元就(もとなり)の初陣(ういじん)と西国(さいごく)の桶狭間(おけはざま)その3(全3回)


武田のリーダーの元繁(もとしげ)はね、元就(もとなり)が有田城に向かってくるという知らせを聞いてね、重臣のひとりの熊谷元直(くまがいもとなお)に500の兵をつけて、元就に後詰め(ごづめ)をさせないようにと急いで行かせたんだ。挟み撃ちにされると思ったからね。

23日有田城の近くの中出手(なかいで)という所で、両軍が衝突したんだ。有田中井手の戦いの始まりさ。命をかけての毛利元就の初陣だったのさ。武田の熊谷軍500人と元就軍は300人だった。元就は初めての戦い、無我夢中になって戦ったさ。両軍入り乱れての激しい戦いになったんだ。おーおーとひときわ高く叫び声があがった。
「若殿、大将。熊谷元直(くまがいもとなお)を討ち取りました。」
そうさ、喜んだ元就軍は勢いに乗って、それやそれやと人数が少ないながらも攻めに攻めていったんだ。慌てたのは、武田軍さ。知恵も力もあった熊谷元直が討たれたと聞いて、総大将の武田元繁(たけだもとしげ)が、かっとして、ものども続けやとばかりに突っ込んできたんだ。
「弓だ、弓だ! あれぞ大将ぞ!」
元就はね、ここぞチャンスと大声で叫びまくったんだ。武田元繁は可哀そうに、あっけなく弓の的になってしまったんだよ。元繁が馬から落ちたところを毛利軍の家臣、井上光政(いのうえみつまさ)が打ち取ったんだ。

武田軍はまさかの熊谷元直と総大将、武田元繁が続けて討ち取られてしまったんで、500の兵たちは、ぐずぐずっと崩れてしまった。そうさ、人数の多かった方の武田軍はリーダーを亡くしてしまったんで、皆逃げていってしまったんだ。これが、有田中出手の戦いさ。元就は少ない人数で大勢の武田元繁を破ったんだ。織田信長は少ない人数で大勢の今川義元(いまがわよしもと)を討ち取った桶狭間(おけはざま)の戦いのようだというので、「西国の桶狭間」とも言われている名誉ある戦いなんだって。


じゃぁ、お休み。ポン!

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