家斉(いえなり)の側室41人 その2(全2回)


でもね、家斉(いえなり)将軍のようにお嫁さん代理が多いと、そのお屋敷も一杯になってしまったんで、今の文部科学省のところの虎ノ門(とらのもん)の近くに広いお屋敷を作って、お嫁さん代理たちを住まわせていたんだって。女中さんたちも一緒だったからね。女の人たちばかりで、そりゃあとっても賑やかだったことだよね。そして、将軍さまが亡くなると、お嫁さん代理の人たち全員は出家(しゅっけ)していったんだって。そうさ、女の人のお坊さんになること。尼(あま)になることになってたんだ。だからね、そこは大勢の尼さんたちが住んでいるお屋敷だから、「比丘尼屋敷(びくにやしき)」なんて呼ばれるようになったんだ。比丘尼(びくに)とはね、女のお坊さん、尼僧(にそう)として特別のお約束を守った人たちのことをいうんだ。男の人たちと仲良くしてはいけない人たちだったんだって。そうして、ここで念仏を唱えながら一生を過ごしていったんだって。

お嫁さんとお嫁さん代理がたくさんいた徳川家斉(いえなり)将軍は、大変だったのか、嬉しかったのか、面倒だったのか、仕方なかったのか、お嫁さんたちや子供たちの名前を間違えずに呼べたのかな?いろいろ心配しちゃったよ。

最後まで読んでくれて、ありがとう。
じゃぁ、お休み、ポン!

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