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泣きながら生きる

生きることに向いていないと初めて思ったのは、中学2年生の美術の授業の時だ。
今思えば、居心地の悪い家庭環境、思春期特有の絶望感などが作用してふとそんなことを思いついたのだと思う。
次に考えたのは「いつ死のうかな」ということだった。私は何歳で死のうかな。40歳くらいまでには死んでおきたいな。長生きなんてしたくないし、でもお父さんより先に死んじゃったらお父さん悲しむよな。なんて。

この前30歳になった。30歳になったこととは無関係だけど、ここ最近なんとなく落ち込んでいる。生きることに向いてないなぁなんて、ぼんやり考える。
そんなことを考えてしまうのは、バイオリズムが低調なだけなんだと思う。仕事がリモートワークでフレキシブルに(勝手に)働いているので、好きなタイミングでゴロゴロしている。監視の目がないと、私は簡単に堕落してしまう。

社会人は大変だ。向上心の無い社会人はなおさら大変だ。昇給も昇進も、努力すれば手に入るだろう。努力などしたくないのだ。努力しないということは、給料は横ばいか最悪減っていくだろう。
世の中では副業が流行っているという。社会不安がある中、何かしら生き延びる手段を得ようとしている人たちは素晴らしいと思う。とても動物的で理性的で、そんな人たちに寄りかかってしまいたい。寄生して生きてしまいたい。でもね、そんなことはしないよ。

生きることも死ぬことも簡単ではない。苦しむことにさえお金がかかる。その事実だけで泣けてくる。泣いたって意味はないので、上を向いて深呼吸するしかない。


とりあえず、今日を生きる。


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