霧の中の関ヶ原 その4(全4回)

関ヶ原の合戦のために集まった西軍、他にも安国寺恵瓊(あんこくじえけい)隊、長曾我部守親(ちょうそかべもりちか)隊、長束正家(なつかまさいえ)隊も、大谷吉継(おおたによしつぐ)隊も、宇喜多秀家(うきたひでいえ)隊なんか8万余の者たちが準備ができていたよ。松尾山(まつおやま)には、小早川秀秋(こばやかわひであき)隊は、1万5千の兵で陣取っていたよ。関ヶ原から離れた山にも何隊もの兵たちがいたんだよ。

ひとつ、15日、小雨降り、山間(やまあい)なれば、霧深くして、15間先はいえず。霧あがれば、100間も50間ばかり先もわずかに見ゆるかと思えば、そのまま霧降りて敵の旗少しばかり見ゆることもあるかと思えば、そのまま見えず。

と板坂卜斎(いたさかぼくさい)という人が書き残しているんだよ。夜、降り続いていた雨はあがって、霧が深く立ち込めていて、30メートル先も見えないほどだったよ。霧が切れたかと思えば200メートル先に旗指物(はたさしもの)が見え隠れする。霧はまた深くかかってくる。敵味方皆、霧が晴れるのを息を殺して待っていたよ。そして8時ころからようやく霧が晴れてきたんだ。

一番前にいた徳川軍の福島正紀(ふくしままさのり)は、豊臣軍の宇喜多隊に向けて一斉射撃を始めた。そうさ、鉄砲で打ち込んでいったのさ。宇喜多秀家(うきたひでいえ)も福島正紀(ふくしままさのり)も秀吉から可愛がってもらっていた友達どうしだったよ。黒田長政(くろだながまさの)陣所(じんしょ)丸山で狼煙(のろし)が上がった。「かかれっ!!」合図さ。狼煙(のろし)とは、火で炊いて揚げる煙のこと。昔はこうして煙なんかを使って合図にしていったんだね。あちこちで狼煙が上がっていったよ。

こうして関ヶ原の戦いは始まっていったんだ。


関ヶ原の戦いの続きは、また今度ね。
最後まで読んでくれて、ありがとう。
ポン!

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