吉田松陰―変転する人物像 中公新書

私の両親は戦前に教育を受けたので、古くさいことを言うことがある。その代表が、楠木正成や吉田松陰のような立派な人になれということだ。

楠木正成は古すぎるが、吉田松陰には興味を持っていた。これだけ著名な人なのに、どこか暗い影がある。

門下生に、伊藤博文や高杉晋作、久坂玄瑞など、明治時代を支えた80人もの人材を育てた。

教育者として何が優れていたのか、なぜアメリカに行こうとしたのか、どんな性格だったのか。

疑問は尽きないのだが、この本はそういう松蔭自身について直接触れていない。それよりも、松蔭が時代によってどう受け入れられてきたのか、また外国で松蔭がどう見られていたのかが書かれている。

この意外な視点で見ると、むしろ彼の本当の姿が浮かんでくる。松蔭に脚光が当たったのは昭和に入ってからだった。

「忠君愛国」の面が強調され昭和16年から使用された「大東亜戦争」(太平洋戦争)下の修身教科書となると、国民教育の理想像として取り上げられる。

そして松蔭主義は終戦とともに消え去り、一種のタブーとなる。なるほど、どうりでNHKの大河ドラマにならないわけだ。

しかし実際の松蔭は、なかなか魅力的な人だったようだ。19世紀後半のイギリスの文豪スティーブンソンが、松下村塾にいたひとから聞いた話をもとに、松蔭を描いているという。

吉田は醜く、おかしな程痘痕の跡が残っていた。自然は初めから彼に物惜しみしたが、一方、彼の個人的な習性は、だらしないとさえいってよかった。衣服はぼろであったし、食事や洗面のときには、袖で手をふいた。頭髪は二か月に一回程度しか結わなかったので、見苦しいことがしばしばあった。このような様子であったから、彼が結婚しなかったことを信じることは容易である。
ことば使いは激しく乱暴であったが、振舞いは温和で立派な教師であり、講義が難解なため門下生の頭上を素通りし、そのため彼等が呆然としたり、さらにしばしば笑うことがあっても、そのまま放置し気にもとめなかった。

天皇制を絶対視する一方で、人を差別せず、アイヌの人たちを平等に扱った。
天衣無縫で、時代を先取りする人物だったようだ。

筆者の吉田氏も、そんな松蔭に惹かれている。

よしあしは別として、松陰はそのときどきの時代の力になっているといってもよいだろう。
このような人物こそが、歴史上の人物といえるのかもしれない。その意味で松陰は、まさに典型的な歴史上の人物なのである。

もうひとつ、松陰の人物像は、時代とともに激しく移り変わるにもかかわらず、その評価が、オール否定という形でとらえられたことがなかった、という事実である。

「吉田松陰って俺のことか」と、草場の陰で驚いているかもしれない。

本書にも取り上げられている徳冨蘇峰の吉田松陰という本は、Kindleで無料で読める。

よろしければサポートお願いします! いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!