幸松丸(こうまつまる)首実検でショック死 その1(全3回)


今日はね、たった2歳でお殿さまになっちゃった毛利幸松丸君のお話しさ。それはね、毛利軍のリーダーだった幸松丸君のお父さん、毛利興元(もうりおきもと)が24歳で死んでしまったからなんだよ。お父さんが亡くなった後は、その子供の男の子がその跡を継ぐことになっているからなんだよ。

ポンと昔。戦国時代の安芸広島のお話しさ。永正(えいしょう)14年、1517年毛利元就(もとなり)は攻めてきた武田元繁(たけだもとしげ)軍を有田中出手の戦いで破ったんで、初陣を勝利で飾ることが出来たんだ。なので、山県郡(やまがたごおり)まで領土を拡げることができたんだ。元就はね、武田氏は安芸の国の守護家(しゅごけ)だったから、それを倒したんで皆から注目されるようになっていたんだね。安芸の国には昔から国人(こくじん)といわれるグループが30くらいもあったんだ。助け合う事もあったけれど、うっかりしていると、領土を取られしまうこともあったんだって。

ちょうどその頃、尼子(あまご)氏と大内氏の争いが激しくなってきていたんだ。尼子氏と大内氏に挟まれた谷間のような毛利氏にとっては、自分の国を守ることが難しかったんだ。強い方と仲良くしたかったからね。しかも、悪いことに元就が戦った有田中出手の戦いがあったまえの年に、毛利軍の全体のリーダーだったお兄さんの興元(おきもと)が24歳という若さで亡くなってしまっていたからね。

今日はここまで、読んでくれてありがとう。
昔の人は早く死んだんだね。
続きはまた明日、ポン!

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