福島正則(ふくしままさのり)と広島のお酒 その2(全3回)


関ヶ原の合戦(せきがはらのかっせん)は、徳川軍の勝ちだったよ。正則はね、よく戦ったと徳川家康から褒められて、安芸(あき)広島の城主49万8千石のお殿さまにしてもらえたんだ。

その後、家康は江戸城や名古屋城などのお城のリフォームを始めたんだよ。なぜってね、リフォームのお金は、家康のお金は使わずに、それぞれのお手伝いをしてくれる武将たちが出さなきゃならなかった。これは、お金をたくさん使わせてお金持ちにならないようにするという家康の作戦だったんだね。福島正則も江戸城のリフォームのために長い間江戸城に来ていたんだよ。ところで、正則はね、お酒が大大大好きだったんだ。でも、まだこの頃江戸にはあんまりお店もなくてお酒なんか買うことができなかったから、わざわざ広島から船でお酒の樽を江戸まで運ばせていたんだ。

ポンと昔々の戦国時代。江戸城にいた福島正則のところへ広島からお酒の樽が届いたとの知らせが来たんだ。待ちに待ったお酒が届いたと正則は喜んで自分で港へと飛んでいったんだよ。広島から来た船には酒樽が積まれてあったよ。正則はウキウキしながらその数を数えていったんだ。おかしい、一樽足りない。もう一度数えてやっぱり一樽足りなかった。
「おい、酒樽が一つ足りないぞ。どこへやったのだ。」
正則は目付(めつけ)を呼んで怒鳴りつけたんだ。
「はい、これには訳がございます」
と目付は落ち着いて答えた。正則は手近の酒樽に腰を下ろしたよ。潮風に吹かれながらその話を聞いたんだ。
「はい、こちらに向かって来る途中、八丈島付近で突然嵐に逢いまして、急いで八丈島の港に船をつけたのです。すると、そこへきたない身なりの男がきまして、そちらの船に積まれた荷は、酒樽のようにお見受けしたが、どこの酒か?と言いますので、よくよく見れば、どうも島の者ではなさそうで、言葉も違っておりまして身なりこそ貧しいのですけれども、武士のようなのです。広島の酒だと言いますと、ほーっ広島か。懐かしいの。こんな所で広島の酒に出会うとは。頼みがある一杯だけでいい、その酒を振舞ってはもらえぬか。

今日はここまで。
読んでくれて、ありがとう。
明日が最後だよ、ポン!

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