寺山修司の短歌「マッチ擦るつかのま海に」
おそらく寺山修司のもっとも有名な歌だ。多くの教科書にも取り上げられた。僕が寺山修司の歌で唯一知っていたのがこれだ。
初めて読んだとき、なんてカッコいい! と思った。すぐにも海に行って、一人でこんなふうにマッチを擦って煙草に火をつけてみたいと思った。
ただ、「祖国」という言葉には違和感を覚えた。第二次大戦中にポジティブな意味で使われ、戦後にはもう使われなくなった言葉だと思っていたからだ。
それに、「身捨つるほどの祖国はありや」という疑問自体が僕にはぴんとこなかった。誰にとっても、もう答えは出ていると思っていたからだ。
いつごろこの歌は詠まれたのだろうか、「身捨つるほどの祖国はありや」は、軍艦に乗っている将校の心をよぎる思いなのだろうか、それとも、第二次大戦後の若い世代が、先の世代に思いを馳せているのだろうか、などと思いながら時が過ぎた。
今回、寺山修司の詩や歌をいくつか読んだので、この歌についても考え、また調べてみた。
■語句
マッチ擦る――マッチとは何か、またマッチを擦るとはどういう動作なのか、何のためにマッチを擦るのかを説明する必要のある時代になっているのだろうかと不安になる。マッチについては説明を省く。マッチを擦るのは煙草を吸うためだ。
身捨つる――我が身を捨てる、つまり自分の命を投げ出す。
ありや――あるのだろうか。「や」は疑問あるいは反語を表わす。
■解釈
この歌についての僕のイメージは次のようなものだ。
「我」はちょっとよれた暗色系のトレンチコートを着て、晩秋の(霧は秋の季語)、あるいは初冬の、人気のない海岸にいる。海風が吹いていて寒いので、「我」はコートの襟を立てている。少し霧が出ている。
風でマッチの火が消えないように、背を丸めて、両手でマッチを包み込むようにして煙草に火をつける。
顔を上げてみると、そのわずかの間に、海がたちまち霧で覆われてしまったことがわかる。
霧に覆われた海は幻想的だ。「我」は突然、霧というスクリーンに幻想を見る。それは戦争で死んでいった兵士たちの姿だ。
兵士たちは「祖国のために」と確信をもって戦い、死んでいった。「我」は今、自分の心を探ってみる。自分も祖国のために命を投げ出せるだろうか。いや、自分には「祖国」に対してそれほどの思い入れはない。そもそも自分には、命を賭けるほどの「何か」があるだろうか。そのようなものはない。
信じるものを持っていたかつての若者たちに一抹の羨望を感じつつも、彼らの思いを幻想としか思えなくなっている自分の中にある虚無を省みている。ただし、この虚無に絶望してはおらず、それを自覚しているところがいくらか誇らしげでもある。
こんな感じだろうか。
■さまざまなコメント
手に入ったもののみだが、また自分の関心のあるところだけだが、いろんな人のコメントを以下に列挙する。時間的順序も適当だ。
◆「元帝国軍人」の発言
◆山口瞳
◆杉山正樹:2000
◆窪田章一郎:1961
◆篠田正浩:1973
そうだったのか! そんなに大きな衝撃を受けた人もいたんだ。
◆小川太郎:1997
◆大岡信:1980
「青森の海」のイメージか。
◆山田太一:1983
◆吉本隆明:1965
えっ、「夜の海辺」なのか? これにはびっくり。思ってもみなかった。
歌の内容については、吉本隆明は、「程のものでしかありえない」からわかるように、あまり大したものではないと思っているようだ。
◆荒川洋治:2009
荒川は「たまたま」とする吉本隆明の言葉を批判し、「たまたま」ではないと主張している――葉名尻竜一はそう見ている。
◆伊藤一彦の登場人物二人説
谷岡亜紀は『国文学 解釈と教材の研究』で伊藤の説を紹介している。
◆谷岡亜紀:1998
夜とするのは、マッチを擦ったときだけ霧があることがわかるから、というものだ。なるほど。
登場人物二人説については、「そのマッチを擦る主人公を見ているのは、作品の演出家としての、もう一人の寺山の目だとも言える」と伊藤説を修正している。
◆葉名尻竜一:2018
葉名尻竜一もまた登場人物二人説に傾く。
「世の中から疎外された人」とはたとえば、女子高生を暴行して殺した在日朝鮮人の李珍宇だ。詳しくは『文学における〈隣人〉』を参照されたい。
昼夜と場所についてはどう見ているのか。
「灯台の明かり」とあるので、夜か。場所は「波止場」だ。別のところでは「海港」(21頁)という言葉も使っている。
◆葉名尻竜一:2019
葉名尻は『文学における〈隣人〉』出版の翌年に書いた論文で、上記の登場人物二人説を修正している。
◆寺山修司のエッセイ「センチメンタル・ジャーニー」
葉名尻の登場人物二人説に大きな影響を与えているのは、寺山修司のエッセイであると思われる。
創作もまじった自伝抄『消しゴム』に「センチメンタル・ジャーニー」という章がある。そこでは、一時「ガンズケ」(いかさまのために、トランプの裏にしるしをつけておくこと)のアルバイトをしていた寺山が、賭博用のカード卸業者をやっている42歳の中国人李とともに夜の海を見たと述べられている。
この文章の後に「マッチ擦る」の歌が添えられて、エッセイは終わっている。
これを読むと、このときの体験が「マッチ擦る」の歌になったのかと思いそうになるが、「マッチ擦る」は1956年の4月に『短歌研究』に発表されたもの。寺山が重病で入院していたころのことだ。それに対して「ガンズケ」のアルバイトをしていたのは3年間の入院生活を終えて退院してからのことだ。だから、「横浜の海」での体験はこの歌とは関係ない。
寺山がこのエッセイで「マッチ擦る」の歌を持ってきたのは、単なる飾りとしてであって、エッセイに文学的香りを付加しようとしたにすぎないだろう。ただ、それでも寺山が、この歌を夜の海の歌と見ていると言えないこともないかもしれない。
◆『日本文芸鑑賞事典』:1988
ここでは夜の海とはされていない。「霧が湧いてきた」とあるのも僕の解釈と一緒だ。力づけられる。
◆なかはられいこ:2016
なかはらは、「たぶん、海岸」としている。夜か昼かはわからないが、火をつけたときに深い霧で海面が見えにくいのに気づくのだから、やはり夜か?
◆越山美樹:2004
寺山修司の第一作品集『われに五月を』の「解題」で次のように述べている。
越山の捉え方は独特だ。輸送船で戦地に向かう将校や兵士が歌の「我」であると考えている。
◆『名歌名句大事典』:2012
◆教科書の教師用指導書
以下は、『国語総合 現代文編2』(教育出版、2003)の指導書に書かれている「歌意」だ。
夜だとは書いてないが、「マッチを擦ったその瞬間」に海が見えるのだから、夜だと考えているのだろう。
また、「ありや」の「や」は「当然反語」としている。
別の教科書ではどうだろうか。『探究国語総合 現代文・表現編』(桐原書店、2008)の指導書を見てみる。
ここでもはっきり夜と明記されていない。でも、「マッチを擦ったその一瞬の間だけ見えた目の前の海」からは、やはり夜を想定しているのだろう。
教科書がはっきり「夜」としていないのは、「昼」とする解釈の余地を残しているからなのだろうか。
◆サイト「短歌のこと」:2022
「暗い海辺」となっている。やはり夜なのだろう。
短歌が表現しているものについては、次のように述べられている。
「作者の孤独とある種のニヒリズム」というのがいい。場所は「波止場」だ。
◆サイト「まるちゃんと短歌・文学の世界」:2012
やはり夜。くやしいなあ。
◆ネット「5ちゃんねる(旧2ちゃんねる)」
検索で次のような書き込みが見つかった。
う~む、実に巧みに現代口語に訳している。簡潔そのもので、最後の2行など絶秒だ。それはともかく、ここでも「夜の海」とされている……。
■いくつかの疑問の確認
さまざまな解釈を読んでみて、いくつか疑問も生まれてきた。それについて考えてみる。
◆昼の海か夜の海か
「我」が見ているのは昼の海なのか、夜の海なのか。
圧倒的に夜だとするものが多い。マッチを擦ったので霧が深いことがわかった、という解釈だ。う~む、ショック。
煙草に火をつけている間に急に霧が出てきた、とする僕の理解と完全に一致するのは、『日本文芸鑑賞事典』の原田千万だけではないか。(原田も昼か夜かは明記していないが、昼なのだろう。)
でも、僕の最初のイメージが昼の海で定着しているので、今さら変えることはできない。僕は昼の海を思い浮かべることにしよう。
◆場所
「我」が立っているのはどこか。
これも海岸と思い込んでいたので、変更したくない。
◆「ありや」の「や」は?
「疑問」なのか、それとも「反語」なのか。
これは、反語の意を含む疑問のような感じがしている。形としては疑問だが、実際には反語に近いような感じか。「あるのだろうか(いや、ないだろうな)」というカッコつきだ。それにしても、5チャンネルの投稿にあった「ないな。ないわー」はあらためてすごいと思う。
◆上の句と下の句の関係
「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし」という上の句と、「身捨つるほどの祖国はありや」という下の句はどうつながっているのか。また、そのつながりに霧はどう関係しているのか。
寺山修司の歌の特徴として、上の句から下の句への大きな転換が挙げられる。この転換によって読者は驚きを感じ、さまざまな想像をかき立てられることになる。この歌の場合、「深い霧」と下の句の「我」の思いとはどうつながっているのだろうか。
「霧」を形容する場合、普通は「濃い」を使うように思う。「濃い霧」「濃霧」など。この場合、霧の密度が高い感じがする。しかし、ここでは「霧ふかし」となっている。
「深い」には「密度が濃い」の意もあるようだ。大辞泉で「深い」を引くと、例として「霧が深い」が出ている。ただ「深い」は、「海が深い」「川が深い」「底が深い」などのように、垂直軸で使うのが一般的だろう。「霧が深い」というときはこれを水平軸に転用しているのだろう。その場合、霧に奥行きがあり、どこまで続いているような感じがある。
寺山の歌に戻れば、「我」は霧の奥に何かが見えるような気がしたのだ。そしてそれが下の句の「身捨つるほどの祖国はありや」という思いを呼び起こしたのだ。では何が見えたのだろうか。
おそらく、第二次大戦で死んでいった兵士たちだろう。特攻隊の隊員たち、軍艦の軍人たちの屍が霧の奥に見えたのではないか。
ひょっとしたら「我」は、戦争中準国歌とも呼ばれた「海行かば」の歌詞「海行かば 水漬く屍」(戦いで海に行くとしたら、水に漬かる屍になろう)を思い出していたかもしれない。
寺山に即して言えば、小川太郎が述べているように、特に戦争で亡くした父親が想定されているのかもしれない。
ここで思い出すのは、寺山が短歌界にデビューしたときの連作の題である。1954年、18歳の寺山は『短歌研究』の「五十首応募作品」に投稿して特選を獲得した。雑誌に掲載されたときは、編集長、中井英夫の発案でこの連作には「チエホフ祭」という題がつけられた。だが、寺山自身が最初につけていた題は「父還せ」だった。
ただし、サイト「短歌のこと」の著者は、寺山の父の戦死に言及して、「自分と祖国の関係だけではなく、寺山の場合は『父の死の意味』をも含む問いでもあり、一層重いものともなっているとも読める」としつつも、
と述べている。う~む、やはりこれが正鵠を射ているのかも。父親への思いもないことはないだろうが、寺山の場合、ポーズの面が強いか。
■おわりに
有名な歌で、多くの人があれこれ語っているので、つい長くなってしまった。しかし、今回調べてみることで、いろいろな驚きがあった。新たな疑問が生まれ、それについても考えることができた。理解はより深まったと思う。
でも、最初に抱いたイメージはなかなか消えないものだ。夜の海とする解釈ばかりだったが、僕にはやはり、昼の海しか浮かばない。まあ、無理に修正する必要もないか。
寺山修司にとって一番の自信作だったことは疑いない。今に至る世間の評価も高い。そして僕も依然として、カッコいいなあ、と思う。
でも、この歌についてのいろんなコメントを読むと、今の僕にいちばんしっくりくるのは、山田太一の発言だ。
この歌をあちらこちらで見すぎたのかもしれない。それに、もう煙草も吸ってないし。
■参考文献
◆テキスト
『われに五月を』日本図書センター、2004
『作家の自伝40 寺山修司』日本図書センター、1995
『寺山修司全歌集』講談社学術文庫、2011
◆文献
荒川洋治『文学の門』みすず書房、2009
井上靖ほか監修『日本文芸鑑賞事典―近代名作1017選への招待―第17巻(昭和30~33年)』ぎょうせい、1988
大岡信『折々のうた』1980
小川太郎『寺山修司 その知られざる青春』中公文庫、2013
窪田章一郎『現代秀歌 戦後』日本秀歌第10巻、増訂版、春秋社、1961
久保田淳・長島弘明編『名歌名句大事典』明治書院、2012
栗坪良樹編『作歌の自伝40 寺山修司』日本図書センター、1995
篠田正浩「寺山修司論」、大岡信ほか編『現代短歌大系 第9巻』三一書房、1973
杉山正樹『寺山修司・遊戯の人』河出文庫、2006
谷岡亜紀「名歌・問題歌・難解歌の謎 寺山修司」、『国文学 解釈と教材の研究』学燈社、1998年11月臨時増刊号
なかはられいこ編『大人になるまでに読みたい15歳の短歌・俳句・川柳 ③なやみと力』ゆまに書房、2016
葉名尻竜一『コレクション日本歌人選040 寺山修司』笠間書院、2012
葉名尻竜一『文学における〈隣人〉――寺山修司への入口――』KADOKAWA、2018
葉名尻竜一「寺山修司短歌の〈登場人物二人説〉を問い直す――マッチを擦っているのは誰か――」、立正大学大学院文学研究科発行『大学院紀要』第35号、2019
サイト「短歌のこと」、2022年11月7日
https://tankanokoto.com/2019/01/macchisuru.html
サイト「まるちゃんと短歌・文学の世界」、2012年
http://maruchan.dokkoisho.com/tanka1/tanka1_07.html
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