【人生を変えたあの一年❶】

1日8時間の新聞配達に始まる、

地獄のような日々……






どうも皆さん、こんにちは。

イシタです。



最近はコロナ感染者が増加の一途をたどり、

再び日常に暗い影を落としています。


緊急事態宣言が解除され、

ディズニーランド開園などの明るいニュースも

ちらほら増えてきた中でのバッドニュースに、

落胆された方も多いのではないでしょうか。


あの楽しかった日常にはやく戻りたいものです。



さて今回は、イシタの人生において

1番のターニングポイントと言っても過言ではない、

浪人時代のお話をします。



ご存じの方もいらっしゃるとは思いますが、

僕は2016年4月から2017年の3月まで、

日本橋の〝浜町〟という場所にいました。



理由は


新聞奨学生


というものにチャレンジしていたからです。



新聞奨学生とは


“新聞配達をしながら、自身の掲げる夢に向かって邁進する学生”


とでも言いましょうか。


ちょっと異色の浪人生ってとこですね。



当時のイシタは諸事情により、


「浪人生活を送るために、お金を稼ぐ必要があった」んですね。

(それは後で出てきます)



朝2時から始まる新聞配達と受験勉強を並行して行うというのは

肉体的にも、精神的にもツライものがありました。



ただこの1年で得られたものは、


”今の自分の根幹をつくっている”


と言っても過言ではないくらい大切なものです。




今回は皆さんには馴染みのない


「新聞奨学生の1日」


をテーマに


あの1年を振り返りたいと思います。





① 【新聞奨学生になるまで~前編~】


2016年3月、

当時高校3年生のイシタの状況を説明すると


早稲田2学部、青学、日大と計5校を受験。うち、下2つに合格。しかし第一志望であったワセダにはあっけなく不合格。


という結果に終わりました。


敗北の理由はただ1つ。


人生をなめていた


これに尽きると思います。


昔からある程度何でもできました。


勉強にスポーツに常に輪の中心にいました。


それがいつしか、


「俺が本気を出せば何でもできる」


そのような慢心に繋がっていたのだと思います。


振り返るとそれまでの人生、


”努力”と呼べるようなものは一切してきませんでした。


それがこの結果をもたらしたのです。


思えば受験勉強の開始は、周囲より圧倒的に遅い10月。


高校受験もほぼノーベンだったこともあり、


勉強の仕方など何一つわからない、


高3で三単現の”S”を初めて理解した、


そんなレベルでした。


プライドだけは一流なもんだから、


人に教えを乞うこともできない。


そんな中、我流で勉強、受験をし、見事敗北。


当然と言えば、当然のことです。


これまで、努力をしてこなかったツケが一気に降りかかってきた、


そんな感じですね。


「まあ、3か月でマーチなら大したもんだ。


やっぱ俺、天才なんじゃね?」


現実を受け止めきれない18のイシタは


何とか気を紛らわそうと必死でした。


しかし、何かが引っかかる。


このままでいいのだろうか。


確かに10月からは1日12時間くらいは勉強した。


遅いスタートではあったがよくやったほうだと思う。


世間一般的には高学歴の仲間入りだ。


でもこの結果で胸を張って、これからの人生を


歩んでいけるのだろうか。

そう思うのには理由がありました。

それは15歳の時の


“ある後悔”


の経験にまで話は遡ることになります。



② 【新聞奨学生になるまで~中編~】




”習志野”


言わずと知れた、千葉県高校野球の名門校である。


中学生のイシタは”習志野で野球をする”という夢がありました。


中学2年夏、同じ中学の先輩である


松山大志先輩が進学し、1年生ながら4番で甲子園に出場。


チームは全国ベスト8入りを果たした。


「身近だった人が憧れの舞台で躍動している」


15歳のイシタが習志野を志望する理由はそれだけで十分でした。


しかし、どうしてもその一歩が踏み出せなかった。


自身は中学時代、生徒会長。


かつ家が貧乏だったこともあり、


当たり前のように公立の進学校に進むものだと


周囲からも、そして自分でさえも思っていました。


なにより高校野球はお金がかかります。


怪我でもしたら?試合に出れなかったら?


常にマイナスの考えしか生まれず、


当時の自分の気持ちを誰にも明かすことが出来ませんでした。


大きな目標を失ったイシタは完全な抜け殻状態。


勉強なんて一切しませんでした。


ほぼノーベンで迎えた2月、周囲の勧めで


母校となる千葉西高校を受験。

失意の中、そのまま進学することとなりました。


(ただ今思うと、結果的にはよかったと思っています。)

人生最大の心残り。

それは


自分の気持ちに正直になれず、一歩を踏み出せなかったこと

です。

やらない後悔よりやる後悔、とはよく言いますがまさにそれです。


この高校受験の後悔があるからこそ、



自分の気持ちに背いて、世間の目を、周囲の目を気にして自分の人生を過ごす



そんな人生を送りたくなかったんです。



そんな自分が


もう一度早稲田へのリベンジを決意したのは


そう難しい決断ではありませんでした。


(だったら勉強しとけ)


浪人を決意したのは、そんな裏側があったんですね。


③ 【新聞奨学生になるまで~後編~】


ただ浪人をするにあたって大きな問題がありました。

それは「お金」。

当時のイシタ家には浪人しようにも浪人をするためのお金がありませんでした。


冒頭でも申し上げたとおり、


イシタの家庭は母子家庭。


かつ母親の体調がすぐれないこともあり、


いわゆる「生活保護」を受けている家庭でもありました。


高校に通うのにも奨学金を借りて、通学したほどの貧しさです。


(現在も学費含めた生活費を自分でやりくりしている状況。

チームの遠征等に行けないことがあるのはこういう理由なんです、

すみません..)



お金がない。けど浪人したい。




どうしようもなかった2月後半、


母親がこんな募集を見つけてきました。



「新聞奨学生」


多くの人には馴染みのない名前でしょう。


事実、イシタも知りませんでした。


概要としてはこう。


”仕事をしながら、浪人生活を送ることが出来る”


新聞配達による金銭報酬をもとに、


生活費・塾費用・受験代を賄うというものです。


いわゆる自立した暮らしを送るワケですね。


http://nsn-setagaya.com/job/index.html


しかしそんな生活をしていて、来年ワセダに受かるのか。


前提として、浪人生の早慶合格率は30%程度。


お世話になった早慶受験特化校の河合塾秋葉原館の


エリートコースの合格率が50%。


イシタのいたクラスの合格率はわずか、20%。


普通の浪人生活を送ってそのレベルです。


浪人に加え、仕事までして本当に受かるのだろうか。


結局、現役の時よりも悪い結果になってしまったら...


ただ、そんな泣き言は言ってられない。


やると決めたのだ。最後までやり切ろう。


確固たる決意とともに浪人生活は幕を開けたのです。




④ 【日経浜町・河合秋葉】


日本に新聞社はいくつかある。朝日、読売、毎日などなど。


新聞奨学生として浪人することを決めたのはいいが、


今度はどの新聞社にお世話になるのか。


これも重要な問題でした。



イシタは数ある候補の中から日経新聞社を選択。



理由としては

❶配達部数が大手3社と比べて少ない
❷読者層が固定されており、新規顧客開拓の営業に回る必要がない
❸休日数が大手3社と比べて多い


難関大合格を目指すためには、金銭的優遇よりも


実生活での優遇のほうが大事。


てなことで、日経新聞社を選択しました。


イシタは早慶専門校舎である河合塾秋葉原館に進学を希望していたのですが、


幸運なことにJR秋葉原駅より2駅の都営新宿線浜町駅を最寄りとする、


日経新聞浜町専売所に配属が決定。


親元を離れ、日本橋浜町という地で


単身下宿生活をスタートさせることとなりました。

画像1

図1)お世話になった日経新聞浜町専売所の外見


画像2


図2)朝2時、専売所の目の前にトラックが到着する。

  新聞配達はこのチャリンコで。

       ここで裏話。

      新聞配達の多くはバイクでの配達が一般的である。

   当たり前のようにイシタも原付免許を取りに行った。

   しかし、落ち癖がついていたのか、まさかの原付免許に2回不合格。

      さすがに母親も唖然としていた......

  しかしなんと浜町専売所はチャリンコ配達ということが配達された

 その日に発覚。日本橋は路地が狭く、チャリンコで回ったほうが

 早いから、だそうだ。

 工業高校のヤンキーに交じって、3回免許を取りに行った俺の

 努力は何処へ............




⑤ 【新聞奨学生の1日】



さて本題。


新聞奨学生の朝は早い。




今も夜更かしして、新聞配達員のバイクの音が聞こえると


当時を懐かしく、時には震えます笑


1日のタイムスケジュールは以下の通り。



2時         起床
2時半        新聞を積んだトラックが到着。新聞をおろす
2時45分       チラシを新聞に入れる作業が開始
3時半~4時     チラシ入れ完了、自転車に新聞を載せる
4時         新聞配達開始
7時半~8時半    新聞配達終了
8時半~       入れ忘れの対応
           雨天時には濡れてしまった新聞の再配達



見てわかる通り、死ぬほど朝が早いです。

朝というべきか、夜というべきか。


そして新聞の量もバカ多い。

イシタは当時朝420部、夕300部配っていました。


(これは浜町専売所が配達する区画があり
 それを12に分けた区の中で最多。)


時々、新聞奨学生は社会問題として取り上げられることもある。


それほど新聞奨学生はキツいんです。


http://www.kokusyo.jp/shinbun07/10600/


新聞にチラシを折り込んだら、


今度はチャリンコに新聞を載せる。


自転車の前かごにタケノコのように新聞を積み重ね、


荷台には平積みで100部ほど。




画像3



図3)同期の仕事風景を拝借。重い、前後が見えない、カーブを曲がれない、新聞の山が崩れ落ちるなど、トラブルはつきもの。




きつい新聞配達が終わると、


”人”としての1日がやっと始まる。


(夜のヒト、特にトウキョウのヒトは本当に冷たい。


 目が死んでいる)



~8時半    朝食、洗濯などの家事
8時40分   都営新宿線浜町駅出発
8時50分   都営新宿線岩本町駅到着
8時55分   河合塾秋葉原館到着
9時      授業開始
12時40分  授業終了
13時     配達所に帰宅



とまあ、1日の中で塾にいるのはたった4時間弱


(まあこの勉強量で受かるわけない)




帰宅後は


14時20分   新聞を積んだトラックが到着、新聞をおろす
14時30分   チラシ入れスタート
14時50分   夕刊配達開始
17時前後    夕刊配達終了
17時20分   翌日の朝刊用チラシ入れ準備
18時      チラシ入れ終了


とまあ、こんな感じで1日の仕事は終わり。


19時ごろに夕刊入れ忘れがあれば店長さんに


「行ってこい!」と言われ、再配達。



結局、新聞配達にとどまらず雑務業務を含めると



1日の仕事時間は10時間前後。



あとは古紙袋配達と言って、


読み終わった新聞を回収する袋の配達が月に1回あり、


それを含めたときはは11時間くらいか。



そして日が暮れてからは


~19時   夕食づくり、夕食
~20時   風呂、洗濯など
~21時   自習
21時    就寝




2時     起床


と、こんなわけでまとめると、


・1日の仕事時間は10時間前後
・1日の学習時間は5時間
(ただ授業で力は身につかない、自習で力が身につくものと考えれば、1時間ほど)

 
という感じです。



まあ、普通に考えれば、、、、受からないよね笑


⑥ 【このnoteを通じて、伝えたいこと】


以上が「新聞奨学生の1日」です。


いかがだったでしょうか。


いろんな感想があるかと思います。



「大変そうだなあ~」


「本当にこんな生活を送っている人がいるのか...」


ただ、僕はそういった同情がしてほしいワケではありません。


事実、家が貧乏とはいえ、


それまでちゃんと勉強に向き合い、努力をしておけば


こんなことにはならなかったのですから。


(つくづくアホ)


僕がこの文章を通じて伝えたいこと、


それは


    自分のやりたいこと、自分の想いに素直になることの大切さ


冒頭のとおり僕は2016年3月、

浪人してワセダに入る!という決意のもとで


新聞奨学生としての1年をスタートさせました。


そして努力の末、


念願の早稲田に合格。


現在はスポーツ科学部の4年生として

大好きなスポーツを学び、野球に勤しんでいます。


そのほかにも外国人留学生とルームシェアをしたり、


塾の講師として20人近くの教え子を持ったり、


就活ではリーディングカンパニーと呼ばれる企業に


内定を頂くことも出来ました。


それもすべて、あの決断があったから。


当時の自分の思いに素直に向き合ったからこそ、


充実した大学生活を送ることが出来ています。


現在も、その姿勢を貫いています。


せっかくの人生。


他人の評価や世間の価値観に振り回されず、自分の思うところ、やりたいこと、少しでも興味の     あることに挑戦していくこと



これが大事ですよね。




前半はここで終了。


後半はイシタがこの状況から


・どうやって早稲田合格まで辿り着いたのか


・決裂!イシタvs同期4人


・夜の世界に生きるということ


・大都会東京のヒトの”冷たさ”


などをお話しします。


最後にはなりますが、今回も長ったらしく、


拙劣な文を読んでいただきありがとうございました。


それでは。また。


                          2020年7月25日

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