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三木卓「K」、あるいは妻の呼び方



 自分の配偶者をどう呼ぶかは、多様でまた時代によりめざましく変化する。この頃は夫から妻を呼ぶときは「嫁」反対に妻が夫を呼ぶときは「旦那」が流行っている。これはすばらしい速さと広さで使われるようになった。ヨメというのはかつては舅や姑が自分の息子の妻を呼ぶときに用いた。「ウチの嫁は云々」と。これは元来は威張った言い方であり、自分の一族の所有物であることを世間に宣言している風がある。ところが、ヨメと言う呼称を、今頃はしばしば収入の安定しない若者が使っている。

 それに呼応するように「旦那」も流行はじめ、すっかり定着している。「お宅の旦那様が、、、」といえば、元は丁寧な言い方だったし、旦那衆といえば重厚なイメージがわく。今はそうではなく「ウチの旦那ってさあ」とか「お宅の旦那はアレだよねえ〜」というふうに「様抜き」でざっくばらんに使う。若いママたちは、ちょっとひ弱に見えるようなパパにもよく使っている。もしや「頼りないパパ」へのプレゼントなのかとも思う。

 さて話はかわるが、かつて付き合っていた男性が何かの拍子で妻を呼ぶ、それも自分の目前で呼ぶ、あるいは手紙の中で指すというような場面に出会う羽目になった時、男が妻を何と呼んだら一番ガツンと来るだろうか。それは「女房」ではなかろうか、とわたしは思う。「ニョーボー」という骨太のひびきには、昨今の「ヨメ」におけるような「弱者の虚勢」がない。その女性の存在感、そして男の側のその女性に対する紐帯感が太いロープのように(まんまの例えで申し訳ない)輝いている。

 なぜこんなことを書くかというと、実はエッセイスト伊藤礼も次のような題名の文で同じような感じを「女房」に持っている事を知ったからだ。以下、「善福寺公園から」というタイトルの某ブログからの孫引きである。


「ニョーボー」と題するエッセイがおもしろかった。

伊藤氏は教師なので、教室で出席をとるが、名前を呼ぶとき、男なら「クン」、女なら「サン」をつけて呼んでいた。中には性別判定不能の名前もあるので、学期のはじめに本人に確認し、男ならm、女ならfという印を名前の頭につける。
ある年の4年生に「小川正美」という学生がいて、男だったのでmという印をつけた。

学生たちは、最初のうちは出席するがやがて出てこなくなり、学年末試験が迫ってくるとまたやってくるようになる。
ある日の授業で、「小川正美クン」と呼んだら女性の返事がかえってきた。小川クンは、今まで男かと思っていたら女の人だったのか、mと印をつけたのは間違いだったのかと思って、「小川サンはどの人ですか?」と教室を眺め回すと、うしろのほうで女の学生がはずかしそうに片手で口元をおさえ、もういっぽうの手をちゅうぐらいの高さにあげていた。
「あなたですか。失礼しました」
伊藤先生はそういって、mを消してfという印に書き換えた。

翌週、「小川サン」と呼ぶと、今度は男の声で返事がかえってきた。伊藤先生はびっくりするとともに、男の友だちに代返を頼むとは小川さんもなかなかのものだ、と感心し、そしらぬ顔をして出席の印をつけた。

授業が終わると、さっきの「小川クン」がやってきて「先週は失礼しました」という。
「どういうことでしょうか」と伊藤先生は聞いた。失礼したのがさきほどではなく、なぜ先週なのか。
「じつは先週は女房をよこしました」

すごい、妻帯者だ、と思った。伊藤先生はまだ独身だったので、そうだとすると自分より格が上だと圧倒されたのだ。
「あ、そうですか。奥様でしたか……」
「女房も昨年まではここの学生でしたので……」

何でも小川クンは英語の単位を落として卒業できないまま就職してしまい、勤めていると忙しくてなかなか出てこれない。それでやむをえず先週は女房をよこしてしまった。「会社からは一年遅れでも必ず卒業するようにといわれているので、そのあたりご理解していただきたいのですが」
「ああ、そうだったんですか」
「これからも女房をよこしますからよろしくお願いします」
「それはいいが、学年末試験だけはなるべく自分でくるように」と念を押して、次の週からは晴れて奥さんが出席するようになり、正月が過ぎて学年末試験がはじまった。

いつしか小川クンの一件のことは失念していて、試験のとき、奥さんがきたのか彼自身がきたのか確認しそこなった。
ところが、答案用紙を見ると、小川クンの名前の頭に、消したmと、書き換えたfがついていた。
 以下、本文より。

 私は彼の細君が亭主のために一生懸命ノートをとっていたのを思い浮かべた。そうして、いずれにせよこれは合格点をつけねばなるまいと思った。
しかし、合格点をつけたのはほんとうは彼が「ニョーボーをよこします」と言ったためだ。「ニョーボー」という言い方の気迫のためだ。彼はニョーボーを養わねばならない。したがって、彼をクビにさせてはならないからだ。
人生は気迫だ。それに尽きる。

 ブログはここまでである。

 「女房」はやはり迫力のある呼び方だったのだ。

 さて あまりにも前置きが長くなったが、「妻の呼び方」に関して、わたしが一番同感しているのは次の文だ。

 詩人の三木卓が、死んだ妻について書いた小説「K」。冒頭にこうある。

 Kのことを書く。Kとは、ぼくの死んだ配偶者で、本名を桂子といった。
 彼女が、何かメモのようなものを呉れるとき、メッセージの最後に、しばしば○の中にkというサインがしてあった。そして自らのことを<マルK>と称した。
 「<マルK>は、こう思うんだけど<マルミ>は、どう思う?」
 なんて訊いてくることもあった。<マルミ>とは、ぼくのことで○の中に三ということになるが、これではまるで屋号だ。ちなみに、ぼくが自らを<マルミ>と称することはない。
 この文章を書くにあたって、ぼくは死んだ妻のことを<うちの母ちゃん>とか<女房>と書く気にはならない。たしかに夫婦でありいっしょに暮らしたのだが、つまるところ、ぼくには、この人がよくわからなかった。
 (中略)
 しかし、ぼくには、からだのあたたかい女が、どうしても必要だった。

 いろいろな夫婦があるのだろう。しかし、三木卓がここに書く「逡巡」のようなもの、それがわたしにはいちばんしっくりくる。なぜならわが夫も、他人のまえでわたしを「こいつは」とか「女房が」とか言うことは当然あるのだが、なぜか、一瞬、かすかにためらうのを私は知っている。





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