ショスタコーヴィチを巡っての15の断章(1)
1.
ショスタコーヴィチが受けた傷のあまりの大きさ、彼の繊細さと大胆さ、そして、幾度となく辱められ、精神的にも経済的にも 追いつめられながら、自分の作品の価値を信じ、自分の価値を信じ、誠実に生きようとした姿勢は、彼の音楽と、 声楽つきの曲であれば音楽と不可分に違いない歌詞の選択によって、更には書簡などに残された言葉によって窺い知ることができる。 私は言葉なしの音楽に外から言葉を押し付けようとは思わないし、言語的な意味を押し付けようとも思わない。 音楽はそもそも「意味」の水準に留まるものではないし、音楽そのものが持つ内容こそが私にとってショスタコーヴィチの音楽の魅力の源泉なのだから。 言葉によらずにと言いながら、一方で文脈から言葉を密輸して音楽にあてがうことで解読された「意味」とは、言葉によらないはずの 音楽にとって一体何だというのか。
音名象徴であるとか、引用といったものの存在を否定するわけではないし、特にショスタコーヴィチ自身の作品内でのいわゆる「自己引用」に限れば、 その意味を軽視するつもりもない。更にはこの種の問題におけるオーセンティシティの判断は微妙なものゆえ、そうした詮索の何が妥当で何が こじつけなのかを決定することの困難についても理解できなくはない。だが、それならいっそ歌曲そのものが何故直接に取り沙汰されないのか、 不思議でならない。まさか、あまりにあからさまなので「謎解きの面白み」がないという理由によるのでもなかろうに。だが、そんなことを言う資格はそもそも私には ないのだろう。例えば上に掲げた作品はショスタコーヴィチの作品の一部に過ぎず、私は多分、彼のすべてではなく一面にのみ拘りを持っていると いうことになってしまうのだろう。それをディレッタンティズムと呼ぶなら、そうなのだろうし、聴き手の気儘な簒奪行為で あるといって批難されればそれを甘受せざるを得まい。例えば歌曲に拘るにしても、なぜある作品のみを取り上げ、他の作品は取り上げないのか、 その「客観的な」基準を問われたら、私は沈黙するほかない。選択が主観的で恣意的なものであることを私は喜んで認めよう。 そもそも私は研究者ではなく、その音楽を研究対象としているわけではないのだ。
別のところに書いたように私は謎解きなどに興味はないし、幾重にもしくまれた意味のコードの解読によって「裏の意味」を 探ることなどに興味はない。あるいはまた私には、彼の音楽を聴くことを「楽しみ」と呼ぶのが適当だとはどうしても思えない。だがそもそも謎解きの 「楽しみ」など私は欲しくないのだ。そうした「楽しみ」は他の人達のためにあるのだろう。ショスタコーヴィチの生きた時代を「おもしろい」と 言える誰か他の人達のために。例えばプーシキンの詩や、イギリスの詩人の詩を反芻しつつ、その音楽に聴き入ること、 その重みを自分なりの仕方で引き受けることの方が私にとっては心惹かれるのだ。私はこれらの音楽を前に知的に、分析的に向き合うことができない。 その詩と音楽の持つ異様な力の前で私はしばしば涙を流す他ない。そのようなはしたない、品のない聴き方しかできないのだ。 それは「ミケランジェロ組曲」に至るまでの全ての作品に対して、同様に言えることだ。
私にとってそれは、彼が音楽を書くことで辿った自己の傷、他者の傷を辿る道程に、私もまたその音楽を聴き、歌詞を反芻することで関わること、 私自身の受けた傷と、他者の傷を私自身が辿ること。(「私の身体に残る釘痕」・・・「私は幾百万もの死者たちの絶えることなき無言の叫び」・・・ 「決してこのことは忘れまい」・・・「私の中にユダヤの血は流れていないが」・・・「激しい敵意をもって憎まれている」。 であれば、こうして聴いている私もまた、「真のロシア人」というわけか。) 彼の音楽を聴くことは、自己の信ずる価値の擁護そのものなのだ。"Забыты те, кто проклинали," (「罵った者たちは忘れさられた」) ― "но помият тех, кого кляли." (「しかし、罵られた者たちは記憶されている」) かくあれかし。そして微力であっても私もまた、そうした記憶の 継承に何がしか与らんことを。
(2006.4--2008.10 / 2008.11.7/8/9, 2009.8.15, 11.15, 2024.9.25 noteにて公開)
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