源義経(みなもとのよしつね)と笹竜胆(ささりんどう)の紋  その2(全3回)


京都にいた義経はビックリさ。お兄さんの頼朝(よりとも)が自分を捕まえてにきているとの知らせを聞いて、信じられなかったよ。間違いではないかと何度も聞き直したというよ。命を懸けてこんなに頑張って戦ってきたのになぜなのか、何で捕まえられなきゃいけないのか、分からなかった。とにかく急いで逃げるしかなかったんだ。義経は武蔵野坊弁慶(むさしのぼうべんけい)たち数人の家来と山道を通って北へ北へと向かっていったんだ。1187年か88年頃のことだったよね。

秋の虫が鳴き始めていた頃のことさ。下野(しもつけ)の国、栃木県の河内の下ケ橋(かわちのさげはし)の街道を見るからに疲れ果てた山伏(やまぶし)数人がやってきた。日も暮れてしまったんで、その山伏たちは近くの養膳寺(ようぜんじ)という寺の門をくぐったよ。和尚さまはね、みすぼらしいその人たちを見ると何も聞かずに宿を貸してくれたのさ。しかも、山伏の仲間たちの一人は思い病気にかかっていて、その日に亡くなってしまったんだ。皆は仲間を丁寧にそのお寺に葬(ほうむ)らさせてもらったよ。和尚さまは、そのお手伝いをしてから、暖かいごはんと大鍋いっぱいのお味噌汁を振舞ってくれたんだ。皆はとっても喜んで何度もお礼を言いながら食べるとぐっすりと眠ることができたんだ。

次の日、山伏たちは元気を取り戻すことができたよ。和尚さまは朝ごはんもたっぷり出してあげたんだ。皆はお礼を言って、また出かけて行くことになったよ。すると、山伏の一人が和尚さまのところへきて、言ったんだよ。

今日はここまで。
読んでくれて、ありがとう。
明日は、最終回だよ、ポン!

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