献上の湯 熱海の温泉 その2(全2)
ポン、昨日の続き。
熱海(あたみ)のお湯は大評判で、江戸時代になるとね、江戸の将軍様にも、この熱海の温泉の評判がお耳に入ってね、温泉の献上(けんじょう)命令が下されたんだって。献上ってのはね、将軍様にお届けすること。温泉を持っていくことになっちゃったんだ。さぁ大変だよ。
温泉の御用(ごよう)が下されるとね、27人の温泉のオーナー、湯主たちは一人ひとり体をきれいにして、長柄の尺(ながえのしゃく)でお湯を汲んで、新しい作り立てのヒノキの湯船のたっぷりと入れてね。人夫たちに担がせてね、昼も夜も休まずにぶっ通しで宿場町を超えて超えて、江戸城の本丸まで運んだんだって。将軍様のお湯じゃというんで、宿場を通って行くときも、一度だって地面に置くことは許されなかったんだって。その代わり、お湯献上の27人のオーナー、湯主たちには、帯刀(たいとう)が許されたんだって。帯刀ってのはね、刀を腰に付けてもいいよってことなんだよ。
27のお汲み湯の湯船の桶が行列を作って走る姿は、ものすごい迫力のある見物だったよねぇ。(熱海、熱海、熱海は良いとこ。日の丸立てて、ご本丸へとお湯が行く行く)とその行列を見た人たちが歌ったということだよ。
東京から熱海まで車で130キロっていうからね。その頃だと車もないんだから、大変だったよね。わっしょいわっしょい、重たいお湯の入ったお風呂を担いで行くんだから。本当大変だったよね。
徳川の将軍さま達がお気に入りだった。熱海の温泉、いつか連れて行ってもらおうよね。
じゃ、お休みじゃ、チャッポン!
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