見出し画像

金子みすゞの詩「わらひ」―花火がはじけるやうに

ずっと前のこと、NHKカルチャーラジオのテキスト、小池昌代『詩歌を楽しむ 詩を読んで生きる 小池昌代の現代詩入門』を読んだら、金子みすゞの詩「わらひ」が載っていた。

さすが詩人だ。いい詩を選ぶ。

■金子みすゞ「わらひ」

それはきれいな薔薇ばらいろで、
芥子けしつぶよりかちひさくて、
こぼれて土に落ちたとき、
ぱつと花火がはじけるやうに、
おほきな花がひらくのよ。

もしもなみだがこぼれるやうに、
こんな笑ひがこぼれたら、
どんなに、どんなに、きれいでせう。

金子みすゞ『空のかあさま』(新装版 金子みすゞ全集Ⅱ)JULA出版局、1984

■解釈

いきなり、「それ」から始まる。「それ」って何だろうと思って読んでいく。第1連で、「それ」がどういうものか説明されるが、よくわからない。

でも、第2連に「こんな笑ひ」とあるから、「それ」が「笑ひ」であることがわかる。そして、題が「わらひ」となっており、第1連最初の「それ」が題を受けていたことに気づく。

第2連は現在の詩人の心境を直接語っている。ここから逆算して、第1連が非現実の世界を示していたことが明らかになる。

笑いの粒というものがあって、バラ色で芥子粒よりも小さい。でも地面に落ちたら、花火のようにはじけて大きな花を咲かせる――そんな笑いの粒がある世界を空想している。

では現実はどんな状況なのだろうか。第2連の「もしも泪がこぼれるように」からわかるように、詩人は涙を流している。涙を流しながら、もしこの涙の一粒一粒が「笑い」だったら、と空想しているのだ。

全体の状況を思い描いてみる。花火が打ち上げられるのは夜なので、おそらく夜のこと。和服を着たさびしそうな若い女性が、家の勝手口から外に出てくる。地面にかがみ込む。誰にも見られないところで、こっそりと泣く。つらいこと、悲しいことがあったのだ。自分の涙が土の上に落ちて跳ねるのをじっと見る。そして、この涙が「笑い」の粒だったらいいのに、と思う。

末尾で「どんなに、どんなにきれいでしょう」と「どんなに」を繰り返している。悲しいことなんかみんなこの世からなくなって、いつも笑いがはじけるようだったらいいのに、と切に思っていることがよくわかる。

■参考文献

小池昌代『詩歌を楽しむ 詩を読んで生きる 小池昌代の現代詩入門』(NHKカルチャーラジオ)、NHK出版、2011

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?