見出し画像

ヒトは言葉に温度を持たせられる

なんで?なんでこれこうやったの?と聞かれたことがある。

マイナスな印象を与える恐れのあるコミュニケーションこそ、温度を大切にしたいっていう話です。

なんで?と聞かれる側の立場で

やばいミスった、と思ったらすみません!てこちらは思うし言うんだけど、そういう人って「じゃなくて、なんでか聞いてんの」って言う。

むしろ自分でも自分を疑うような気持ちなんだけど

忘れてた、気づかなかった、面倒だった、具合が悪い、確認不足…

理由は色々つけれるけど、正直やったもんはもう取り返せないから、リカバリーに注力すべきだし、そのためになぜそうなったのかを聞いているのだとしたら、もっと聞き方ってあるよねって思うんですよ。

自分ではミスった気もない時に言われると、え?何か悪いことだった?むしろ悪いの?どれ?どこ?何も考えてなかったけど、それが悪いってこと?
とプチパニック。聞くだけ聞いて返答がないなんて状態になると、結果こちらは直せないし、すこぶる居心地が悪いと感じるのは私だけではないことを祈ってます。

「なんで?」社会が認める尋問ワード

なんで?

これは人を疑心暗鬼にさせる。人を追い詰める。直接的で高圧的。掘り下げるためのワードなのに、緊張と体裁を生み、結果浅いものしか得られないのでは、と思うんです。

工場勤務の時、何か損害を出すなりなんなりした時になぜなぜ解析をしてました。ひたすらなんで?どうしてその行動を?なぜそう判断を?と大の大人が1人ずつに対して5〜10人くらいで詰める。2度と起こさないようにするために必要なことだけど、このシステムにこそ人の心を入れる行間が必要だよな、と思います。

なぜ?自問してもささいな流れ作業では意図もなくやってることが多くて。大体一連が読めてないから先が見えてないことが原因なんだけど、先が見えたとてそこに重要度を感じなければリソースをさかない場合もあるわけで。

なんで?と聞く側の立場から

うちの息子は学校から帰っても制服を干さないことが多いんです。何度言ってもそう。私にとって彼の身なりは彼の人生にとって必要と思うんですけど、彼にとってはリソースを割くものではないようなんですよ。私がなんとしてもこれを改善したいのであれば、彼に「なぜなの」と問うよりも、システムを導入すべきだと思うんです。

これは、何度か問い詰めるようななぜ?を彼に繰り返したんですが彼はきょとんとした顔で、別に…?と返すだけを繰り返し、必要性についても何度も説いたんですがそこにも合点がいっていないようだったからなんです。
これは家族の問題だからそれで済むんですけど、会社の損失となればまた話は別で、必ず目的があって動きがあり、PDCAを回すために解析も必要になりますよね。失敗は繰り返さないべきですし。

聞く側の温度次第で答えは変わる

そのためにやれることがなぜなぜ解析なわけなんですが、これはある種の尋問になり得ます。聴き方次第で、人を追い詰める。明らかに悪いと思っている人の言い訳をひたすら引き出すための時間になって、結果意味不明な答えを出したり、その人が悪いだけ、という結論で首をすげかえる結論に至ったりもします。

違うと思うんですよ。そうじゃない。

本当にPDCAを回したいなら、本当に失敗の解決策を知りたいなら、聴き方と、聴く人が重要なんです。

普段から他人に寄り添える人で、人の視点を変えることができる人。普段からこの人は責めない、この人は詰めない、この人は自分にとって害ではない。そんな印象のある人が聴くとしたら、最終のアンサーは変わると私は思います。

  • なんでミスした?なんでそうした?なんでか自分でわからない?

  • なんでこうなったんだろう?思い出してみよう。どんなことがあったとか、どんな気持ちがあったとか、細かいところから聴いてみたいんだよね。一緒にここからの改善策がないか見つけよう?

一つ目の問いをしておいて、なんで泣かれたかわからない、責めたわけじゃない。というのはあまりに乱暴。


言葉の選び方とその人との普段の向き合い方によっても変わると思うんだけど、基本的に言葉は、温かくないもの以外は全て冷たいのだと私は思います。

実際に、上のような問いを投げてくるような人は

何も考えてないんでしょ?面倒だったからサボったんでしょ?先を見据えてなかったんでしょ?そういうぬるい仕事をしてんでしょ?

と責めたい気持ちが見え隠れしてる。してるよね?絶対詰めたいよね?
わざと感情を出そうとしなくても、実際に損害を被る当事者なら慌てるししんどいからこうなってしまう気持ちもわかる。でも、それこそ感情で動いていて、結果を得ることを邪魔してる。

AIと人間のやる仕事の違い

他にも、優しさが仕事に必要ないなんて、シビアに数字を追うなんて、それが真理なんだったら人間がやる必要なんてない。

なぜなぜ解析のようなことこそ温度を持ってやるべきで、そのほうが最適解を最速で、つまりドライでシビアに仕事がしたい人々が得たいものが得られる、のでは?

失敗→なぜなぜ→改善策

この行間にこそ、温度のある心、コミュニケーションがあるべきなのでは、と思います。

AIによって人間の仕事は変わる。あの技術は割ともうなんでもできる域にいる。

人間はじゃあどうするのか。

私は、人間がすべきことは温度のあるコミュニケーションだと思って、人と向き合いたいと思っています。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?