逃げるキリシタン その1(全4回)



今日はね、江戸時代、長崎県であった戦いのお話しさ。
寛永14年、1637年の秋から次の年の春にかけてのことだよ。肥前(ひぜん)の国、長崎県の島原・天草(あまくさ)地方に、島原・天草の一揆(いっき)と言われている大きな大きな戦いがあったんだよ。この時大勢の農民たち3万7千人もが殺されてしまったんだ。

江戸時代に入るとね、肥前の国、長崎県の島原には大和(やまと)の国、五条から松倉城主が新しくやってきたんだ。天草にはね、唐津(からつ)藩主の寺沢(てらざわ)氏が城主がなったんだよ。城主とはお城のお殿さまのことさ。

島原の松倉城主はね、もともとあった日野江(ひのえ)城と原(はら)城を使わないで新しく島原城を作ることにしたんだよ。松倉城主はお城作りが大好きだったから、誰よりも立派なお城が作りたかったんだ。それには、たくさんのお金が必要さ。島原の村は4万石のお米が取れたんだけれど、土地を見回ると13万石は取れるはずだといってね、無理やり13万石分の年貢を出すようにと言ったんだ。そんな無理だよね。それにお城を作るからといって、無理やり手伝いにも来させたんだ。大きな石を運んだり穴を掘ったりするから、どうしたってお父さんたちが行くことになるよ。そしたら、田んぼや畑ができなくなっちゃう。しかも、悪いことに4年前から毎年お天気が悪くて、お米が取れなかったんだ。それなのに年貢は変わらず13万石分を出すようにと役人たちが厳しく取り立ててくるんだよ。農民たちは自分たちが食べるものもなく、困っていたのさ。

今日はここまで。
困ってしまった農民たちは、ある行動に出るよ。
続きは明日。お休み!ポン。

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