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不足というギフト

存在状態の本人の認識が外に顕れるんだな、とつくづく思う。妹と話してると、それわたしにはないな!って設定がある。それはだいたい天然(幼少期に自然と身についたものを天然、と個人的に思ってる)の自己肯定感からのものなので、以前は両親のせいにしてたな、と今となってはわかる。
被害者意識。
いまは、わたし自身が自己肯定感を得る体験もしたかったから、両親は娘を否定したつもりはなかったのにわたしは当時自己肯定感を得てしまうと、当初の希望から予定が狂うから頑張ってデザイン通りになるように、受け取らないように受け取らないようにして来たんだろう。
お互いにおつかれさま!!と言いたい気持ち。
まさに演者。
そして、妹は妹で課題をちゃんと持ってて、だからそれぞれの魂が作ってきたデザインはさまざまなんだな。
自由を得たい!!人は最初から自由な環境にいたら、自由が何かもわからないかもしれない。
不自由を感じるからこそ、自由への願いに気づける。
だとすると、不足(ほんとの意味で不足はないのだけど、そう感じてる事柄について)の先にあるのは願いだ。
不足を感じているのだから、満たされることへの抵抗はもちろんある。
けれど、そこを超えていくことも含めてデザインしてきたんだろう。

挑戦は最大の防御
どうやって実現しよう、ではなくて、
どうやって抵抗を取るか考える

上の言葉は、今日聞いてたインスタライブで出会った言葉。
つい忘れちゃうから。
忘れることを忘れるな!(by Happyちゃん)

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