無い物があったって その2(全2回)


士農工商が変わっていくよ。
2002年の教科書にはね、最後が「こうした身分制度を士農工商と呼ぶこともある」って変わっていくんだ。そうさ、こともあるって変わっていったんだよ。

そうして、2018年になるとね、「江戸時代の社会では武士と百姓、町人がそれぞれの職能によって区分された身分を形作った。」とあるだけでね。士農工商の言葉すら出てこないんだって。

でね、なんでこんなことになっちゃったかってね。士農工商という考え方は昔の中国のもので、江戸時代に日本の儒学者(じゅがくしゃ)たちが、日本の社会に無理くり当てはめちゃったんだって。その間違った考え方が明治以降に伝わっていっちゃんだって。儒学者たちのまぁ作り事だったってことなんだね。

有名な勝海舟(かつかいしゅう)のひいおじいちゃんは、越後の農民だったんだけれど、お金持ちになって武士の権利を買っているんだって。作家の滝沢馬琴(たきざわばきん)もお金で孫のために武士の株を買ってあげていたんだって。正確な地図を作った、伊能忠敬(いのうただたか)や新選組(しんせんぐみ)の近藤勇(こんどういさみ)は、その功績で幕臣(ばくしん)武士に取り立てられているのさ。反対に三菱を作った岩崎弥太郎(いわさきやたろう)の家は、武士だったんだけれど、その権利を売って農村で農民身分の土佐では、地下浪人(じげろうにん)って呼ばれているんだけれどね、それになっていったんだよ。でもね、弥太郎(やたろう)は後になってから、武士の権利を買い戻してはいるんだけれどね。

これからもっと歴史は変わっていくよ。科学技術の発達と、あちこちで発掘なんか行われているからね。僕も歴巻(れきまき)をアップデートしていかなくっちゃ、だよ。


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お休み、ポン!

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