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ヴェルレーヌ「空は屋根のかなたに」補足―シュロの葉?

ヴェルレーヌの「空は屋根のかなたに」について記事を書いた。永井荷風が「偶成」という題で訳したものだ。

さまざまな訳を見てみると、第1連後半の2行に大きな違いがあって気になった。

■原詩とさまざまな訳

★原詩の第1連
Le ciel est, par-dessus le toit,
    Si bleu, si calme!
Un arbre, par-dessus le toit,
    Berce sa palme.

問題は後半2行だ。以下、そこの訳だけ示す。

★永井荷風訳
樹は屋根のかなたに/青き葉をゆする。

★鈴木信太郎訳
屋根の上なる 檳榔樹びんろうじゅ/枝を ゆすれり

檳榔樹というのはヤシ科の常緑高木のことらしい。

★堀口大学
屋根の向うに/木の葉が揺れるよ。

★河上徹太郎訳
樹は屋根の彼方で/枝を揺がす。

★橋本一明いちめい
一本の木が 屋根のむこうに てのひらを/ゆすっています

★渋沢孝輔訳
一本ひともとの樹が、屋根の上で/枝葉をゆすっている。

手に入った大御所の訳はこんなところだ。木の葉が揺れているとするのは、永井荷風、堀口大学、渋沢孝輔だ。それに対して、鈴木信太郎は「檳榔樹」と木の種類を具体的に挙げている。また、河上徹太郎は「葉」ではなく「枝」とし、渋沢孝輔は「枝葉」としている。

ある論文では次のように訳されていた。

★大熊薫訳
木は/静かにその葉をゆすっている

ただし、論文内では「第一詩節において、彼はぼんやりと夢現の状態で外の風景を眺めている。そこに見えるものは『空』と『棕櫚の木、なつめやし』だけである」(13頁)と述べている。訳には入れてないが木は特定しているようだ。

ネット上でもいろいろな人が訳している。

★ネット1
屋根のむこうでは 一本の木が/葉っぱを揺らしている。

★ネット2
椰子の樹は屋根の向こうに/風に葉をなびかせて

★ネット3
棕櫚シュロの樹は屋根の上で/その枝を揺する。

ここでもただの木としているものと、シュロやヤシの木としているものに分かれる。

こうなったらAIに頼ろう。

★Google翻訳
屋根の上にある木は、その手のひらを抱きしめています。

★DeepL翻訳
屋根の上にある木が、椰子を抱いている。
屋根の上にある木が、その掌を包み込んでいる。

最初に出たのが第1候補、次のが別訳だ。

★Microsoft Wordによる翻訳
屋根の上の木が手のひらを揺りかごにしています。

機械翻訳では、「手のひら」と「椰子」の両方がある。「木の葉」はない。

いったい、どっちなんだ!

■plameの訳

問題は原語の"palme"だ。『クラウン仏和辞典』には、「シュロ(ヤシ)の枝葉」とある。「手のひら」という訳はない。『スタンダード仏和辞典』でも同じだ。

でも英語の"palm"には「手のひら」と「ヤシの葉」という二つの意味があって、ラテン語の"palma"から来ているという。

羅和らわ辞典まで引いてみる。"palma"は「手のひら」「シュロの枝」とある。

まあ、欧米では「シュロの枝」を「手のひら」に見立ててきたのだろう。手元の仏和辞典には特に「手のひら」という意味は記されてないが、フランス語はラテン語から来ているのだから、まあその意味もあると考えていいのだろう。うん、きっとそうだ。(と、決めつける)

■『獄中記』の記述

ところで、ヴェルレーヌは『獄中記』に、この詩ができたときのことを書いている。堀口大学の『ヴェルレーヌ詩集』や『日本の詩歌28 訳詩集』の注釈にその訳があるが、ここは思い切って自分で訳してみよう。

僕の窓(僕は窓を、本物の窓を持っていた! 長くてびっしりはまった鉄棒はあったが)の前に見える塀の向こうに――わびしい中庭では、言ってみれば僕の死ぬほどの退屈が転げまわっていた――、八月のことだったが、近くの広場か大通りにある何本かの高いポプラの木が風にそよぎ、葉の先が気持ちよさそうに揺れているのが見えた。同時に、遠くからかすかなお祭りのざわめきが聞こえてきた(ブリュッセルは僕の知る限り、もっとも陽気でおもしろい街だ)。それで僕は『叡智』に収めた次のような詩を作ったのだ。(以下、ヴェルレーヌは「空は屋根のかなたに」の一部を引用している)

(ヨジロー訳)

「ポプラの木(peuplier)」となっている! シュロやヤシの葉とポプラでは大違いだ。いったいどっちなんだ!

ヴェルレーヌは、詩を書いたのは「八月」、ブリュッセルにおいてだと述べている。

ピエール・プチフィスの伝記『ポール・ヴェルレーヌ』によれば、ヴェルレーヌは8月8日に最初の判決を受けた。8月27日には控訴審判決も出て、刑が確定した。10月25日にブリュッセルを離れ、モンスの刑務所に移った。

つまり、詩「空は屋根のかなたに」は、ブリュッセルの監獄で書かれたと考えていいだろう。モンスの刑務所ではないし、またカトリックに改宗してからでもない。逮捕されたのが7月10日だから、逮捕されて間もない頃だ。

ブリュッセルはヨーロッパの北のほうにある。ここにはシュロやヤシの並木はさすがにないのではないか。南フランスならともかく。(南フランスの町カンヌの映画祭の最高賞はパルム・ドール(Palme d'Or)で、「黄金のヤシ(シュロ)」という意味だ。)

■結論

ということで結論だ。

"palme"には「シュロ・ヤシの枝葉」と「手のひら」の両方の意味があるのだろう。そしてヴェルレーヌは「手のひら」の意味で使った。木の葉を「手のひら」にたとえたのだ。だが、「手のひらをゆすっている」ではわかりにくいので、大御所たちの多くは「木の葉をゆすっている」と訳したのだ。

機械翻訳はそういう配慮ができないので、「手のひら」と「ヤシの葉」のどちらかになったのだ。

詩だけを見れば、「シュロ・ヤシの葉」と訳せないことはない。というより、そう訳すのが普通だろう。しかし、ヴェルレーヌがこれだけはっきり言っているし、場所が北方のブリュッセルであることも勘案すると、そうは訳しにくい。「てのひらを/ゆすっています」という橋本一明の直訳もあるが、「木の葉をゆすっている」のほうがわかりやすくていいのではないか。まあ、これは好みの問題かも。

ところで、シュロとヤシってどう違うのだろう? それに、シュロやヤシには枝ってあるのか? 葉っぱだけなのか? あいつらはそもそも木なのか、草なのか?

もう調べるのに疲れた……

■参考文献

河上徹太郎訳:『世界名詩集14 マラルメ 詩集/ヴェルレーヌ 叡智』平凡社

渋沢孝輔訳:安藤元雄・入沢康夫・渋沢孝輔編『フランス名詩選』岩波文庫

鈴木信太郎訳:『ヴェルレエヌ詩集』岩波文庫

永井荷風訳:『珊瑚集』岩波文庫

橋本一明訳:『世界の詩集8・ヴェルレーヌ詩集』角川書店

堀口大学訳:『ヴェルレーヌ詩集』新潮文庫

大熊薫「Le ciel est, par-dessus le toit, におけるヴェルレーヌの魂の状態」、『熊本大学社会文化研究』第2巻、2004、1-16頁。

ピエール・プチフィス『ポール・ヴェルレーヌ』平井啓之・野村喜和夫訳、筑摩書房、1988

Paul Marie Verlaine: CEuvres en prose complètes, texte établi, présenté et annoté par Jaques Borel, Gallimard, 1972、337頁。『獄中記(Mes prisons)』は1893年発表。

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