マガジンのカバー画像

日本の詩・短歌・俳句あれこれ

74
日本の詩などの解釈を書いていきます。
運営しているクリエイター

記事一覧

寺山修司の短歌「君たちの呼びあう声の」

『血と麦』(1962)の「呼ぶ」に収められている歌。『寺山修司全歌集』(1971)では、「初期歌…

ヨジロー
4日前
2

寺山修司によるサローヤンの引用――「あらゆる男は、命をもらった死である」

寺山修司が死んだのは、1983年5月4日だ。その年の2月から5月まで、寺山は『週刊読売』に「ジャ…

ヨジロー
3か月前
8

寺山修司の詩「懐かしのわが家」―ぼくは不完全な死体として生まれ

寺山修司の詩「懐かしのわが家」を取り上げる。これは、1982年9月1日付の「朝日新聞」に掲載さ…

ヨジロー
3か月前
12

寺山修司の短歌「父親になれざりしかな」

この歌は、1971年刊行の『寺山修司全歌集』には載っていない。この歌はその後にできたものだか…

ヨジロー
4か月前
20

寺山修司によるロルカの詩「別れ」の翻訳

noteの記事「寺山修司の詩『ぼくが死んでも』―青い海が見えるように」で、寺山の詩「ぼくが死…

ヨジロー
4か月前
3

寺山修司の詩「ぼくが死んでも」―青い海が見えるように

『寺山修司少女詩集』には詩しか載っていないが、もともとは「海へ来たれ」というエッセイに含…

ヨジロー
4か月前
10

寺山修司の短歌「一本の骨をかくしに」

歌だけ読むと、晩年に近い寺山の心情を表現した歌のように思える。しかし、これが載っているのは第一歌集『空には本』で、1958年に出版されている。寺山が22歳のときだ。 ■解釈「枯草」とあるので、季節は冬。道を歩いていると、前に骨をくわえた犬がいる。犬は枯草の中に分け入っていく。骨を隠しに行くんだ、と思う。どこに、どんなふうに骨を隠すんだろう? なんとなく、後をつけてみたくなる。 「われ」はどんな心情だったのか。特に目的もなく、ただ漠とした寂寥感を抱えて歩いていたのだろう。人

寺山修司の短歌「ノラならぬ女工の手にて」

第一歌集『空には本』ではこの歌がだぶっている。小題「チエホフ祭」と「熱い茎」の両方に入っ…

ヨジロー
5か月前
2

寺山修司の短歌「ドンコザックの合唱は」

第一作品集『われに五月を』や第一歌集『空には本』では、「ドンコサック」「振らむ」となって…

ヨジロー
5か月前
1

寺山修司の短歌「レントゲン写真に嘴を」

『血と麦』の「血」の「第四楽章」に収められている。寺山修司の母親との関係を示唆する歌だ。…

ヨジロー
5か月前
1

寺山修司の短歌「外套を着れば失う」

『空には本』では「冬の斧」一連の歌の一首。 ■解釈冬。もう暗くなった時間。「われ」は外套…

ヨジロー
6か月前
12

寺山修司の短歌「跳躍の選手高飛ぶ」

『われに五月を』は、1957年1月1日出版。寺山修司は21歳、ネフローゼで入院中だった。この歌は…

ヨジロー
6か月前
2

寺山修司の短歌「刑務所にあこがれし日は」

『血と麦』の小題「砒素とブルース」の「参 Soul, Soul, Soul.」に収められている。 ■語句…

ヨジロー
6か月前
5

寺山修司の短歌「海のない帆掛船あり」

『血と麦』では、「銅羅」と表記されているようだ。講談社学術文庫の『寺山修司全歌集』では「銅鑼」と修正されている。 ■語句銅鑼――出帆の合図のために打ち鳴らされる金属製の円盤。 ■解釈一瞬、「わが内に」は前と後ろのどちらに続くのか、と思ってしまう。つまり、「海のない帆掛船ありわが内に」で切れるのか、それとも「わが内にわれの不在の銅鑼鳴りつづく」と「わが内に」は下の句に続いていくのか。 おそらく意味的には「わが内に」は両方にまたがっているのだろう。でも僕が読むときには、「海