見出し画像

一遍上人語録 岩波文庫1000年前に捨断離を実践していた人


高校のころ、日本史が一番好きだった。教科書のあちこちにいろいろな人の名前が出てきて、それにマーカーを塗って覚える。

まるでパズルのような面白みを感じた。

一遍(1239~89)という僧侶のことも教科書にあったが、たった一言。「踊る念仏を広めた」と書いてあった。

ところが、この人は長く日本人のこころを捉え続けてきた。今も人々を魅了してやまない。

歴史の授業は、単に歴史のイベントを教えるのではなく、歴史のなぜを教えるべきだろう。

一遍がどうして、豊かになり、モノにあふれた現代人の心を揺さぶるのか。それは、全てを捨て、そこから出発しなさいと説いている点だ。

自らも死去する直前、仏典などをお寺に寄託し、残っていた自分の著作などを燃やしてしまったという。

これはいわゆる捨断離というやつだ。岩波文庫を読んでも、「捨」という言葉がたくさん出てくる。

捨てるというと、何か逃げているような印象も受けるれども、さにあらず。

もし家も、家族も、携帯も、本もなかったら、自分しか残らない。

いつも自分と向き合い対話しなくてはならない。強くなるしかない。

仏教の神髄は、モノを捨て、自分を捨てることなんだろう。

もう高齢になった瀬戸内寂聴は、一遍の言葉を読んで死への覚悟を新たにしているという。

私も彼の覚悟の決まった言葉を読んで、ホッとした気分がした。

ちなみに最も有名な部分は110pに出てくる。

また云(いわく)、「生きながら死して、静かに来迎を待つべし」と云々。万事にいろはず、一切を捨離して、孤独独一なるを、死するとはいふなり。生ぜしもひとりなり、死するも独りなり。されば人と共に住するも独りなり、そひはつべき人なき故なり。又わがなくして念仏申すが死するにてあるなり。わが計ひをもて往生を疑ふは、惣じてあたらぬ事なり。

この言葉の中でも生きぜしもひとりなり(生きていても独りなんだ)という部分は、一遍の人生を示しているようで、鬼気迫る。

よろしければサポートお願いします! いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!