イメージ戦略先行 改革はもたつく 金正恩氏の1年(2012年)

2012年にミニコミ誌に寄稿したものです。

 1年前に、頼りにしていた父親の金正日総書記が死去し、北朝鮮の指導者に押し上げられた金正恩・朝鮮労働党第一委員長。
 後継者になることは2010年に公表されおり、さまざまな形で人間像に関する報道が行われてきた。最高位のポストについてからの行動や発言を通して、徐々に実像が見えて来た。
 イメージ戦略には長けた若者だが、北朝鮮は実質的には何も変化していない。改革はもたついている。
 祖父の金日成主席や父の金正日総書記の負の遺産を引き継ぎながら、国を建て直すという矛盾に満ちた課題を正恩氏は実現できるだろうか。
▽過激な若者
 当初、正恩氏は経験不足なうえに、父親譲りの過激な部分があるとメディアで伝えられていた。
 たとえば、日本のある新聞は、少年時代を知る金総書記専属調理人だった藤本健二氏の話として、正恩氏が「勝ち気で人懐っこい、父親に似た性格だ」と紹介した。
 さらに、北朝鮮内では「泣き叫ぶ五歳の正恩氏に乳母がトンボを手渡すと、同紙は羽を引き裂き、機嫌を直した」とのエピソードも伝えた。
 まるで、すぐにでも核実験を行い、周囲の国を振り回す、父親譲りの「瀬戸際外交」を行うかのような記述だったが、実際は、彼が後継者になって、表だった軍事的な動きは鳴りを潜めている。父親が存命中には、韓国の哨戒艦沈没や延坪島砲撃など、多数の人命が失われる行動を取っていたのとは対照的だ。
 逆に、巧みな戦略を展開している。意外にしたたかな若者なのかもしれない。
▽3つの視点
 彼の実像を3つの視点から分析してみる。
 最初はイメージ戦略だ。たとえば、妊娠したと思われるふくよかなお腹をした妻を連れて公の場に姿を見せる。時には妻と手を組んでにこやかに各地の視察を行う。
 さらに庶民がこのむ公演や遊園地、ファストフードの店に姿を現して、付き添いの幹部たちに改善を命令する。そんな姿が、北朝鮮の官製メディアにたびたび登場している。朝鮮総連の機関紙「朝鮮新報」によれば、正恩氏は遊園地の整備に力を入れるため「遊園地総局」という組織も作ったらしい。
 一般の市民や軍人と交流する公開活動も目につく。これも住民に、懐の深い指導者であることをアピールする狙いだろう。
 正恩氏の公開活動を追いかけている米国のある専門家によれば、2011年12月の金委員長死去から8か月の間、正恩氏の公開活動は合計108回あった。
 金日成主席死去直後の約3年間、後継者であった金総書記の公開活動は88回に過ぎず、正恩氏の公開活動のペースは約4倍となる計算だ。
 どうして公開活動を増やしているのかには様々な見方があるが、私は正恩氏の指導者としての力量不足を補う意味があると見ている。すこしでも一般大衆の近くに行き、反発を弱め、いかに自分が愛されているかをアピールする狙いだろう。
 イメージつくりだけではない。正恩氏は、現実に自分を中心に権力の再編成を行っている。最も大きなものが、軍から権力、権益を取り上げ、朝鮮労働党に移しつつあることだ。
 父親の金正日総書記は「国防委員会」の委員長として軍をあやつり、その上に乗って権力基盤を固めた。
 国防委員会は、それまでも軍事の最高指導機関だったが、1998年9月5日の第10期最高人民会議第1回会議で憲法が改正され、国防委員会は「国家主権の最高軍事指導機関かつ全般的国防管理機関」となった。
 人民武力部(国防省に相当)を中心とする国防部門の中央機関の設置・廃止、重要軍事幹部の任免、戦時状態と動員令の布告などを行うことが規定された。119万人とされる朝鮮人民軍を従えた機関に格上げされたわけだ。
 この力をバックに、金総書記は韓国に軍事的圧力を加えた。軍はまた、海外からの外貨誘致や、国内での開発などに関する巨大な経済権益を握っており、それ自体が総書記を上回る力を蓄えた。

▽軍との対立
 後継となった、リーダーとしての経験の浅い正恩氏は、軍の問題点を周囲から聞かされていたのだろう。軍トップである李英稿総参謀長を7月に突然解任してしまう。その背景は今もはっきりしていないが、軍の力を削ぐことが目的だったのは間違いないと私は思う。
 軍の思想統制を行う総政治局長に、軍事経験のない、自分の幼なじみの崔龍海を充てたほか、もともと総政治局にいた金正覚・第1副局長を人民武力部長に抜擢、総政治局組織担当副局長の金元弘氏が国家安全保衛部長に昇進しており、軍の包囲網を強固にした。
 極めつけは10月29日に行った演説だ。北朝鮮ウオッチャーを驚かせる内容だった。
 正恩氏は、この日金日成軍事総合大学で開かれた故金日成主席と故金正日国防委員長の銅像除幕式「党と首領に忠実でない人はいくら軍事家らしい気質があり、作戦と戦術に秀でているとしてもわれわれには必要ない」と発言した。
 自分に忠誠を誓わないものは、どんな優秀な軍人であっても、更迭すると言っているのだ。軍との敵対関係も辞さないという強い意志の表れだった。
 北朝鮮に詳しい関係者によれば、最近軍は、都市建設や農作業に大量に動員されているという。自分たちの権利拡大ではなく、住民のために働けと命令されているのだ。
  3番目は、軍押さえ込みと表裏一体の「朝鮮労働党」の強化だ。平壌発10月6日発朝鮮中央通信は、朝鮮労働党を称える次のような報道を行った。
 「朝鮮労働党が先軍の旗を高く掲げて社会主義守護戦で百勝を収め、強盛国家の建設のための大高揚進軍を力強く前進させることができたのは、総書記の独創的な先軍政治の貴い結実である」と評価し、さらに「朝鮮労働党を不敗の党に強化、発展させてきた総書記の業績は、敬愛する金正恩同志の思想と指導によって立派に継承されている」。
 党を国の中心に据えようという意図が読み取れる。
 前出の米国の専門家が、正恩氏の公開活動に同行した幹部の肩書きを分析したところ、同行者の46%が党幹部で占められたという。同行者は一般的に複数の肩書きを持っており、分類方法は完全とは言えないだろうが、正恩氏の権力の軸足が「朝鮮労働党」に移っているとみることもできそうだ。

▽狙いは経済改革
 党の権限強化の狙いは、経済改革だろう。これまで軍に邪魔されてきたが、正恩氏はかなり大胆な方策を考えているようだ。それは「6・28措置」と呼ばれ、韓国のメディアなどを通じて広く伝わっている。
 主な内容は、(1)党、軍の経済事業の内閣への移管(2)合同農場の作業単位の細分化(3)企業経営の裁量権拡大(4)労働者の賃金引き上げーを柱とする内容だという。
 農業分野では共同農場での作業単位が従来10ー25人から、4ー6人に縮小して、家族単位に近い規模にしたうえ、作物の3割をを自由に販売できるようにして、やる気をもたせようとするものだとされる。
 国連食糧農業機関(FAO)関係者は11月、米政府系放送局のラジオ自由アジア(RFA)とのインタビューで、北朝鮮が農業改革を試みていることを明らかにしている。
 この関係者は「一部地域で農業改革を試みていると聞いた。(北朝鮮関係者は)成果が出ると改革の推進を公式発表すると話した」と伝えている。この関係者は国連調査団として9月24日から10月8日まで北朝鮮の9地域を訪れ、作柄や食糧状況などを調査している。どうやら改革の動きはあるようだ。
 韓国でもは正恩氏をどう見ているのか。期待する声がある反面、どこまでやれるのかその政治的手腕を疑問視する声も強い。
 まず金寛鎮・韓国国防相は11月8日、北朝鮮の現体制について「比較的安定しつつあり、(金第1書記が)統治力を発揮している」と評価した。金長官は「金正恩の当面の目標は経済問題」と指摘。張成沢国防委副委員長が先ごろ中国を訪れたことに触れ、「(北朝鮮が)いろいろ試みているが、直ちに成果が出るのか、北朝鮮体制上、経済改善措置の恩恵を住民が受けられるのかは非常に不確実」との考えを示した。
 3度目の核実験については、「十分な準備を進めてきた。政治的な判断で決定するだろう」と語った。また、「これから長距離ミサイル発射実験を行うと思う」と現実的な見通しも示した。

▽改革・開放困難
 次は、韓国情報機関の国家情報院(国情院)だ。同院は7月26日、国会の情報委員会(非公開)の場で、北朝鮮の金正恩労働党第1書記は経済改革を進めているとしながらも、「改革・開放」の実現には懐疑的な見方を示した。また、非現実的な指示を出すなど未熟な面がみられるという。出席した議員が説明した。
 正恩氏は改革も支持しているようだが同時に「社会主義原則の固守」もガイドラインとして提示しており、国情院は「抜本的な改革・開放を期待するのは難しい」との分析を明らかにした。
 また、正恩氏は大衆向けの演説や談話発表など独自色を見せる一方、「政治経験の乏しさと北朝鮮の現実に対する理解不足から、非現実的な指示を出したり、矛盾した政策を推進したりする事例がある」と指摘した。
 北朝鮮との直接の接点である韓国の柳佑益統一相も、北朝鮮の金正恩労働党第1書記の補佐役だった李英鎬前軍総参謀長が解任されたことについて、「(軍事を優先する)『先軍』政治が『先民』政治に移っていく兆候なのか、改革・開放を意味するのかは速断できない」と強調、慎重な姿勢を見せている。

▽軍事力強化
 しかし、正恩氏は明るく開放的な指導者像をアピールする一方で、着々と軍事力増強を図っている。それを忘れてはいけないだろう。
 もちろん、ウランの濃縮や、ミサイルの性能アップなども確実に進めている。
 一例を挙げよう。北朝鮮は、4月に祖父・金日成主席の生誕100年に合わせて「人口衛星」(実際はミサイル)を発射し、失敗している。
 正式な祝賀行事で、失敗は許されない。用意周到に準備しているはずだが、なぜ失敗したのか。技術力が幼稚なのか。「実は違う」と、ある軍事評論家は言う。
 「こういう公式行事でも、新しい技術を試しているに違いない。だからミサイルは失敗したのだ」と解説した。
北朝鮮研究で有名な米ジョンズホプキンス大の韓米研究所が、9月末に撮影された北朝鮮の黄海にある衛星打ち上げ基地の写真を分析し、4月の「人口衛星」発射失敗後も北朝鮮が2回以上の大型ロケットエンジン試験を行った痕跡を見つけた。
 北朝鮮は4月以後も、長距離ミサイルの性能向上に向けてロケットエンジンテストを続けているとみられ、来年上半期中にまたミサイル発射と核実験を実施する可能性があると、同研究所は指摘した。
 これはほんの一例であり、核兵器の原料となるウラン濃縮や、核弾頭の小型化といった核心技術も日夜研究を進めているはずだ。

▽動けない米、韓
 それでは、今年再選されたオバマ大統領は北朝鮮にどう向き合っていくのか。
 財政再建が急務の現政権にとって、外交で冒険する余裕はない。もともとオバマ政権は、北朝鮮に対しては「戦略的忍耐」「挑発には見返りを与えない」を基本にしていた。オバマ氏自身も演説の中で北朝鮮に触れることはほとんどなく、強い関心は持っていないようだ。
 今年2月29日、米朝は、米国が栄養補助食品を支援する見返りとして、北朝鮮が挑発行為を自制するとの合意に達した。
 正恩氏の穏健な外交姿勢が反映した合意として歓迎されたが、北朝鮮はその2週間後にの人口衛星発射を発表、実際に打ち上げてしまい、合意は霧散した。このため米国内には北朝鮮との交渉は結局徒労に終わるという悲観的、消極的な見方が強い。
 むしろ、国際社会の中で急速に影響力を増す中国の戦略的負担として、中国に北朝鮮管理を任せていく傾向が強い。
 米国の朝鮮半島専門家は、米国のより積極的な関与を訴えているが、オバマ政権の関係者は「妥協してまで北朝鮮と交渉する考えはない」と話しており、米朝の直接交渉再開は簡単ではない。
 韓国も大統領選があり、新政権は当分北朝鮮問題に取り組む余裕はなさそうだ。
 中国は北朝鮮への最低限の経済支援を欠かさないが、「手も出すが口も出す」というスタイル。北朝鮮に取っては煙たい存在だ。新たに国家主席となった習近平は、北朝鮮とは縁がなく、これまでの対北朝鮮政策を大きく変えるとは考えにくい。

▽日本に照準
 そこで、北朝鮮が目を付けているのが日本だ。日本は領土問題で中国、韓国と対立している。そんな環境の中で、外交上の得点を稼げるのは北朝鮮との交渉しかない。
 11月15、16日には、モンゴルのウランバートルで日朝の局長級協議が行われた。15日の朝のNHKニュースは、拉致被害者横田めぐみさんの両親の訪朝と、めぐみさんの娘のヘギョンちゃん面会についても話し合われると突然伝えた。
 当の横田さん夫妻は、訪朝を否定したが、これは交渉の成果をあげ、選挙を有利に進めたい首相官邸サイドが意図的にリークしたとも伝えられる。
 日本による経済制裁を緩和し、援助を手にしたい北朝鮮と、外交的な成果を出したい日本。両国の協議は、今後も続くだろうが、相当な紆余曲折がありそうだ。

▽タイムリミット
 そんな中、韓国の有力紙・中央日報は北朝鮮の軍人に関する興味深い記事を掲載した。
 北朝鮮から10月、南北軍事境界線を越えて韓国に亡命した兵士が、180センチの長身にもかかわらず体重46キロで栄養失調状態だったことがわかったというのだ。
 兵士は北朝鮮軍総参謀部直属のエリート部隊に所属していたが、食事は「コメは出たが、おかずは大根の塩漬けがやっと」と話したという。どうやら正恩体制の下、軍人は食料不足で、かなり追い詰められているようだ。
 また、北朝鮮から韓国に入国する北朝鮮脱出住民(脱北者)の数が急減していることも最近の集計で明らかになっている。
 今年に入り韓国に入国した脱北者の数は大幅に減少した。1月~10月に韓国に入国した脱北者は1202人。韓国統一省は今年韓国入りする脱北者の数を約1400人と予想している。2706人を記録した昨年の半分の水準だ。
 北朝鮮当局が、主な脱出経路である中国との国境線での取り締まりを強化したためだという。
 北朝鮮内でも、北朝鮮脱出に対する全般的な監視と取り締まりが厳しくなり、特に中国でも東北3省で強化されたという。
 表向きの開放的な印象と違って、北朝鮮は以前より閉鎖的になっている。脱出口を抑えれば、国内で不満のガスがたまり、一気に爆発する可能性も高まる。指導者として失格の烙印が押されれば、今度は正恩氏自身が交代させられるかもしれない。長男の正男氏の存在が、再びクローズアップされるだろう。
 まもなく執権2年目を迎える正恩氏には、時間の余裕はそうない。

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