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逍遥の音楽

 マーラーは散歩が好きであったという。それは今日であれば差し詰めウォーキングと 呼ばれるもののイメージに近く、(ウェーベルンが愛好したような)登山ほどは本格的ではなく、 だが、長時間に渉り、かなりの距離を踏破するといったものであったらしい。 マーラーの時代は、工業化社会の入口にあたっており、鉄道網が張り巡らされ、 写真は当たり前になりつつあり、自転車、自動車が発明され、電灯が灯り始める時期である。 今日もまた類似の現象が見られるように、リゾートブームがあり、健康ブームもあり、 例えば自転車に乗ることは、当時のモードの最先端という一面を持っていたらしい。 マーラーは自転車にも熱中したらしく、書簡集の中には、いわゆる「サイクリング」 友達宛のものも収められていたりする。マーラーがもう少し長生きして本格的な工業化時代まで 生き永らえたとしたら、どうなったであろう。自動車が個人で所有できるようになり、 飛行機が実用化した暁には、マーラーは自動車や飛行機に熱中しただろうか。だが、 結果としてそのようにはならず、現実に遺された作品に拠る限りは、マーラーの音楽は結局のところ、 「私」の歩行のリズムと移ろう風景が織り成す「逍遥の音楽」ではないだろうか。

 マーラーの音楽を聴くとき、そこに逍遥のテンポとリズムが、その中を主体が移動していく 風景が思い浮かぶことは、少なくとも私にとっては、聴き始めの頃からごくありふれた、 当たり前のことであったように思われる。あまりに当たり前過ぎて、あるいはアドレッセンス 特有の性急な熱中の結果として、その音楽があまりに自分の中に埋め込まれてしまったため、 それが音楽的経験として、必ずしも自明なことではなく、マーラーの音楽の受容の仕方としてもまた、 必然でも当たり前でもないかも知れないということに気付くのに、ひどく時間がかかることになる。

 ちょっと反省してみれば、それがかなり強引な写像であることに気付きそうなものであるが、私は 当たり前のこととして、自分が住んでいた地方都市近郊の風景を、マーラーの音楽の風景と オーバーラップさせて受け止めていた。勿論、兵営のラッパの音が聴こえるわけでもなく、 ポストホルンが響くこともなく、レントラーやスケルツォが舞曲として、自分の身体性に 接地した訳でもなく、多くはモノクロであったが、写真等を通して、マーラーがその中で 作曲をした場所の風景を知らなかったわけではない。1世紀と地球半周近い隔たりがあることに 対して完全に無意識であるわけもなく、それが異国、過去の音楽であることに思いが 及ばなかった訳でもない。

 言ってみれば、(そして、これは今現在でも基本的には変化はないのだが、)私は今、そこで 鳴り響いている音楽を通して、自分の生きている世界を眺めようとしていたのだろうと思う。 それが可能であったことの恐らく最も重要な要件の一つとして、FMラジオやLPレコードから 響いてくる「音響」としてマーラーの音楽を受容し、当時は爆発的なブームになる前であったこともあり、 コンサートホールでマーラーを聴くようになる前に、独りで聴く音楽、更に言えば、自分の中で 鳴り響かせる音楽として受容していたということがあるだろう。

 勿論、それ以前の前提条件として、「自然の音」に満ち、それ自体が一つの世界であり、その音楽を聴くことが、 風景の中を逍遥することに近しいだけの空間的な広がりを備えたマーラーの音楽、とりわけても その交響曲作品のありようが与っているのは間違いない。

 だがマーラーがかつて歩いた風景は、1世紀後の極東の島国に住んでいる限り、現実のものとなることはない。 勿論これまでも、マーラーの同時代に撮影された写真によって辛うじてかつての風景を伺うことも できたし、その後撮影された写真によって何年か後の同じ場所の風景を知ることもできた。 更に現在では、Google Street Viewのような手段によって、仮想的にその中を動き回ることも できるようになってきてはいる。

 しかしだからといって、マーラーが居た同じ場所に(100年以上の隔たりと、何よりそこは、 たとえ浮き草のような関わりであってもなお自分が生活している圏ではない、自分にとっては 他者としての、異質な風景であるという消し難い意識を携えたまま)自分が立ってみたいと思うかと言えば、 私に関しては、実はその気持ちが切実な訳ではない。マーラーは第3交響曲を作曲していた頃に、 弟子のブルノ・ワルターに対して、自分の作品の中で表現してしまったから、現実の山を見るには及ばない、 といったことを述べたそうだが、時間と空間の隔たりを、作品を媒介にして辛うじて通り抜ける私のような聴き手は、 まずは専ら作品の中に封じ込められた風景に慣れ親しんできており、その音楽と共鳴する、 (元々のマーラーの文脈とは全く無関係の)私にとっての現実の風景との連想が形成されたりはするものの、 結局のところ私にとって重要なのは作品の中の風景であるということのようであり、つまるところ、 マーラーの意図は、ここでは申し分なく達成されたということになるのだと思う。

 一方でそれが故に、自分が見た現実の風景が、例えば更に1世紀後にどのようなものになってしまうか に関しても無頓着でいられるのであろう。私がその風景の中に都度見出したものは、勿論実際にその風景の 中に存在していたものには違いなかろうが、元はと言えば、それはマーラーの音楽の中に封じ込められた 構造の投影の如きものであって、マーラーの作品が存続する限り、その都度再現可能なものであろうからである。 勿論、他の聴き手ならば、同じ作品から私が見ているのとは 別の風景を読み取ることもあるだろうが、作品の中に封じ込められた風景は、いわば「幽霊」の 如きものであって、「出来事」の痕跡であるとともに、「出来事」の想起の反復を可能にする装置 なのである。それは単にそれがかつてあったという事実を指し示すだけではなく、それがどのようであったかを 再現し、繰り返し経験させるメカニズムなのである。それゆえ、私が最初にマーラーの音楽を聴いたときに 見た風景は、私の経験の個別性を捨象してしまえば、作品が存続する限り、私の有限の寿命を超えて 生き延びて、「出来事」の経験の質を、その都度更新しつつ伝達していくのであって、「幽霊」として、 私よりも寧ろ永続的な存在なのである。

 かつてとは異なって、現実の外の風景は、マーラーの音楽と必ずしも共鳴しなくなってきた。 歩行のリズムは残る一方で、風景は内面にしか残らず、外の現実と一致することはない。 本質的に逍遥の音楽としての身体性を帯びているマーラーの音楽は、バルトークを参照して ヴィニャルが言い当てたように、優れて「野外の音楽」なのであり、更にそれは、時折立ち止まったり、 方向を変えたり、速度を緩めたりということはあっても、奥行や広がりのある外部を持ち、風景の中を 移動していく視点を持ち、外と接する皮膚感覚があり、キネティックな身体性を帯びているが故に、 それを同調的に受容する私もまた、そうした場における動性が持つリズムへと引き込まれていく。 (こういうことは言えないだろうか、同じ風景の中の逍遥であっても、それがマーラーの音楽と ともにある場合と、そうでない場合では歩行のリズムが異なり、結果としてそこに異なったものが生じるのだ、と。)

 他方で、その音楽の中に記憶された風景は、私がその中に住まう現実の風景と、今なお時折、 緩やかな連想によって繋がることがあるとはいえ、決して一致することがないことに、私は気づいて しまっている。作品にアーカイブされた風景というのは、ある種の「記憶」であって、記憶というのは 常に、何かをきっかけに再構成されるものでしかなく、作品は言ってみれば、そうした記憶を、 時代を超え、場所を変え、主体すら入れ替わって尚、再現することを可能にするだけの情報を 構造化して固定化したメカニズムなのである。寧ろマーラーの音楽は、今や現実の風景の孕む 細部のずれをものともせずに、記憶された風景を、一度もそれを過去に経験したことのない主体に対して さえ正確に提示することができるのだと言うべきだろう。

 そしてそこでもう一度、マーラーの音楽の特質として、それが構造的に超越性を孕んでいて、 外部に己を曝すタイプの存在様態のアーカイブなのだということ、つまり外部から到来する出来事の経験の 痕跡なのだということが浮かび上がってくる。同じように優れた音楽であっても、もしかしたら、事実としては 同じような、あるいはより深刻な経験が契機となった作品であっても、常に生じるとは限らない。

 例えば、マーラーのライバルと目されたシュトラウスが第二次世界大戦の経験に基づき作曲した 「メタモルフォーゼン」を思い浮かべて見ればよい。経験の深みと重みに思わず思いを致さずにはいられない、 その凄まじいばかりの圧倒的な力にも関わらず、 この音楽はかつての「英雄」の内側で鳴り響いていて、決して外部へとは向かわない。何物も探し求めるわけではなく、 どこにも行かないし、どこにも辿りつかない。それが端的に感じられるのは、例えばマーラーの再現のあの距離感、 もう引き返せないという感覚と比べたときのシュトラウスの再現の持つ時間性だろう。ここではアドルノの カテゴリを用いれば、「突破」は決して生じない。マーラーの音楽におけるような、超越の瞬間における、 絶対的に受動的な主体の没落が生じることはない。

 マーラーの音楽は、そういう意味で、内面的の表現という意味合いでのロマン主義とは異質なものだし、 外面的な描写、事前に設定された素材としての標題の音化なのでは全くない。他方で、内的なプログラムとしての 標題を云々することで、標題性を救い出そうする志向は、そうすることで「プログラム」という言葉の持つ 意味を毀損して、陳腐化してしまっているのだ。

 音楽作品というのは、それが作品である限りにおいて、何等かの「プログラム」そのものであろう。 音楽作品であればそれは、ある具体的な構造を持った音響を常に同じように構成するための手順書という意味合いで、 すべからく「プログラム」である。(一定の情緒を喚起することを意図したムード音楽はその最たるもので、 それゆえマーラーはしばしばそのように捉えられがちなのだろう。)その上でマーラーの作品=プログラムの特性はと言えば、 それが外部から到来した出来事の経験の反復、超越の経験の再生のための形式的条件を記述した手順書という意味で、 プログラムなのであって、「内的」という言葉で尽くされるようなものではない。寧ろそれは強い 行為遂行性を帯びていて、そこで再現される経験は、ある種の儀礼の如きものに近接する。 寧ろ行動への誘いなのであり、もしかしたら(まさにそのために書かれた筈であるにも関わらず)、 コンサートホールでの演奏会という制度の枠に、防音設備で外部から隔離され、数時間の間、 「芸術鑑賞」というかたちで日常から隔離された環境での「美的感動」には収まりきらず、そうした閉域に 閉じ込められることを拒絶するような類のものかも知れないのだ。丸山桂介が、「隠れたる神」において 示唆しようとしたことは、結局のところ、こうした消息なのではなかろうか。

 マーラーの音楽作品は、超越の瞬間における、絶対的に受動的な主体の没落の記録なのであり、 しかもそれは過去に起きたことを事実して記録するのではなく、まさにそうした瞬間にこそ何者かが到来し、 「来たれ」と主体に対して呼びかけるという構造を封じ込めてあり、そうした経験を再現するための メカニズムなのである。それは「外部」を呼び起こし、その作品を受容する主体を外部への連れ出すのだ。 マーラーの音楽のそうした構造は、それを普遍的なものと呼ぶことはできまいが、個別の経験ではなく、 経験の構造を、経験主体の構造とその構造がもたらす宿命を定着したものとして、自伝的自己を備えた 自己意識を持つ主体のプロセスの痕跡であり、そうしたプロセスを可能にする形式的条件を プログラムしたものなのである。

 従って、マーラーの音楽に導かれて逍遥することはある種の巡礼であるけれど、それは、 (もちろんそれも意義あることではあろうが)1世紀前にマーラーが実際に見た同じ場所を1世紀後に 訪れて再認することではなく、作品が再現する経験の構造を自らの行動に引き込むことによって マーラーが探した何かを、同じように探すことに他ならず、そうした「出来事の到来」を可能にする 構造を備えているがゆえにそれは「巡礼」たりうるのだ。マーラーの音楽はコンサートホールでの 消費を目的としたものではなく、マーラーがその中を生きた環境の追体験でもなく、寧ろコンサートホールの 外に出た後の主体の行動の様式の変容を強いる類のものであり、「来たれ」という他者の呼びかけに 応えて赴くことへの誘いなのだ。そしてそれゆえにこそ、マーラーの音楽は、自伝的自己を備えた 自己意識を持つ主体の生きる時代の中にあって、ベイトソンの言う意味合いでの「無意識のエクササイズ」に 相応しいものなのではなかろうか。

(2015.4.22/23/24, 2024.6.25 noteにて公開)

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