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三好達治の詩「甃のうへ」―をみなごに花びらながれ

いしのうへ」は、三好達治の最初期の作品だ。詩を初めて発表したのが、1926年6月の同人誌『青空』であり、そこには「乳母車」などの詩が収められている。続く『青空』7月号に掲載されたのが「甃のうへ」だ。当時、三好達治は25歳で、東京帝国大学の2年生だった。のちに「甃のうへ」は第1詩集である『測量船』に収録された。

この詩はすでに1963年に、「新しい古典になっているほどポピュラーな作品」(小川1963、12頁)とされ、1983年には「三好達治のすべての作品の中でも、もっとも愛唱されること多く、もっとも広く知られている作品」(原崎1983、57頁)と言われた。

国語教科書にもしばしば掲載されているので多くの人になじみがあるだろう。

■三好達治「甃のうへ」

あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの跫音あしおと空にながれ
をりふしに瞳をあげて
かげりなきみ寺の春をすぎゆくなり
み寺のいらかみどりにうるほひ
ひさし々に
風鐸ふうたくのすがたしづかなれば
ひとりなる
わが身の影をあゆまするいしのうへ

■語句

題名:甃のうへ――「うへ」は「うえ(上)」。

あはれ――感動詞。しみじみとした感動を表す言葉。心を打たれて発する言葉。「ああ」。

花びら――桜の花びら。

をみなご――若い女性、娘、乙女。(★1)

しめやかに――ひっそりと静かに。

うららかの――「うららかな」。三好達治独自の表現。

うららかの跫音――草履の軽やかな音。(★2)

をりふし――ときどき、ときおり。

み寺――「み寺」は、室生犀星の詩「春の寺」の影響(吉田68頁)。(★3)

いらか――屋根の頂上部分、または屋根瓦のこと。ここでは瓦葺かわらぶきの屋根全体を指す。

みどりにうるほひ――しっとりと緑色になっている。(★4)

廂々――「ひさしびさし」と読むのだろう。

風鐸――寺の軒の四隅に吊り下げてある鐘形の鈴。

しづかなれば――静かなので。

甃――寺の境内の敷石。石畳。

わが身の影――敷石に映る自分の影。(★5)

■解釈

◆詩の内容

詩は全体で2行の構成だ。前半が6行で、後半が5行。内容は次のようになろうか。

春。桜の花びらがそよ風に吹かれて、流れるように散っている。花びらは着物を身に着けた娘たち――袴を履いている?――をかすめてすぎる。娘たちは静かに話をしながら歩いていく。その足音が空に響いていく。娘たちはときおり顔を上げて、陽の射す春の寺の方を眺めやる。

娘たちの姿を見ていた「私」もまた、彼女らの視線の先を見上げる。寺の屋根はしっとりと緑色をしている。風が強いわけではないので、廂に掛かった風鐸は揺れていない。「私」は目を落とす。そこに見えるのは敷石に映った自分の影だ。私はその影を押しやるように歩いていく。

◆対照的な前半と後半

詩の前半と後半は対照的だ。

前半は複数の人物がいるのに対して、後半は「私」一人しかいない。「をみなご」は僕のイメージでは二人だ。

次に、まなざしの移動の違い。前半の娘たちのまなざしが上に向かうのに対して、後半の「私」のまなざしは下に向かう。

第三に、軽さから重さへの変化。前半の花びら、娘たちの語らいの言葉、足音、まなざしが軽やかなのに対して、後半の甍、廂、風鐸、甃は重々しい。画数の多い漢字がその印象を強める。「私」の「影」さえも重く感じられる。影は重量を持たないものだが、それを「あゆま」せなければならないとなると、意志の力が必要となり、重いもののように感じられてくる。

第四に、色。色もまた、前半と後半で一変する。前半は桜の花びらの薄いピンク、「をみなご」の彩り豊かな衣装、そしておそらく青空。それを見上げる明るい茶色の瞳。ところが後半は濃緑の甍、暗色の廂や風鐸、鈍色にびいろの石畳、そして自分の黒い影。詩全体がゆっくりと明から暗へと移行する。

そして最後に、音。前半には「語らひ」や「跫音」などの音があるのに対して、後半は「しづか」だ。風鐸だけでない。甍も廂も影もそもそも音を立てない。そして「私」も沈黙している。

◆テーマ

前半を読んでいくと、春の情景のスケッチかと思う。桜の花びらの流れる中を歩く娘たち、寺の屋根を見上げる娘たち。絵になる情景だ。しかし、後半を読むと、それは「私」が見ていた情景であることがわかる。そして「私」が一人で歩いていることも――。

最後の2行は単なる情景スケッチではない。そこには重い心を抱える「私」がいる。「わが身の影」とは「私」の重い心だ。だが、なぜ「私」の心は重いのか。

春の中を通りすぎていく娘たちの明るい、屈託のない世界――自分がそういう世界から排除されていると感じるからだろうか。それで孤独がつのってくるのだろうか。

上に見たように、前半と後半は対照的だ。前半は娘たちの世界、後半は「私」の世界だ。

前半は終わりは、「翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり」となっている。「なり」は断定の助動詞だ。きっぱりと言い切ることによって、美しい世界に截然せつぜんと区切りをつけている。そして「私」の世界が来る。

後半は、最初の三行が従属文、後半が主文になっている。「風鐸のすがたしづかなれば」の「しづかなれば」は、「静かなので」と理由を説明するものだ。つまり、「寺の屋根瓦がしっとりと緑になっており、また廂に下がった風鐸も静かなので、私は一人で石畳を歩いていく」という意味になる。

そう考えると次のように解釈できると思う。前半の美しい世界に「私」は心を動かされる。明るく華やかで、軽やかな乙女たちの世界と自分の生きている世界の落差を感じて動揺する。だが「私」は、寺の屋根瓦に苔が生えて緑になっているのを見て(長い歴史がある)、また廂に掛かった風鐸が微動だにしないのを見て(桜の花びらとは違って)、心の落ち着きを取り戻す。

「ひとりなる/わが身の影をあゆまする」は、自分は自分の世界を生きていこう思っている、そのことを静かに確認したものだ。「わが身の影をあゆまする」には「私」の主体的な意志がある。自分が重いものであっても、それを運んでいこう、という意志が。

だから、「ひとりなる/わが身の影をあゆまする」は嘆きではない。自分は一人だと思って孤独をかみしめて歩いていくという終わり方にはなっていない。

「私」の心がなぜ重いのかはこの詩では語られていない(★6)。語られているのは、軽やかな娘たちの姿と、心に重荷を背負った私の対照だけだ。

乙女らのまなざしとともに目を上げ、再び目を下ろす、このわずかな時間における「私」の心の揺れを描いている。

■さまざまな解釈

以下、これまでのさまざまな解釈を概観していくが、まず最初に、筆者が重視した「しづかなれば」がどのように受け取られているのかを見ておく。

◆「しづかなれば」の解釈

「しづかなれば」は文法的にはどのような形になっているのか。「なれば」に含まれる「なり」は断定の助動詞で、「である」という意味だ。「なれ」は「なり」の已然形。「ば」は接続助詞で、已然形に付くときは「~ので、~だから」と原因・理由を表す。

さまざまな解釈を見たが、「しづかなれば」について言及している解釈はほとんどない。みんなあまり気にしてないようだ。

▲三好達治:1963
まず、三好達治自身の発言。1963年1月18日、高等学校の生徒を対象とするNHKの放送で語ったものだ。

「風鐸のすがたしづかなれば」だから原因結果のような構造にことばの上ではなっていますが、ここに本当の論理的な原因結果はちっともないので(……)。自分の孤独な影をあゆましている――あゆんでいるのは自分であって、あゆましているのも自分であるのだという風にこう自分を二重に考えている、そいういう心の奥行ですかね、心の二元性のようなものを表したいために、原因結果のような形を借りているのでありまして(……)つまり詩を読む時には、詩人が色々な技巧と言いますか、設定をする――それをことばの表面からだけとらないで心理的内部に入るような受け取り方で読んでいただきたいと思います。表面の論理性にとらわれないということであります。(関227頁より引用)

とてもわかりにくいが、「ここに本当の論理的な原因結果はちっともない」と言い、「表面の論理性にとらわれない」ように促している。

う~む、ショックだ。作者にこう言われると、僕の解釈が破綻するではないか。

「甃のうへ」が発表されたときの三好達治は26歳になる直前の青年。NHK放送で発言したときの三好達治は62歳だ。だいぶ歳をとっているので昔のことは茫洋としているのではないか、などと失礼なことを思ったりする。

それはともかく、ニュークリティシズムや作品内在解釈や構造主義やテクスト論のような作品中心主義の立場からすれば、<作品には作者の意識的な側面ばかりでなく無意識も反映されているので、作者といえども読者の一人にすぎない>といえるのだ。今回はこれの助けを借りて、作者の発言を無視しよう。

それに、三好達治自身、次のようにも述べているのだ。

作品は、読者の理解味読にまかせておくのが好ましい。(……)作品は作者を離れて、自然に無理なく、世間の中に受とられてゆく。それがよく、それでいいのである。(全集6、284頁)

秀れた作品ならばそれらを背負ってやはりその生き方で世間に生きてゆくのである(……)(全集6、284頁)

そこにはさまざまな予想のできない副作用も、従って連鎖的に生ずることであろう。それでもかまわないし、それが面白かろうではないかと私は思う。(全集6、285頁)

詩は読者の側で、めいめいがその受けとり方を一つの創造として、自由に、だから楽しく、受けとるべき筋合のものである。(全集6、288頁)

う~む、すばらしい言葉だ。解釈者にとって大いに励ましとなる。

▲関良一:1964
関良一は、次のように述べている。

「風鐸のすがたしづかなれば」は、次の「ひとりなるわが身の影をあゆまする甃のうへ」を導き出す条件になっており、「しづかなれば」の前後にはいわば論理の飛躍があるが、にもかかわらず、永劫に停止しているような風鐸の、いわば静のすがたと「ひとりなるわが身」の孤愁とは相似的、順接的に、その「わが身の影をあゆまする甃のうへ」という動とはいわば対照的、逆接的に関連している。(215-216頁)

「論理の飛躍がある」と明言した上で、「しずかなれば」とそれ以降をなんとかつなごうと苦労している。

「しづかなれば」までの前提と「ひとりなる」以下の結論とは、形式的、文法的には破綻なく接続し、整合してはいるが、現象的、因果律的には何の関連も見いだせない。にもかかわらず、心理的には、前者は後者をみごとに導き出している。(229頁)

「因果律的には何の関連も見いだせない」としているが、ここでも「破綻」していないとする。関の見解は、上記の三好達治の発言を尊重したものだ。僕のようにあっさり無視してはいない。

▲原崎孝:1983
原崎孝も、「論理的にはあいまい」だとするが、同時に次のように述べる。

客観的な事物の描写が、論理的な説明を省略して作者の主観的な判断と直結して、主情の表現に移行するというような措辞は、日本の古典文学の中には数限りなく見出すことができるであろう(……)風鐸の孤影に、この詩人は自分自身の心象を見た、というふうに説明すればわかるだろうか。(59-60頁)

日本の古典文学の素養のない僕にはよくわからない。原崎は基本的には関良一の説を踏襲しているようだ。

ざっと探したところでは、「しづかなれば」に言及しているのはこの二人だけだった。ただ、二人ともちょっと困っているように感じる。

◆詩は何を表現しているか


▲吉田精一:1954

「ひとりなる わが身の影をあゆまする甃のうへ」には、青春のそこはかとないさびしさが、深くこもっている。「わが身の影をあゆまする」には、客観的・観照的なすがたがある。それにともなう哀愁のごときただよいがある。うら若い詩人の春愁がこの明るいうららかな春光と、をみなごらのしめやかなあゆみとによって一層きわ立ち、一そう深められて感じられるのである。(72頁)

▲村上菊一郎:1959
作者は「青春の孤独をもてあまして」いる。最後の一行は、「どうしようもない春の愁いを余韻深く表現している」。(22頁)

▲小川和佑:1963

すべて流動し、流動する中で動かぬのは風鐸のみ。否、そして、わが青春はしばしばこの流動の中に取り残されるのであろうか。明るい真昼の春の中にもわが孤独はある。青春はしばしば人を疎外者にする。そしてつぶやく〈青春は孤独だ〉と。その呟きの中にあって、わがかなしみはひとりなるわが身の影をあゆまするいしだたみの上にありと嗟嘆さたんするのである。(19頁)

▲関良一:1964

「み寺の甍」「廂々」「風鐸」の内包し、またそれらが全体として構成している、限定された、スタティックな実在性、重さ、暗さ、「しづか」さが、次の――「架空」の心象風景の前に彳立ちょりつし、もうひとりの自分をその風景の内部に放ち、歩ませ、彼とわれとのへだたりを測り、風景の外部から内部を眺め、そこに内在する眺められる自己にむかうことによって逆に眺める自己の実存を確かめつつあるという心理的状況を、論理的に支えている。(229頁)

難しいが、簡単に言えば次のようになろう。「み寺の甍」「廂々」「風鐸」が示す、静的な実在性、重さ、暗さが、次にくる「ひとりなるわが身の影をあゆまする甃のうへ」に含まれる心理的状況と連続している。だから「しづかなれば」は、表面的な論理では理由とはなっていないが、心理的には論理的と言える。

関良一は、終わりの二行をこの詩の「本文」(229頁)とみなし、それ以前の部分はすべてこの二行のための「序」にすぎないとする。終わりの二行では、作者がもう一人の自分を登場させることで、「自己の実存を確め」ようとしている、という。

関はこの詩を、「単なる感性的な心象風景」ではなく、自己の実存を確認する知的作品――「古典的な、優雅な哀傷でさりげなく」包まれてはいるが――と見る。

▲村野四郎:1966

この詩の主題は、晩春の淡わ淡わとした情緒が総てであって(……)(13頁)

春の日の静かな情景と淡い情緒を写したものだが、そのどこかに、何か空ろな、ものの輪郭の麻痺したような意識の欠落状態が、ひそかに流れている(……)(13頁)

なぜかしらぬ肌寒さ。それは、このあえかな世界の向うはすぐに虚無の世界につづいていることを予感させるような、ひえびえとした情緒である。(13頁)

うつくしい春の日の底にひそむ、捉えようもない微かな寂寥の情緒が、この作品の真の主題(……)

▲阪本越郎:1967

この詩のかなめは「ひとりなる/わが身の影をあゆまする甃のうへ」にある。一歩一歩孤独を感じながら歩いていく、青年期の堪えがたい春愁が、余韻深く漏らされている。(10頁)

外景がうららかであればあるほど詩人の内面の悲哀は濃い(……)(10頁)

▲大岡信:1968
テーマについては、「春愁」「孤独の愁い」などほかの評者と一致しているが、それとは別に「作者の視線のゆるやかな移動」に注意を促している。

つまりこの詩は、そこはかとなく漂ってゆく詩人の視線がつぎつぎに見いだす春の風物を、ごく自然に、なだらかに叙してゆきながら、その視線がふたたび彼自身の影の静かな歩みにまで戻ってくる、ゆるやかな旋回運動を、構成の中心においているのである。この旋回運動が、最後に詩人自身の姿にもどってくるとき、この詩のもつ感傷性が美しく結晶する。(234頁)

う~む、最後は詩人らしくまとめている。

▲安西均:1969
最後の2行について。

自己の分身(影)を客観視している語法に、周囲のうるわしさに陶酔することのできない近代人の冷めたものがなしい姿勢が凝縮している。(18頁)

▲飛高隆夫:1969

うららかな春の日の底にひそむ寂寥を、視覚的イメージと韻律とのみごとな合致をもって歌った一編である。(438頁)

▲小川和佑:1976

流動するものの中で、ひとり風鐸のみは静止し、この春の流動の中より疎外されている。――すべては流動し、移り変わる中に動かぬものは、この風鐸のみであろうか。否、そして、わが青春も……、という宿命への嘆き。春たけなわの真昼の明るさの中にもわがかなしみはあるという嘆き(……)(204頁)

▲原崎孝:1979

作者の孤独感の深さが――前半のはなやいだ乙女たちの姿とは対比的に、一人己の影のみを道連れに、ひっそりと石だたみの上を歩いて行く青年の孤独が――感じ取れるはずである。(431頁)

▲原崎孝:1983

花びらの散る中を歩いてゆくおとめたちの姿と、そのさざめきの中にあって、大屋根の廂に下がっている動かぬ風鐸の孤影に、詩人は己の孤独を見たのであろう。(59頁)

まわりの華やぎの中で、孤独をかみしめている青年の姿がうかび上がってくるだろう。(60頁)

独りのうれいを、情緒のみにおぼれることなく、覚めたもうひとつの目でとらえているところが、三好の近代性であろう。(60頁)

▲西原大輔:2015

青春期の孤独感や春愁を描いた文語調の作品。何のうれいもないかの如くひたすら美しい少女たち、さらには散りかかる桜の「花びら」の存在が、かえって語り手の寂しさを深めている。(57頁)

■技法

いろいろな解釈者がこの詩の技法について語っている。なるほどと感心したものをいくつか紹介する。

▲題の「甃のうへ」の「うへ」はなぜ平仮名か
「『甃』の字をくっきり浮かび上がらせる働き」(関223頁)をしている。

▲構成

前段六行は後段五行の大序、後段の初め三行は次の(終りの)二行の小序であるように構成されている。(関良一229頁)

後半の2行が大事なのは確かであるが、ここまで言い切っていいものか。

▲連用止め
「花びらながれ」「語らひあゆみ」「跫音空にながれ」などと連用止めが続くのは、「事象を流動の形でとらえようとする」(吉田69頁)から。吉田は、萩原朔太郎の「竹」の影響だろうという。

▲反復と連鎖
関良一は、「反復と連鎖のレトリックを絡み合わせて進行させている」(224頁)という。

あはれ花びらながれ
をみなごに花びらながれ
をみなごしめやかに語らひあゆみ
うららかの跫音あしおと空にながれ

2行目:1行目の「花びらながれ」が繰り返される。
3行目:2行目の「をみなご」が反復される。
4行目:3行目の「あゆみ」が「跫音」へとつながる。
さらに、「み寺の春」から「み寺の甍」へと続く。

▲2行にわたって繰り返す

「花びら」「をみなご」「み寺」といった言葉が二行連続で現れる点も興味深い。語り手の意識は停滞し、なかなか動いてゆかない。(西原57頁)

▲「ながれ」の効果
「花びらながれ」と「跫音ながれ」と「ながれ」を使うことで、視覚的イメージと聴覚的イメージを同じ方向に動かしている。「花びら散り」だったら、方向はバラバラになってしまう。「跫音響き」だったら、これが「花びらながら」の視覚的イメージとつながらなくなってしまう。(川崎376頁)

▲「うららかの」

「うららかな」とせず、「うららかの」としたことによって「うららか」さが実体化されている。(関214-215頁)

連体形「うららかなる」とせず、〈うららかの〉としたことによって詩語の響きに軽快さがあり、達治の意図通り「うららかさ」が実現されたといえるであろう。(小川1976、201頁)

筆者は、「うららかの」と五音にするためではないかと思う。古語では「うららかなる」となるが、「うららかなる跫音空にながれ」ではいかにも調子が悪い。

▲「み寺の春」

もし「春のみ寺を……」とすると、寺という一個の場所を指すことになる。(川崎377頁)

「春のみ寺」という場合と、語感の上で微妙な相違があることに注意すべきだろう。み寺をうちに蔵し、いままさに天地をおおっている春という季節そのものの実感が、このような語法となってあらわれているのである。(大岡233頁)

▲頭韻
「み寺の甍みどりにうるほひ」――「み寺」と「みどり」は頭韻となっている。(関215頁)

▲「幾何学的な線」
後半は、「甍」「廂」「甃」と「幾何学的な線」で区切られている。(関228-229頁)

▲「わが身の影をあゆまする」
「わが身をあゆまする」ではなく、「わが身の影をあゆまする」とすることで、詩人の孤独さがはっきり示されることになる。「をみなご」は複数で、「語らひあゆむ」が、詩人は一人なので、「わが身の影」を自分の足もとにあゆませるほかはない。(川崎378頁)

▲自然さと意志の力

「をみなご」が自然に「あゆ」むのに対し、「わが身」の描写においては「影をあゆまする」と、使役形が使われている。煩悶にとりつかれている詩人は、立ち止まってしまわないよう、意志の力で意識的に歩いているのだ。(西原57頁)

■おわりに

諸家の解釈を概観すると、1954年の吉田精一の「うら若い詩人の春愁」という言葉が決定的で、その後ほとんどがその影響を受けているようだ。

「どうしようもない春の愁い」(村上菊一郎)、「かなしみ」(小川和佑)、「青年期の堪えがたい春愁」(阪本越郎)、「孤独の愁い」(大岡)、「うららかな春の日の底にひそむ寂寥」(飛高隆夫)、「青年の孤独、孤独をかみしめている青年の姿」(原崎孝)、「青春期の孤独感や春愁」(西原大輔)などだ。

その中では、「自己の実存を確かめ」つつあるとする関良一の解釈はやや異色か。

筆者はこれまでずっと、この詩を、明るく軽やかな乙女たちの姿を見て、自分の生きている世界との隔絶を感じ、孤独をかみしめている青年の詩だと理解していた。

改めて詩を読んでみると、「しづかなれば」にひっかかってしまって、そのような最初の理解とは違った解釈になってしまった。諸家の解釈と比べると異質だが――まあ、いいか。

■注

★1:小川(1963)は、「をみなご」らは和服を着ている、と考えている(17頁)。――筆者には袴をはいた昔の女学生のイメージが浮かんでくる。

★2:小川(1976)は、「この〈跫音〉は木履ぼくり(=下駄の類)のような重い履物ではない。それでは〈うららかの〉という語の詩の爽快味は消えてしまい、その桜と舞子というような俗悪な映像になってしまう」(202頁)と述べている。

★3:モデルとなった「寺」については、いろいろ言われている。

場所は京都あたりでもあろうか。(作者の語る所によれば直接の対象は音羽の護国寺であるが、それを作りつつある時の彼のイメージに浮んだのは京都の寺々であったという。)(吉田70頁)

護国寺山門の参道は花崗岩の〈甃砌しゅうせい〉を敷きつめ、本堂は緑青に緑色を呈した銅葺の屋根を持っていることが、いっそうこの詩の情景として護国寺を読者に想定させてしまうかも知れぬ。(小川1976、202頁)

(……)護国寺の元禄十年に創建された観音堂の屋根は、まさしく銅葺あかがねぶきで、まっさおに緑青を吹いている。(……)この「甃のうへ」が発表される約三カ月ほど前までのおよそ一年間、作者は護国寺に徒歩数分の地に住んでいたのであり、護国寺は、作者の止宿先から東京大学への通学の順路にも当たっていた。(関217-218頁)

生前三好は、私に向って、これは京都の風景ばかりではなく、その上に、東京音羽護国寺の風景がもう一枚重なって出来た作であることを、語っている。(石原105頁)

護国寺は三好が大学一年生のとき一年間止宿していた雑司ヶ谷の近くである。というよりか三好はこの雑司ヶ谷の止宿先を徒歩で護国寺まで出て、ここから当時の市電に乗って本郷三丁目まで来て登校したのである。つまり二タふた(小さい)春を徒歩で護国寺の境内を抜けて電車に乗っていたことになる。(石原105頁)

護国寺は江戸時代でもとくに古い寺ではないけれども、みどりの甍の伽藍も見事なら、その境内にも桜の花は咲きあふれていた戦前の風景を私も知っている。(石原105頁)

三好達治自身は次のように述べている。

「甃のうへ」ぜんたいが、もともと架空、どこかの場所に実在するどんな寺院をも、それは指していない。」(全集6、287頁)

★4:「みどりにうるほひ」には、三つの解釈がある。

1.周囲の木々の緑が映っている。
2.古い寺なので屋根に苔が生えている。
3.銅葺きの屋根を緑青が覆っている。

屋根瓦は春のみどりに染まったかのようにうるおいを帯び(……)(大岡234頁)

青銅のいらかに、春の陽が濡れたように光ってと解すべきであろう。」(小川18頁)

芽ぶいたばかりの、新しい緑に映えて濡れたように光っているお寺の屋根。(原崎430頁)

古寺の銅瓦の青銅と見るのも捨てがたい気がする。(安西18頁)

三好達治自身は、いずれなのかという読者の質問に「私は軽い驚きと、返答のしようのない困惑を覚える外はない」(全集6、287頁)と述べ、さらに次のように説明している。

「みどりにうるほひ」は、だから先ほどの例言(=三つの捉え方)のうちどのように選定してみてもよろしく、選定などしなくても、「みてらのいらかみどりにうるほひ……」とただその音韻を舌頭ぜっとうに味ってみるだけでも、十分ことは足りるのである。(……)明確を愛する人は、彼の選んだ明確な形に、朦朧を喜ぶ人は、何とはなしの朦朧のまま、受けとって差しつかえはなく、その他に手だてはないのである。(全集6、288頁)

つまり、どう受け取ってもかまわないということだ。筆者は、「うるほひ」という言葉に湿り気を感じるので、古い寺の瓦に苔が生えているというイメージを採用する。

★5:関良一は、「『影』はすがた。『ひとりなるわが身の影』は、漢語「孤影」の和訳と見られる。それでいて、石だたみに映っているわが身のシルエットの意もいくらか伴っているように感じられる」と述べている(216頁)。筆者は単純に石畳に映った影と捉える。

★6:吉田精一は次のように述べている。

恐らくこの詩などを作った前後の三好達治は、東京の「春の外光が穢いといい、幾日も雨戸を閉して燈火の下に端座していた」といわれ、「ニヒリズムの中に転々としているかのようであった。」(阪本越郎、詩の周囲)ともいわれている。(72頁)

三好達治自身は次のように語っている。

この作者はこういう環境のこういう甃の上を自分の影をあゆまするようにしてあゆんでいる――その彼自身をたのしく晴れやかに受け取ってかんがえているか、あるいは「私はこんなことをしているべきはずのものではないのだ」と、もう少し他に自分のあるべきもの、あるべき境地ですか、そういうものを他にこの詩の外に考えている、そういう心持がって、そしてその方は裏に伏在させて置いて、そして表面では春のはなやかな花びらが流れて、若い女、おとめたちが足音を軽やかにその「翳りなきみ寺の春を過ぎて行く」とそういうふうな感興を詩の表面にしているのであります。(関227頁より引用)

■参考文献

安西均「三好達治」、伊藤信吉『現代詩鑑賞講座 第10巻 現代の抒情』角川書店、1969、12-14頁

安藤靖彦『鑑賞 日本現代文学 第19巻 三好達治・立原道造』角川書店, 1982

石原八束 『駱駝の瘤にまたがって――三好達治伝』新潮社、1987

大岡信「三好達治」の項目、吉田精一・分銅惇作・大岡信編『現代詩評釈』学燈社、1968

小川和佑『詩の読み方』笠間書院、2015、11-24頁(初出は、『日本象徴詩論序説』1963)

小川和佑『三好達治研究』教育出版センター、1976、193-208頁

川崎寿彦としひこ『分析批評入門」至文堂、1967

阪本越郎「甃のうへ」の注釈、伊藤信吉、伊藤整、井上靖、山本健吉編『日本の詩歌22 三好達治』中央公論社、1967、9-10頁

関良一『日本近代詩講義』学燈社、1964

三好達治「甃のうへ」、『三好達治全集6』筑摩書房、1965、283-299頁(初出は、『国文学 解釈と鑑賞』第26巻第8号、1961年6月号)

西原大輔『日本名詩選2』笠間書院、2015

原崎孝「三好達治」の項目、小海永二編『現代詩の解釈と鑑賞事典』旺文社、1979、429-432頁

原崎孝「三好達治『郷愁』『甃のうへ』」、増淵恒吉ほか編『国語教材研究講座 高等学校現代文 中巻 詩・・短歌・俳句』有精堂出版、1983、52-63頁

飛高隆夫「三好達治」の項目、吉田精一・分銅惇作編『近代詩鑑賞辞典』東京堂出版、1969、436-438頁

村上菊一郎編『近代文学鑑賞講座 第二十巻 三好達治・草野心平』角川書店、1959

村野四郎『鑑賞現代詩Ⅲ 昭和』筑摩書房、1966

吉田精一『日本近代詩鑑賞 昭和篇』新潮文庫、1954


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