感情。。。
日記にも書いた授業について、思った事が沢山あったから賛否両論あるとは思う、けれど書いておきたいと思った。
授業内容はジェンダーについて。
わたしは今までジェンダーについてなにも考えた事がなかった。兄弟がいるからなのか、女子の小学校にも通っていたけれど、本当にびっくりするほどそういった類について、なにも関心もなく深くしっかりと考えたこともなかった。
今回の授業の内容としては「大学の祝辞から見える女性としてのあり方。」まとめるとそのようなことだった。私はその文章を読んで、先生の話を聞いて、きっとこんなこと言ったら授業の意味なんかなくなってしまうと思うような意見しか出てこなかった。でもそれは決して反論ではなくマイナスなことでもない。私としての個人意見。
まずなにが言いたいかというと、女性だから〜とか男子だから〜とかそうゆうふうに、カテゴリ分けをするから、"それは差別だ!"というような意見や考えが生まれるのだと思う。考えてみれば、みんな女でも男でもある前に、1人としての人間だ。女だからこうじゃなきゃいけないとか、男だからこうじゃなきゃいけない、というカテゴリは無い。だからそんな風に物事を考える自体がジェンダーや差別に繋がるのではないかと思った。でもそんなこと言っても、色々と反論したい人はいると思う。だから一意見、一つの見方として受け取って欲しい。
私は、女とか男とかじゃなくて、自分という人間として、その物事をどう捉えるか、どう感じて、どう考えるのかの方が、大切だと思う。
日本の人は特に今の若い人(全員とは言えないけど)は、右の人が赤を選んだら、じゃあ私も赤!みたいな人が多い、保守的だなと思う。自分を守ることに必死で、周りからなにも言われないようにガードしている。女や男というカテゴリはきっとその鎧と似ていて、それに対して怒りをぶつけることで、"ね?みんなも女だから、男だからって言われたでしょ!"という共感が欲しいのかなとも思った。でもそれはわかる。「なにを言ってんだこいつ都合がいいな!」とここまで読んで、思われても仕方ないが、その考えを否定したい訳ではない。
まとめると私はこの授業を通して、男尊女卑とかジェンダーにどうこう、とかと言うよりも、ひとりひとりの感覚や考え、意識によって、生まれる感情だと思ったのだ。決してその気持ちがわからない訳ではない、考え方を変えれば確かに問題にもなるからだ。けれどその一言や考えで自分の気持ちが辛くなったり、暗くなったりするなら、そんな風にカテゴリという鎧を剥いで、もっと自分と言う芯の部分だけに着目してほしい。そしたらきっと色々な考えが、明るい何か策が生まれるかもしれないから。私もすぐに情緒不安になるので今回の授業では逆にもっと良いように考えられないものかと思うことが出来た。とても良かったと思う。
#授業 #人間 #一人の人として #言いたいこと
#伝えたいこと #誰かに届け
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