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GWに疲れた大人に

GW、楽しかったですか?休めました?リフレッシュできました?

多分多くの人が楽しかったろうけれど、結局なんかしんどかったな…と思っている人もいるはず。世の中のテンプレな休みの過ごし方が合わない人もいますよね。

そんな人はまず、休み方の原点に帰ることをお勧めします。原点に帰る、デフォルトを知るって、とっても大切なことだと思うんです。

体のデフォルトを知ると体に優しくなれる

自分の「好き」や自分の「デフォルト」がわかるって案外難しいことです。

実は肉体的にも、客観的に見て真っ直ぐに立ってる人って少なくて、大人の多くの人は真っ直ぐのつもりが斜めにズレていたり曲がっていたりします。歪み的な、自軸のズレ的な。

でもそれが習慣化しているので、本人は疑いもなく真っ直ぐだと思い込んでいます。そのズレや歪みによって痛みや見た目の違和感も産まれます。それらの結果については疎み、治したがっているはずなのに、根本的な歪みに気づいていないから、何をやっても治らんなあと悩んでしまうんです。

姿勢の改善や癖の認知、そして癖を変える新しい習慣に変えていく地道な努力を続けると、少しずつズレや歪みが解消されていきます。そして、歪んでいないデフォルトの状態を認識できるようになれば、少し歪んだ動きをしても、デフォルトに戻ってこれるようになります。

自分の体のデフォルトを知っていれば、それ以上歪む前に戻れる。
体の違和感の時点で改善できるわけです。

体に優しいとは何か

これはめっちゃ自説ですが

「体に優しい=体を大切にする=無理をしない」

って思っています。逆に言えば、

「無理をしない=体に優しい」

無理って例えば、関節への無理だったり、歪むような体の動き(長時間座るとか)への無理だったり、体力以上のことをしたり、気持ち以上のことをしたりするようなことです。

そしてそれを、そのまま放っておくということです。

元に戻す。自分の無理や限界がわからなかったり、結果的に無理をしてしまったなら、デフォルトに戻す動きをする。体だったらストレッチや軽い運動、骨の動きに沿ったリカバリーをしてくれる整体などがそれに当たります。

デフォルトに戻す行為は心や気持ちにも必要であり、それが休み方と楽しみ方なんですね。

心と気持ちに優しい休み方

世の中のGWの楽しみ方は、旅行や買い物が主流です。たくさんCMを打ちますし、新幹線や飛行機は満席。コロナが下火になって久しぶりだから、今まで我慢していたことをどんどんやろう!という気持ちを解放する様な促しが多かったと思います。

たくさんの人がいるところで、たくさん並んで、たくさん待って、たくさん買って、たくさん食べる。

それにたくさん笑ってたくさん話して、たくさん打ち解けて、たくさん心を通わせたなら、最高の休みの過ごし方だと思うのですが、結果ただ疲れたな…と今日を迎えてしまっている人がいたら、多分それは休み方や楽しみ方が、世の中のテンプレとは違うタイプなのだと思います。

せっかくの休みなんだから誰にも文句も言われずにひたすら寝たい=起きたら頭痛、虚無感
せっかくの休みなんだから遠出したり旅行したりの家族サービス=人混みで辟易、家族はどこでも動画や携帯で一体感も会話もなし

とかとか。「休めると思ってたのに、思ってたんと違う!」ってなりがちな人は一旦子供心に返ってみてください。

実家の過ごし方が原体験

自分が子供の時もありましたよね。お父さんお母さんと休みが被って何かした日。

ポップコーンを買って家で映画を見たり映画館に行ったり?公園でシートを広げてピクニックをしたり?それこそ旅行をしたり?旅行先では屋台を見て食べ歩いたり?ショッピングをしたり?

ちなみに我が家は基本遠出して温泉に入って帰るってしてました。今でも親は週一くらいでそれを楽しんでいます。車の中はずっとおしゃべり。仲良いんですよね。たまに道の駅に寄って直産を見たり買ったり。

子供の時は、正直友達と遊べなくなるし、温泉興味ないし、遠くに行く意味も感じなかったですけど、今私もそれが楽しいです。
子供の時から今までも「親が楽しそうだったこと」って記憶に刻まれているんですよね。

休みの過ごし方の原体験がそこにあるんです。

だから、自分があの時の親と同じ大人になった今だとちょうど楽しくなれると思うんですよね。ピタッと来るというか、しっくりくるというか。

実家の休みの過ごし方をなぞってみてください。誰か好きな人や家族と。

そしてそれが、子供たちの原体験になっていく。親として、大人としての楽しみ方が、原体験として自分たちが子供たちに刻まれていくんです。

原体験をベースにアップデートしていくと、世の中のテンプレとは違う「本当に自分が楽しい」にたどり着けそうな気がします。本当の「自分が楽しい」を見つけられたら、それが子供たちへ、孫たちへと、楽しいの連鎖になっていくと思うと、苔のむすまで〜(君が代)ですね。

まあ要は、おしゃべりして楽しい人がいたら何をしようと楽しいもんかもしれませんけど。








ラベリングのように自分を枠に納めてしまうのでは?可能性を潰すのでは?という懸念も生みますが、ある程度の枠があると精神や肉体がガタガタになった時のリカバリーがしやすいよねって思うんです。


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