90年代にブラックカルチャーにハマる

 どうしても、実家を出たかった私は、京都のとある大学を受験し、見事、合格した。実は、私は、かなりシャイな性格なのだが、どうも、自分が興味のある、または惹かれる人に対しては、話したいという欲求が勝つようだ。ただし、緊張しすぎて、うまく喋れないことが多いのだが。

 地味な仏教系の大学だったが、イケてるグループがいて、いつもたまっている場所があった。そのグループからは、夜の匂いがぷんぷんした。夜遊びに興味があった私は、勇気を出して、話しかけてみた。それが、今の私の原点。そのグループのうち、二人は、ホームボーイというヒップホップダンサーユニットだった。2回生のリュウ、そして同学年の長浦君。リュウは、いきなり「アキ」と下の名前でフレンドリーに接してくれ、年上にもかかわらず、私にもリュウと呼び捨てで呼んでくれとのことだった。そのグループには、ホームボーイのようにアメカジストリート系と、モッズ系の人達がいたが、なぜか、アメカジストリート系の方に魅力を感じた。

 リュウは、私を、木屋町3条のビル7Fにあったキングコークというバーに連れて行ってくれた。真っ暗な小さいバーだったが、バーと壁づたいのベンチの間で、数人が踊っていた。壁には、Wild Cherry などレコードジャケットがたくさん飾られていた。鉄格子がはめられたバーの中で、DJがレコードをかけている。それが、平田師匠(当時26才)との出会いだった。高校生の頃、バイト先の年上の姐さんが、ブラック系多めのミクステをせっせと作ってくれていたのだが、これらの音楽がヒップホップだということを認識したのは、このキングコークで、だった。当時、時代的にも、平田師匠率いる平田興業というDJ集団は、LAに傾倒していて、やれスヌープやドレなど、ガンガンかけていた。

 だけど、キングコークは、一晩中、ウエストサイドというわけではなかった。夜中1−3時ごろには、仁保さんという、バーテンダー兼DJが、ハウス、テクノ系を回し、その後、平田師匠が戻ると、80年代ソウルやR&Bが夜明けにかかるというルーティーンだった。

 DJ達は、レコードを箱に積んで、ゴロゴロひきづって移動していた時代。もちろん、Wifiもない。つまり、めっちゃ、ハマる曲がいっぱいあるのに、誰の曲かわからない。とりあえず、キングコークに通って、周りの大人やDJ達に聞くしかなかった。

 これは、キングコーク常連の他大学のかずおちゃんに教えてもらった、思い出の一曲。切れ端の紙に、アーティスト名と曲名を丁寧に書いてくれた。

 2年ほど前、夜明けにキングコークでめっちゃかかってた曲が突然、脳裏をよぎった。でも、アーティスト名が思い出せない。よぎったサビの一部を頼りに、YOU TUBEなどでググってみても、全く見つからない。となれば、もう、この人しか、いない。平田師匠に、ラインした。「サビの部分"every body every body fun fun tonight " って誰の歌でしたっけ」 。アメリカとの時差もあるのに、速攻で返事が返ってきた。「B.T. expressのHave some fun や」 テンションぶちあがったと同時に、当時のキラキラ感を思い出して、涙がちょちょぎれた。平田師匠も、もうとっくの昔にDJを辞めている。

 ヒップホップ、ブラックカルチャー。当時は、周りの人達に教えてもらうしかなかった。いや、今でも、現にこうやって平田師匠を頼りにしている。カルチャーが繋いでくれた輪。いかに、情報が溢れようとも、人と人の繋がりには勝てない。今度は、私が次世代に、知識や経験をシェアをして、輪を広げる番なのかもしれない。



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