愛以外は瑣末な事

30代独身で、だからかは分からないけれど
身内に結婚の話が出ているから、かもしれないけど
私はこの先どう生きていこうかなと考える

どうして人は生きるのかという哲学的問いを割りと幼い時からしている。
幼い私は苦しんでいたし、苦しんでいたから死のうとしていたというわけではないけど(中学生の時死ぬことを考えたことはある)、こんなに苦しいのは生きているからじゃないか、と考えに至った。

苦しかったから、生きる理由を知りたかった。
幼い私はこの問いに答えがあると考えていた。

だけど、その問いに答えがないことを知った。
厳密に言えば、生きる理由を知るために生きているということを知った。

伝統工芸の職人さんに憧れを抱くのは、人生を賭けてその作品に向き合うからだとテレビを観ていて気づいた事があった。
この人には生きる理由があっていいなぁ。短絡的にそう感じた。

生きる上で他人の存在というのは不可欠だ。
生活の全ては私以外の誰かがいてくれるから成り立っている。私も誰かの役に立ててたら良いな。
生活していくための仕事、やりたい事がない私には与えられた仕事に感謝し、精一杯取り組む事しかできない。
生きていくというのは、結構厳しい。

両親は私を愛してくれている、と言葉にするまでもなく、私はこの人達から大事に思われていると肌で感じる。それは故郷を離れて独身で女一人で生活している私を心配し、電話やLINEで連絡を入れてくれるからだろうか。
コミュニケーションの内容は簡単なもので、元気でいるか、ご飯は食べているか、何か困ったことはないかなど。
話す内容は大抵同じだけど、その声色や気遣ってくれる言葉で、私は愛されていると自覚する事なく感じているのだろうか。


誰かを愛するというのはとても素晴らしいことだと感じる。私には出来ない事かもしれないけれど。
私は愛したい。愛したいと思う相手に出会いたい。


人生とは。

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