和歌で健康法 その1(全2回)


今日はね、戦国時代の人たちの健康法についてのお話しだよ。
昔だって今だって、ケガをしないこと、病気にならないことが元気にいるためには一番大切だもんね。

ポンと昔。今から500年くらい前の戦国時代に曲直瀬道三(まなせどうさん)というお医者さんがいたんだよ。第13第将軍、足利義輝(あしかがよしてる)、毛利元就(もうりもとなり)、織田信長(おだのぶなが)、豊臣秀吉(とよとみひでよし)、徳川家康(とくがわいえやす)などなど有名戦国武将たちの主治医だったんだって。そうさ、見立ての良いお医者さんだったんだよ。

1507年、近江の国に生まれた道三(どうさん)は京都のお寺で学んでいたんだけれど、21歳になると栃木県にある足利(あしかが)学校に入学していったんだよ。ここで中国古代の書物、漢学、科学、兵略、算術、芸術、歴史、医術、儒学、なんかの難しい難しい勉強をしていったんだね。そして、卒業するとね、京都へと戻ってきて、お医者さんになったんだ。道三はね、大名たちにでも、お金のない貧しい村人たちにでも、同じように診察をしていったんだって。だからね、誰もから尊敬されていたんだ。

道三はね、この頃文字を読めない人たちがたくさんいるからというのでね、健康法についてのことを、五七五七七の和歌に詠んで、それを皆に伝えていったんだって。すばらしいアイデアだよね。こうしたら、誰だって覚えやすいし、正しく他の人へと伝えることができるもんね。それが、{養生俳諧}(ようじょうはいかい)と言われるものさ。120首詠んでまとめたものを毛利輝元(もうりてるもと)にプレゼントしているんだって。それがね、今でもちゃんと残っているというのだから凄いよね。その和歌というのがまた、ユニークなのさ。一首の和歌で二つの意味を持たせているんだよ。一首目はこんな具合さ。

問い答え やまうのきたる 道々の
道しらする軒の下人。

ここまで読んでくれて、ありがとう。
この和歌の意味は、明日ね。
お休み、ポン!

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