行基菩薩(ぎょうきぼさつ)と東山(ひがしやま)温泉 その1(全2回)


今日はね、今から1400年も前に行基菩薩(ぎょうきぼさつ)というお坊さんが会津の国(今の福島県)に温泉を見つけた時のお話しだよ。

行基菩薩は668年から749年の人だというから、飛鳥(あすか)時代から奈良時代にかけての人だね。大阪の堺市生まれで16歳の時に出家して、奈良の薬師寺(やくしじ)のお坊さんになったんだよ。この頃のお坊さんたちはね、お寺の中で仏教の教えを勉強して、そこで人々にお話を伝えることだけっという決まりがあったんだって。けれど、行基菩薩はね、その決まりを破ってしまった。そして、お寺を出て旅をしながらあちこちで人々に仏教のお話しをしながら、ため池や川の堤防の作り方なんかも教えていったんだ。洪水や日照りで困っている人たちを助けていったんだね。だからね、行基はたくさんの人たちから感謝されて、弟子になりたいとか、お話を聞きたいっていう人たちが集まってきていたんだ。

最初の頃、行基菩薩がこうして旅に出ていた時、お坊さんとして約束を守らなかったということで、朝廷からは悪いお坊さんだと叱られていたんだよ。けれどもね、朝廷は都を奈良に移してから、その奈良の都に大きな大仏様を作ろうとしていた。けれど、人もお金も集まらなかった。そこで、聖武(しょうむ)天皇たちは、いいことを思いついたんだ。752年4月に大仏さまを完成させるために、人気があったから行基菩薩たちを許して大仏さまを作ることに協力させることにしたんだ。行基菩薩はね、大仏さまを作るために弟子たちと一緒にお手伝いをして言ったんだ。行基菩薩がやってくると、大勢の人たちが協力するようになっていったんだって。そんな訳で行基菩薩は天皇から、僧正(そうじょう)というお坊さんの中でも最高の位を与えられたんだ。そして、49もの寺院を作っていったんだよ。

今日はここまで。
読んでくれて、ありがとう。
また明日、ポン!

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