社会人大学院に行く意味なんて本当にあるの?論理的思考は絶対育てられる。
会社で仕事をしていると、この人にはどれだけ話しても伝わらない。特に年齢が言っていると無理なのではないか?って思うことありませんか?
ダメダメだった自分が、大学院に通って少しはマシな論理的思考をできるようになったという話です。(今週、大学院のゼミに参加させていただき勉強の機会を頂いたので、整理させていただきました)
ではでは、本当にそんなことあるの?
n数は1、私の話になってしまいますが、まだまだですが、少しは論理的に物事を考えられるようになったと思います。
なぜそう思うかというと、この人はこの点を考えて進めていないのだなということが気付ける場面が増えたからです。
でもあるあるかもしれませんが、
この点を考えてみるとどうですか?
相手の目線に立ってみるとこの点が大切が大切ではないですか?
とお話をしても理解してもらえない、次回になれば忘れている、毎回同じような問題を起こしている人がいるってことありませんか?
過去の私です。
では私はどうだったのか?
私は、例にもれず論理的思考ができない人間でした。
上司に質問をされても、質問について答えを返すことができない。
〜の問題について、原因が何か質問されているのに、起きている事象を話しして、話ししているうちに何話しているかわからなくなる。
会議でのアジェンダやスコープから外れた発言をする。
開発するプロダクトの話をしているように、会議のスコープ外の契約上の懸念点を話す。
こんなことを繰り返していました。
できない自分が社会人大学院で何も学んだのか?
社会人大学院に入って、経営について学んでみたいという思いがありましたが、論理的思考を身につけるということも目的に入っていました。
私の大学院には、卒業するためには研究してペーパーを提出する必要があります。
実はこの研究というプロセスは、論理的思考を学ぶ枠組みになっています。
社会人の研究は、業務上の問題意識から生まれ、そのテーマを追い続けることになります。その問は、経営者目線、プロジェクトマネージャ、研究者、顧客、サプライヤー、組織内部など様々な切り口を持って考える必要があります。
研究が必要な問題は、様々な階層と複数の問題がからみあってその事象が生んでいます。
視点を固定して、整理しながら物事を考える必要がある研究では、論理的な思考をせざるえないです。
卒業するために、論理的に考えアウトプットせざる得ない環境。研究が論理的な思考が鍛えられる場になっていると卒業後に気づきました。
久しぶりにゼミに参加させてもらって思ったこと
今週ゼミに参加させてもらって、改めて、論理的な思考を鍛えることがこの研究というプロセスにはたくさん含まれていることに気づけました。
普段の会社員として自分のチームの中に、ゼミのような学ぶ仕組みを設定できているのか?学びになるアサインができているのか?その点を考えてみようと思いました。
全然考えられなかった自分でも、訓練をすれば論理的な思考ができるようになったよだからこそ難しいかもですが、人は成長するよ。そしてトレーニングしたいなら、研究のある大学院はおすすめかもです。って話でした。
最後に、では、本当に全ての人が身につけられるか?というと、そもそも自分で考えようとしているか?答えだけ求めていないかとか?姿勢や素養の話もあると思います。その点も今度考えてみます!
ここまで読んでいただきありがとうございました!
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