山勘(やまかん) その2(全3回)


士官を断られ続けた山本勘助(やまもとかんすけ)、
それからは、北陸を通って東北まで行ったのだけれど、主君は見つからず。けれどもね、甲斐(かい)の国、山梨の武田信玄(たけだしんげん)だけは面白そうな者がいるといって、勘助と会ってくれたんだって。
「諸国を旅して、古城(こじょう)古戦場をよくよく見てきているようじゃ。勝敗の機微(きび)を知りぬいているようだ。ふーむ。面白や。」
といって、召し抱えてくれたんだって。信玄はこの右目と左足の悪いハンデを持った勘助の軍師としての鋭い力を見抜くことができたんだね。勘助40歳過ぎのことだったよ。

天文(てんぶん)3年、1534年、12月のこと。勘助は信玄に仕えて一年足らずで、信濃(しなの)の9つものお城を落として、手強かった村上義清(むらかみよしきよ)を追放して信濃を一つにまとめちゃったんだ。信玄はね、勘助を懐刀(ふところがたな)として、いつも戦略や戦術なんかを考えさせていったんだ。懐とは、着物を着た時に、胸のところで襟(えり)が合わさる、その中のことをいうよ。そこにはお財布や小さな刀なんかの大切なものを入れておいたんだ。勘助はね、大切な秘密を打ち明けて作戦を立ててもらえる特別な軍師ってことなんだ。例えば、こんな風さ。

小県(ちいさがた)の戦いで、上杉謙信(うえすぎけんしん)と対陣したときのことさ。対陣とは、同じ場所で敵と向かいあっている戦いのことをいうよ。謙信が5、6丁、600メートルくらい離れて伏兵を置いて、茅柴(かやしば)を刈り取って小屋の前に積み重ねて、火をつけてから退却したんだ。

今日はここまで。
明日は、山本勘助のファインプレーが出るよ。
楽しみにしててね、ポン!

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