平清盛と松王丸 その1(全3回)




今日はね、平清盛という武将の話をするね。
今から800年くらいも大昔の事。
清盛は平家という日本を治めていた大きな武家のグループのリーダーだったんだ。
平家物語という昔のお話にも出てくる有名人、本当にいた人ね。

その頃お隣の中国は宋という名前の国だったんだよ。清盛は宋と貿易がしたかったんだ。
日本と宋との国だから日宋貿易って言われているけれどね。貿易ってね、日本で作った織物や漆器それから金や鉛なんかを宋の国に高いお金で売って、宋からは陶磁器やら織物、
宋銭という宋のお金なんかを安く買って、日本の中でそれを高く売ったんだね。なんでって。そうすると儲かるんだよ。織物っていうのは細い糸で編んだ大きなきれいなきれのこと。それで着物を作ったんだね。漆器や陶磁器ってのは、お茶碗やお皿のこと。
1165年には弟の頼盛を太宰府(今の福岡県)に役人として置いてね、兄弟協力し合ってたくさん儲けようとしたんだよ。
そのころ清盛は大きな船が入るように大輪田の福原という場所を埋め立てて港を作らせていたんだ。大輪田の福原っていうのは今の神戸港のこと。大きな港だよ。でもね、なかなか工事はうまくいかなくて、やっと土台ができたかと思うと大きな波がきて崩していく。それが何度となく起きちゃったんだよ。それで清盛は言ったんだよ。「もう仕方ない。ここに人柱を建てようぞ。誰にしたものか、、、そうじゃ、生田の森に関所を作りそこを通って行く者をすべて牢に入れるのだ。その中から決めようぞ」

今日はここまで。また明日。

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