お小夜(おさよ)の夜泣き石 その1(全2回)


今日はね、武蔵野の国、今の埼玉県児玉町の雉岡城跡(きじがおかじょうせき)に伝わる不思議な石のお話しだよ。

ポンと昔。時は戦国時代の、永禄(えいろく)年間、1558年から1569年ごろのことさ。武蔵の児玉町にある、雉岡城が北条氏邦(ほうじょううじくに)の持ち城となったことがあったんだって。北条氏邦といえば、合戦上手の北条氏康(ほうじょううじやす)の子供さ。なので、あの有名な北条早雲(ほうじょうそううん)のひ孫ってわけだよ。この頃、神奈川県の小田原にお城を構える北条一族は、関東地方をまとめていて、とっても強かったからね。

さて、その氏邦の家臣に横地左近忠春(よこちさこんただはる)という家臣がいたよ。家臣とは、その家に仕えている家来のことをいうのさ。氏邦はね、このお城のお殿さまとして、忠春をおいたんだね。

この時に、忠春の腰元にお小夜(おさよ)という美しい娘がいたんだ。腰元ってのはね、お殿さまの身の回りのお世話をする人のことをいうんだよ。お小夜は若く愛らくしく、よく気の付く娘だったんだね。忠春はね、お小夜を可愛がって、ずっとそばに置いていたんだよ。そしたらね、忠春にはお嫁さんがいたんだけれど、このお小夜のことも好きになっちゃったんだね。でね、お小夜は、そのうちに忠春の赤ちゃんがお腹にいるようになったんだ。

忠春のお嫁さんはね、ものすごい焼き餅焼きだったんだって。超焼き餅焼きで有名だったんだ。お小夜はね、そのことを知っていたから、忠春の奥様に知られてはいけないとずっと黙っていたんだって。でもね、お小夜のお腹はだんだんに大きくなっていったから、奥様の知るところなっちゃった。そりゃあ、奥様は大変さ。焼き餅に狂ってしまった。忠春の奥様は何としてでも、お小夜から、そのお腹の子は誰の子かと聞かずにはいられなかったんだ。
「お小夜、お前の腹の子は誰の子じゃ?」

今日はここまで。読んでくれて、ありがとう。
奥様の折檻(せっかん)に耐えられるか?お小夜は。
明日のお楽しみにね。ポン!

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