斬首(ざんしゅ)の日 その1(全2回)


今日はね、戦いに負けてしまった武将のお話しさ。戦いで勝つ者があれば、負ける者もいるね。そうさ、負けた方のリーダーは殺されてしまうんだ。1600年にあった関ヶ原の戦いでは徳川家康(とくがわいえやす)がリーダーの徳川軍と石田三成(いしだみつなり)がリーダーだった豊臣軍(とよとみぐん)とで激しい戦いがあったよ。6時間くらい続いた戦いだったけれど、豊臣軍が負けてしまった。10月1日、この日は三成が処刑された日なのさ。関ヶ原の戦いが9月15日だったから、2週間後のことだね。

ポンと昔。徳川家康はね、関ヶ原の戦いで負けた豊臣軍のリーダーの石田三成と他に小西行長(こにしゆきなが)と安国寺恵瓊(あんこくじえけい)の3人をとらえたんだよ。その3人を京都の町の中を引き回してから斬首(ざんしゅ)するようにと命令したんだ。斬首とはね、首を切ることをいうんだよ。

慶長5年、1600年10月1日の日のことさ。秋晴れの暖かい日だったよ。三成たちはね、牢屋から出されると、手は後ろで縛られて、首には鉄の輪をはめられて、監車(かんしゃ)に乗せられたんだ。そしてね、京都の町の中をあちらへこちらへと引き回されて行ったんだ。道にはたくさんの人たちが集まってきていた。見世物にされていたんだ。三成はね、京都の町にはしょっちゅう来ていたから、見慣れた街並みを見ていたよ。何でもないさ、という顔をしながら、いろんなことを思い出していたよ。
「のどが渇いた。湯を貰えぬか」
暖かい日のことだったからね。三成は警護の者たちに聞いたんだよ。
「湯は手に入らぬ。が、ここに天干し(あまぼし)の柿があるから、これを食ったらよかろう」
警護の者がひとつの柿を差し出したんだよ。

今日はここまで。
読んでくれて、ありがとう。
さて三成は、差し出された柿をどうするのか?明日の楽しみに。
お休み、ポン!

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