三好達治の詩「甃のうへ」―をみなごに花びらながれ
「甃のうへ」は、三好達治の最初期の作品だ。詩を初めて発表したのが、1926年6月の同人誌『青空』であり、そこには「乳母車」などの詩が収められている。続く『青空』7月号に掲載されたのが「甃のうへ」だ。当時、三好達治は25歳で、東京帝国大学の2年生だった。のちに「甃のうへ」は第1詩集である『測量船』に収録された。
この詩はすでに1963年に、「新しい古典になっているほどポピュラーな作品」(小川1963、12頁)とされ、1983年には「三好達治のすべての作品の中でも、もっとも愛唱されること多く、もっとも広く知られている作品」(原崎1983、57頁)と言われた。
国語教科書にもしばしば掲載されているので多くの人になじみがあるだろう。
■三好達治「甃のうへ」
■語句
題名:甃のうへ――「うへ」は「うえ(上)」。
あはれ――感動詞。しみじみとした感動を表す言葉。心を打たれて発する言葉。「ああ」。
花びら――桜の花びら。
をみなご――若い女性、娘、乙女。(★1)
しめやかに――ひっそりと静かに。
うららかの――「うららかな」。三好達治独自の表現。
うららかの跫音――草履の軽やかな音。(★2)
をりふし――ときどき、ときおり。
み寺――「み寺」は、室生犀星の詩「春の寺」の影響(吉田68頁)。(★3)
甍――屋根の頂上部分、または屋根瓦のこと。ここでは瓦葺きの屋根全体を指す。
みどりにうるほひ――しっとりと緑色になっている。(★4)
廂々――「ひさしびさし」と読むのだろう。
風鐸――寺の軒の四隅に吊り下げてある鐘形の鈴。
しづかなれば――静かなので。
甃――寺の境内の敷石。石畳。
わが身の影――敷石に映る自分の影。(★5)
■解釈
◆詩の内容
詩は全体で2行の構成だ。前半が6行で、後半が5行。内容は次のようになろうか。
春。桜の花びらがそよ風に吹かれて、流れるように散っている。花びらは着物を身に着けた娘たち――袴を履いている?――をかすめてすぎる。娘たちは静かに話をしながら歩いていく。その足音が空に響いていく。娘たちはときおり顔を上げて、陽の射す春の寺の方を眺めやる。
娘たちの姿を見ていた「私」もまた、彼女らの視線の先を見上げる。寺の屋根はしっとりと緑色をしている。風が強いわけではないので、廂に掛かった風鐸は揺れていない。「私」は目を落とす。そこに見えるのは敷石に映った自分の影だ。私はその影を押しやるように歩いていく。
◆対照的な前半と後半
詩の前半と後半は対照的だ。
前半は複数の人物がいるのに対して、後半は「私」一人しかいない。「をみなご」は僕のイメージでは二人だ。
次に、まなざしの移動の違い。前半の娘たちのまなざしが上に向かうのに対して、後半の「私」のまなざしは下に向かう。
第三に、軽さから重さへの変化。前半の花びら、娘たちの語らいの言葉、足音、まなざしが軽やかなのに対して、後半の甍、廂、風鐸、甃は重々しい。画数の多い漢字がその印象を強める。「私」の「影」さえも重く感じられる。影は重量を持たないものだが、それを「あゆま」せなければならないとなると、意志の力が必要となり、重いもののように感じられてくる。
第四に、色。色もまた、前半と後半で一変する。前半は桜の花びらの薄いピンク、「をみなご」の彩り豊かな衣装、そしておそらく青空。それを見上げる明るい茶色の瞳。ところが後半は濃緑の甍、暗色の廂や風鐸、鈍色の石畳、そして自分の黒い影。詩全体がゆっくりと明から暗へと移行する。
そして最後に、音。前半には「語らひ」や「跫音」などの音があるのに対して、後半は「しづか」だ。風鐸だけでない。甍も廂も影もそもそも音を立てない。そして「私」も沈黙している。
◆テーマ
前半を読んでいくと、春の情景のスケッチかと思う。桜の花びらの流れる中を歩く娘たち、寺の屋根を見上げる娘たち。絵になる情景だ。しかし、後半を読むと、それは「私」が見ていた情景であることがわかる。そして「私」が一人で歩いていることも――。
最後の2行は単なる情景スケッチではない。そこには重い心を抱える「私」がいる。「わが身の影」とは「私」の重い心だ。だが、なぜ「私」の心は重いのか。
春の中を通りすぎていく娘たちの明るい、屈託のない世界――自分がそういう世界から排除されていると感じるからだろうか。それで孤独がつのってくるのだろうか。
上に見たように、前半と後半は対照的だ。前半は娘たちの世界、後半は「私」の世界だ。
前半は終わりは、「翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり」となっている。「なり」は断定の助動詞だ。きっぱりと言い切ることによって、美しい世界に截然と区切りをつけている。そして「私」の世界が来る。
後半は、最初の三行が従属文、後半が主文になっている。「風鐸のすがたしづかなれば」の「しづかなれば」は、「静かなので」と理由を説明するものだ。つまり、「寺の屋根瓦がしっとりと緑になっており、また廂に下がった風鐸も静かなので、私は一人で石畳を歩いていく」という意味になる。
そう考えると次のように解釈できると思う。前半の美しい世界に「私」は心を動かされる。明るく華やかで、軽やかな乙女たちの世界と自分の生きている世界の落差を感じて動揺する。だが「私」は、寺の屋根瓦に苔が生えて緑になっているのを見て(長い歴史がある)、また廂に掛かった風鐸が微動だにしないのを見て(桜の花びらとは違って)、心の落ち着きを取り戻す。
「ひとりなる/わが身の影をあゆまする」は、自分は自分の世界を生きていこう思っている、そのことを静かに確認したものだ。「わが身の影をあゆまする」には「私」の主体的な意志がある。自分が重いものであっても、それを運んでいこう、という意志が。
だから、「ひとりなる/わが身の影をあゆまする」は嘆きではない。自分は一人だと思って孤独をかみしめて歩いていくという終わり方にはなっていない。
「私」の心がなぜ重いのかはこの詩では語られていない(★6)。語られているのは、軽やかな娘たちの姿と、心に重荷を背負った私の対照だけだ。
乙女らのまなざしとともに目を上げ、再び目を下ろす、このわずかな時間における「私」の心の揺れを描いている。
■さまざまな解釈
以下、これまでのさまざまな解釈を概観していくが、まず最初に、筆者が重視した「しづかなれば」がどのように受け取られているのかを見ておく。
◆「しづかなれば」の解釈
「しづかなれば」は文法的にはどのような形になっているのか。「なれば」に含まれる「なり」は断定の助動詞で、「である」という意味だ。「なれ」は「なり」の已然形。「ば」は接続助詞で、已然形に付くときは「~ので、~だから」と原因・理由を表す。
さまざまな解釈を見たが、「しづかなれば」について言及している解釈はほとんどない。みんなあまり気にしてないようだ。
▲三好達治:1963
まず、三好達治自身の発言。1963年1月18日、高等学校の生徒を対象とするNHKの放送で語ったものだ。
とてもわかりにくいが、「ここに本当の論理的な原因結果はちっともない」と言い、「表面の論理性にとらわれない」ように促している。
う~む、ショックだ。作者にこう言われると、僕の解釈が破綻するではないか。
「甃のうへ」が発表されたときの三好達治は26歳になる直前の青年。NHK放送で発言したときの三好達治は62歳だ。だいぶ歳をとっているので昔のことは茫洋としているのではないか、などと失礼なことを思ったりする。
それはともかく、ニュークリティシズムや作品内在解釈や構造主義やテクスト論のような作品中心主義の立場からすれば、<作品には作者の意識的な側面ばかりでなく無意識も反映されているので、作者といえども読者の一人にすぎない>といえるのだ。今回はこれの助けを借りて、作者の発言を無視しよう。
それに、三好達治自身、次のようにも述べているのだ。
う~む、すばらしい言葉だ。解釈者にとって大いに励ましとなる。
▲関良一:1964
関良一は、次のように述べている。
「論理の飛躍がある」と明言した上で、「しずかなれば」とそれ以降をなんとかつなごうと苦労している。
「因果律的には何の関連も見いだせない」としているが、ここでも「破綻」していないとする。関の見解は、上記の三好達治の発言を尊重したものだ。僕のようにあっさり無視してはいない。
▲原崎孝:1983
原崎孝も、「論理的にはあいまい」だとするが、同時に次のように述べる。
日本の古典文学の素養のない僕にはよくわからない。原崎は基本的には関良一の説を踏襲しているようだ。
ざっと探したところでは、「しづかなれば」に言及しているのはこの二人だけだった。ただ、二人ともちょっと困っているように感じる。
◆詩は何を表現しているか
▲吉田精一:1954
▲村上菊一郎:1959
作者は「青春の孤独をもてあまして」いる。最後の一行は、「どうしようもない春の愁いを余韻深く表現している」。(22頁)
▲小川和佑:1963
▲関良一:1964
難しいが、簡単に言えば次のようになろう。「み寺の甍」「廂々」「風鐸」が示す、静的な実在性、重さ、暗さが、次にくる「ひとりなるわが身の影をあゆまする甃のうへ」に含まれる心理的状況と連続している。だから「しづかなれば」は、表面的な論理では理由とはなっていないが、心理的には論理的と言える。
関良一は、終わりの二行をこの詩の「本文」(229頁)とみなし、それ以前の部分はすべてこの二行のための「序」にすぎないとする。終わりの二行では、作者がもう一人の自分を登場させることで、「自己の実存を確め」ようとしている、という。
関はこの詩を、「単なる感性的な心象風景」ではなく、自己の実存を確認する知的作品――「古典的な、優雅な哀傷でさりげなく」包まれてはいるが――と見る。
▲村野四郎:1966
▲阪本越郎:1967
▲大岡信:1968
テーマについては、「春愁」「孤独の愁い」などほかの評者と一致しているが、それとは別に「作者の視線のゆるやかな移動」に注意を促している。
う~む、最後は詩人らしくまとめている。
▲安西均:1969
最後の2行について。
▲飛高隆夫:1969
▲小川和佑:1976
▲原崎孝:1979
▲原崎孝:1983
▲西原大輔:2015
■技法
いろいろな解釈者がこの詩の技法について語っている。なるほどと感心したものをいくつか紹介する。
▲題の「甃のうへ」の「うへ」はなぜ平仮名か
「『甃』の字をくっきり浮かび上がらせる働き」(関223頁)をしている。
▲構成
後半の2行が大事なのは確かであるが、ここまで言い切っていいものか。
▲連用止め
「花びらながれ」「語らひあゆみ」「跫音空にながれ」などと連用止めが続くのは、「事象を流動の形でとらえようとする」(吉田69頁)から。吉田は、萩原朔太郎の「竹」の影響だろうという。
▲反復と連鎖
関良一は、「反復と連鎖のレトリックを絡み合わせて進行させている」(224頁)という。
2行目:1行目の「花びらながれ」が繰り返される。
3行目:2行目の「をみなご」が反復される。
4行目:3行目の「あゆみ」が「跫音」へとつながる。
さらに、「み寺の春」から「み寺の甍」へと続く。
▲2行にわたって繰り返す
▲「ながれ」の効果
「花びらながれ」と「跫音ながれ」と「ながれ」を使うことで、視覚的イメージと聴覚的イメージを同じ方向に動かしている。「花びら散り」だったら、方向はバラバラになってしまう。「跫音響き」だったら、これが「花びらながら」の視覚的イメージとつながらなくなってしまう。(川崎376頁)
▲「うららかの」
筆者は、「うららかの」と五音にするためではないかと思う。古語では「うららかなる」となるが、「うららかなる跫音空にながれ」ではいかにも調子が悪い。
▲「み寺の春」
▲頭韻
「み寺の甍みどりにうるほひ」――「み寺」と「みどり」は頭韻となっている。(関215頁)
▲「幾何学的な線」
後半は、「甍」「廂」「甃」と「幾何学的な線」で区切られている。(関228-229頁)
▲「わが身の影をあゆまする」
「わが身をあゆまする」ではなく、「わが身の影をあゆまする」とすることで、詩人の孤独さがはっきり示されることになる。「をみなご」は複数で、「語らひあゆむ」が、詩人は一人なので、「わが身の影」を自分の足もとにあゆませるほかはない。(川崎378頁)
▲自然さと意志の力
■おわりに
諸家の解釈を概観すると、1954年の吉田精一の「うら若い詩人の春愁」という言葉が決定的で、その後ほとんどがその影響を受けているようだ。
「どうしようもない春の愁い」(村上菊一郎)、「愁しみ」(小川和佑)、「青年期の堪えがたい春愁」(阪本越郎)、「孤独の愁い」(大岡)、「うららかな春の日の底にひそむ寂寥」(飛高隆夫)、「青年の孤独、孤独をかみしめている青年の姿」(原崎孝)、「青春期の孤独感や春愁」(西原大輔)などだ。
その中では、「自己の実存を確かめ」つつあるとする関良一の解釈はやや異色か。
筆者はこれまでずっと、この詩を、明るく軽やかな乙女たちの姿を見て、自分の生きている世界との隔絶を感じ、孤独をかみしめている青年の詩だと理解していた。
改めて詩を読んでみると、「しづかなれば」にひっかかってしまって、そのような最初の理解とは違った解釈になってしまった。諸家の解釈と比べると異質だが――まあ、いいか。
■注
★1:小川(1963)は、「をみなご」らは和服を着ている、と考えている(17頁)。――筆者には袴をはいた昔の女学生のイメージが浮かんでくる。
★2:小川(1976)は、「この〈跫音〉は木履(=下駄の類)のような重い履物ではない。それでは〈うららかの〉という語の詩の爽快味は消えてしまい、その桜と舞子というような俗悪な映像になってしまう」(202頁)と述べている。
★3:モデルとなった「寺」については、いろいろ言われている。
三好達治自身は次のように述べている。
★4:「みどりにうるほひ」には、三つの解釈がある。
1.周囲の木々の緑が映っている。
2.古い寺なので屋根に苔が生えている。
3.銅葺きの屋根を緑青が覆っている。
三好達治自身は、いずれなのかという読者の質問に「私は軽い驚きと、返答のしようのない困惑を覚える外はない」(全集6、287頁)と述べ、さらに次のように説明している。
つまり、どう受け取ってもかまわないということだ。筆者は、「うるほひ」という言葉に湿り気を感じるので、古い寺の瓦に苔が生えているというイメージを採用する。
★5:関良一は、「『影』はすがた。『ひとりなるわが身の影』は、漢語「孤影」の和訳と見られる。それでいて、石だたみに映っているわが身のシルエットの意もいくらか伴っているように感じられる」と述べている(216頁)。筆者は単純に石畳に映った影と捉える。
★6:吉田精一は次のように述べている。
三好達治自身は次のように語っている。
■参考文献
安西均「三好達治」、伊藤信吉『現代詩鑑賞講座 第10巻 現代の抒情』角川書店、1969、12-14頁
安藤靖彦『鑑賞 日本現代文学 第19巻 三好達治・立原道造』角川書店, 1982
石原八束 『駱駝の瘤にまたがって――三好達治伝』新潮社、1987
大岡信「三好達治」の項目、吉田精一・分銅惇作・大岡信編『現代詩評釈』学燈社、1968
小川和佑『詩の読み方』笠間書院、2015、11-24頁(初出は、『日本象徴詩論序説』1963)
小川和佑『三好達治研究』教育出版センター、1976、193-208頁
川崎寿彦『分析批評入門」至文堂、1967
阪本越郎「甃のうへ」の注釈、伊藤信吉、伊藤整、井上靖、山本健吉編『日本の詩歌22 三好達治』中央公論社、1967、9-10頁
関良一『日本近代詩講義』学燈社、1964
三好達治「甃のうへ」、『三好達治全集6』筑摩書房、1965、283-299頁(初出は、『国文学 解釈と鑑賞』第26巻第8号、1961年6月号)
西原大輔『日本名詩選2』笠間書院、2015
原崎孝「三好達治」の項目、小海永二編『現代詩の解釈と鑑賞事典』旺文社、1979、429-432頁
原崎孝「三好達治『郷愁』『甃のうへ』」、増淵恒吉ほか編『国語教材研究講座 高等学校現代文 中巻 詩・・短歌・俳句』有精堂出版、1983、52-63頁
飛高隆夫「三好達治」の項目、吉田精一・分銅惇作編『近代詩鑑賞辞典』東京堂出版、1969、436-438頁
村上菊一郎編『近代文学鑑賞講座 第二十巻 三好達治・草野心平』角川書店、1959
村野四郎『鑑賞現代詩Ⅲ 昭和』筑摩書房、1966
吉田精一『日本近代詩鑑賞 昭和篇』新潮文庫、1954
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