迷い その1(全3回)



今日はね、戦国時代、日本中ほとんどの武将を従えてしまった豊臣秀吉(とよとみひでよし)が最後まで抵抗していた、神奈川県の小田原にある北条氏政(ほうじょううじまさ)、氏直(うじなお)親子がいるお城の小田原城を攻めていた時のお話しだよ。今から400年くらいも前の天正18年、1590年のことさ。小田原に北条氏の大きなお城があったよ。東西5キロで南北に7キロの大きさというから、めっちゃ広いところだね。この小田原城の中にはお殿さまや、その家来たちと他にもあちことから人質として連れてこられた子供たちや女の人たちもたくさんいたから、10万人くらいの人たちもいただろうって言われているんだよ。この大きなお城の周りには高い塀や深い堀や自然の川なんかで囲まれていたからね、そうさ、難攻不落(なんこうふらく)と言われていたんだ。守りが頑丈で攻めるのが難しいお城だったんだよ。秀吉の作戦はこのお城を兵糧攻め(ひょうろうぜめ)のすることだったんだ。兵糧(ひょうろう)とはね、食べるもののことさ。お米やら、野菜お魚全部のこと。人は食べなければ生きてはいけないからね。皆を腹ペコにさせちゃう作戦さ。このお城の周りをぐるり塀を立てたり、家来を見張らさせたりして囲んでしまったんだ。こうしてお城の外からお米なんかを運び込めないようにしたのさ。これが兵糧攻めという戦いのやりかただったんだ。鉄砲を撃ちあったり、弓を引きあったりはしなかったんだよ。お城の中の食べ物が無くなるのをじっと待っていたんだよ。だから、時間がかかったんだ。お城の中にはたっぷりのお米なんかが蓄えてあったから、それを食べつくすには時間がかかったのさ。

今日は、ここまで。
読んでくれて、ありがとう。
また明日、ポン!

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