親は少し照れた様に笑って見せた。
3日後にはBABEL診断がある。バベられる可能性もゼロじゃない。俺は親になった事がないから分からないがきっとこれが親心なんだろう。俺の好きな食べ物を買って来てくれたり会話の場を作ってくれたり。父親はどうか分からないけど間違いなく俺はこの人に愛されてる。母親は俺を愛していてくれている。嬉しい気持ちと同時に少し申し訳なくも感じた。どこの何の秤か分からないけれどきっと俺は親不孝だ。基準は分からないが俺はきっと親不孝だ。
「バベル診断受けるからってそんな気を使わないでよ」
母親は焦った様な口調で言った。
「何言ってんのよ!そういうんじゃないし!親子水入らずをしたかっただけだし!」
大丈夫。伝わってます。親不孝かもしれないしバカな息子かも知らないけど俺は母親を愛しているらしい。
食事も終わり母親はソファーという所定の位置に戻った。お掃除ロボットが充電するために戻って行く様に所定の位置に。
「さてと」
母親との楽しい時間を過ごせた。ありがたい。でもさっき中断された儀式を忘れていた訳では無い。再び二階の自室。その部屋のクローゼットの扉に手をかけゆっくり引く。静かな音をたててクローゼットは開いた。俺はスニーカーの空箱が4つ積み重なっている下から2番目の箱を取り出した。ふと思い出す。お別れしてしまった彼女と付き合い始めた時にした会話を。手を繋いで歩く時相手の右に立ちたいか左に立ちたいか。そんな普通の会話を。俺は左手で手を繋ぐ方が良いと言った。彼女も左手で繋ぐのが良いと言った。結局レディーファーストと言う理屈で俺が折れた。彼女の左手を右手で繋ぐ事になった。お別れするまで慣れる事は無かったけれど。
儀式の時間だ。母親は寝ていて家には俺1人。邪魔はもうされないだろう。
俺はスニーカーの箱を開ける。中のモノを優しく優しく手に取る。乱暴にしたらダメだ。乱暴にしたら親不孝に拍車がかかってしまうだろう。

はぁ。会いたかったよ。ホントに。お待たせ。どこに行こうか。

取り出したモノを優しく包む様に左手で握った

「お別れ」した彼女の右手を




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