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マーラーの「詩と真実」

21世紀に日本に生きる人間がマーラーの幼年時代を思い浮かべるのは難しい。150年前の異国の風景をどのように 再構成したら良いのか。けれども、例えば第1交響曲のあの序奏を聴けば、そうした想像をしてみたい気持ちを抑えるのは難しい。

勿論それはマーラーが実際にかつて見た風景そのものではないだろうけれど、第1交響曲に限らず、おしなべてマーラーの音楽は (彼自らそう語ったように)作曲者自身の経験と密接な関連があるのは疑いない。同じ風景を見ても、そこになにを見出し、何を 受け止めるかは人それぞれだろう。それゆえ、多かれ少なかれ他の音楽についても言えることではあるとはいえ、とりわけマーラーの ような音楽の場合には、風景の感受の「如何にして」への共感を聴き手が持てるかどうかが、その音楽の受容にとって決定的な 意味を持つのだろう。そうして受容されたものは、今度は聴き手の体験のあり方に応じて様々な変容を経て聴き手の中に 埋め込まれていく。絶対音楽と標題音楽の論争の脇で、享受と享受の伝達としての音楽、享受の享受といったプロセスを 考えてみるわけだ。これはもちろん、その音楽がどのような「意図」をもって書かれたかという(例えばフローロスが拘りそうな)議論とは とりあえず関係ない。強いて言えばマーラーの音楽が持っている自伝的な側面が、こうした聴き方を相対的に容易にするというのは あるだろうが。

だがここではそうした享受に纏わる脈絡は一旦捨象して、マーラーが見た筈の風景に如何にして近づくことができるかを問題にしよう。つまり、 マーラーの隣にいた誰かが見たかも知れない風景、もし私がマーラーの隣にいたら見たかも知れない風景へのアプローチに問題を 変換してしまおう。そうしたとき、マーラーの時代には既にあった写真、伝記作者たちが蒐集した当時の状況を覗わせる資料と いったものが手がかりとして思い浮かぶ。

例えば手元にある資料の幾つかには、今日(といって撮影されたのはもう数十年前だが)のカリシュテやイフラヴァのカラー写真がある。 マーラーの生まれた家は、その一部が1937年に消失したため改築されたという事情もあり、全て元のまま、というわけではないにしても保存されているし、 イフラヴァでマーラーの家族が生活した建物も残っている。これが決して「当たり前」ではないのは、自分の幼少時の風景の多くが最早残っていない場合を 思い浮かべればわかる。私が幼少時に生活した家はもう残っていないし、周囲の風景もかなり変わってしまい、自分の記憶の中の風景は最早自分の中にしか 残っていない。その一方で、当時撮影した写真でもあれば、自分が見た視線の高さ、自分が知覚した物体の大きさそのものではないにしても、 当時の様子を知ることはできるだろう。

そして同じことが幸いマーラーの場合には可能である。1912年頃に撮られたらしい写真が残っているのだ。もっとも、 実はマーラーの家族がカリシュトからイーグラウに引っ越したのはマーラーが物心つく前(生後わずか4ヶ月程)だから、カリシュトの風景についてマーラーが どのような記憶を持っていたかはわからないということになるだろう。あるいは物心ついてから改めてカリシュトを訪れ、自分の生まれた家の 周りを歩いたことがあっただろうか。
イーグラウの街についても同様に、マーラーが住んだ家、中庭〈明らかに時期の異なる2種類〉の写真、内部の階段の写真もあれば、市立劇場やシナゴーグ、 街の広場の写真もあれば、当時の市街の平面図(地図)もあり、マーラーの居宅が街のどこにあったのかを確認できたりもする。写真だけでなく、恐らく 写真の代替の役割をしたのであろう版画まで範囲を広げれば、街を郊外から眺望したもの、郊外の風景などもあり、そこをマーラーが訪れた証拠など ありはしないけれど、マーラーの幼年時代の周囲の風景を想像するよすがにはなる。

幼少時のマーラーの写真としては、1865年頃、すなわち5歳の頃のマーラーが椅子の脇に立ち、右手には帽子を持ち、左手で椅子に置かれた楽譜を 押えている写真が有名だろう。更には1871年に撮られた写真、その翌年、従兄弟のグスタフ・フランクと一緒に写っている写真があって、ここまでが イーグラウに住んでいた時期のマーラーを写したものである。(実は1878年と1881年のマーラーを写した写真も撮影場所はイーグラウのようで、帰省の折に 撮られたものらしいが。)

これらに加えて、バウアー=レヒナーやアルマの回想録中にマーラーの回想として記録されている幼少時のエピソードが加わり、例えばド・ラ・グランジュが あるいはフランクリンが筆の力で描き出す風景が加わる。私が心の中で構成するマーラーの幼少時の風景は、これらのものに基づくパッチワークである。 こうした作業が可能なのは、私の場合マーラーをおいて他にいない。理由は単純で、それをするための資料がないからである。だがマーラーの場合についていえば、 自分自身の記憶だって断片的な映像とエピソードの集積であることを思えば、そんなに条件は悪くはないとも考えられる。 勿論、一方にはあるクオリアが他方には全く欠落しているという決定的な違いはあるが、それをおいてもマーラーと自分との間にある距離の大きさを 確認することが出来る程度の厚みはあるといえるだろう。 そしてその厚みは、子供のころにマーラーの音楽を聴いて、音楽によってのみ自分が見出しえたと思いなし、錯覚した風景とは勿論一致しない。

だがだからといって、原理的には可能にも関わらず、ここで私が簡単にシミュレートしたような方向性から背を向け、オペラやら演劇の多くや一部のバレエの 演出と同じように、演出家なり監督なりが今日に相応しいとされる「読み替え」を行って自己顕示を行うための素材としてマーラーを利用したとしか 思えないケン・ラッセルのおぞましい映画や、それ自体には根拠が全くないわけではない連関を逆手にとってトーマス・マンの小説にマーラーの虚像を 重ね合わせることにより、結果的にマンの原作に対する読み替えの成否などそっちのけでマーラーについての誤解を蔓延させるについてはどうやら著しい 「成功」を収めたらしいヴィスコンティの「ヴェニスに死す」やらを、生産的な受容として顕揚することなど真っ平御免である。とりわけ一応は「伝記映画」という 触れ込みの前者には、そんなところだけには俊敏に反応するジャーナリスティックなセンスを誇示せんばかりに挿入されたわずか3年前のヴィスコンティの 「ヴェニスの死す」の映像のパロディとともに、こちらは「創作」と思しきマーラーの幼年時代のエピソードらしい映像が幾つかでっち上げられている。 それらも含めて総じてケン・ラッセルがマーラーの伝記を渉猟し、細々としたエピソードを調べ上げた上で「フィクション」としての味付けとやらをしている点を 好意的に評価する向きがあるのを知らないではないが、それでもなお私がそこに見出すのは、きちんとした考証を行う手間の方は割愛し、 その代わり本人は自信たっぷりに映画館のスクリーンで多くの人間にそれを晒す価値があるとどうやら思っているらしい、そしてこの映画を評価する向きには マーラー本人の強迫観念のもたらしたファンタスムの的確なリアリゼーションということになるらしい、勝手気儘な空想に過ぎない。 どうやらこの作品の独創性なり価値なりの根拠となるらしい「フィクション」化についてもまた、私には寧ろ想像力の貧困とマーラー本人が備えていたらしい 人格的な高潔さや精神性に対する底知れぬ悪意をしか感じ取ることができなかった。それ自体は決して悪い演奏ではないハイティンクが指揮する コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏するマーラーの音楽が、その音楽を生み出した本人を肴にした、共感すら疑わしい(もしそこに「共感」があると主張するなら、 それは「共感」ではなく、寧ろ自分勝手な思い込みの類に過ぎないといいたいように思う)恣意的な映像に重ね合わされるのは私にとって苦痛以外の 何物でもないおぞましい経験だった。こちらはケン・ラッセル本人には関係ないが、日本での映画の公開があのマーラー・ブームの時期であったことも忘れてはなるまい。

勿論、自分がマーラーに対して抱いているイメージだって偏っているだろうし、それが権利上正当なものだと主張するつもりはない。だが私は、それも一つの 偏った見方だとしても、マーラーを「聖人」として描き出したシェーンベルクの側に断固として与したいと思う。意地悪に冷静な人は、そのシェーンベルクが 存外ケン・ラッセルの映画を評価したかも知れないではないかと混ぜ返すかも知れないが、こればかりは、頼りになるのは自分の直観だけであっても、 決してそんなことはなく、もしシェーンベルクが存命であれば(カーチャ・マンとアンナ・マーラーの抗議の方は「事実」にまつわるものであるからやや 趣を別にするのだが)、かつて「ヴェニスに死す」に対して「マーラー派」の少なからぬ人間が示した強烈な(ヒステリックと他人が言うかも知れない)反発と抗議に 恐らくは与したであろうように、ここでも同じ反発が繰り返されたに違いないと私は確信を持って言いたい。かつても「マーラーといえば「ヴェニスに死す」」のような 反応やら、マーラーは嫌いだが「ヴェニスに死す」は例外であるといった論調があって、今よりもずっと党派的な偏狭さの中に無自覚に居た私は随分と憤慨した ものだが、今日ではそもそもそんな騒動があったことなどすっかり忘れられ、受容史の一齣として年表の中に納まってしまったかのようで、それはそれで 違和感を感じずにはいられない。

勿論、だからといってマーラーの故地を訪れる式のドキュメンタリーの類が望ましいと言いたい訳では決してない。返す刀で例えばレゾフスキーの映画を顕揚しようと いうわけではないのだ。私は単に、例えばマーラーの幼年時代というのがどんなものであったかを感じとってみたいだけなのだ。事実の集積は必要だ。だけれども、 それは状況証拠に過ぎない。マーラーの回想自体、マーラー自身が意識的・無意識的に加えた変形を経たものであって、「事実」とは異なる、というよりは、 マーラーがそのように語ったものの別の展望を示すことが可能であるような類のものであることに留意すべきだ。マーラーがそのように受け止めたという事実と、 だが状況は他人の目から見たらこのようであったという事実の両面を考慮すべきなのだ。
マーラーの人と音楽の関係の特異性についても、それをむやみに強調し、安易な伝記主義による関連づけをするような姿勢に対する懐疑は必要だろう。マーラーの音楽に 過剰な物語を押し付けるのは、音楽から作曲者に対する伝説を仮構する(マーラーの場合なら、子供の死の歌にまつわる錯誤が典型だろうか)のと同様の滑稽さを 帯びている。その一方で、マーラーの音楽にある自伝的側面、それが「体験」に基づいたものであるという側面を軽視することも別の極端であって、 表面的には伝記的事実と直接的に関連づかないとしても、それでもなお作曲者その人によって「生きられた」ものである点に私は拘りたいと思う。

マーラーは何かの信条を表明することを「目的として」、音楽をその「手段」と したのではない。そういう意味ではマーラーの音楽は狭義の標題音楽ではない。だがそれは、例えば「カラマーゾフの兄弟」が、ドストエフスキー自身の経験、彼が 書き留めた様々な現実の事件を素材とし、ドストエフスキー自身の信仰に対する考えに導かれながら、物語固有の世界を備え、固有の力学を持ち、 一つの世界を形作っているのと同じだ。幾ら素材を渉猟しても、いくらドストエフスキーの意図を実証的に跡付けたとしても、それは「カラマーゾフの兄弟」そのものの 読解とは別であるのと同様、マーラーの音楽を聴くために、素材の渉猟や意図の実証的な跡付けが必須なわけではなく、寧ろそれは端的に別のものと考えた 方が寧ろ正しいのだろう。あるいはこれまたマーラーの読書の中核を占めていたゲーテの創作と生における「詩と真実」を考えてもいいだろう。

だがしかし、私は音楽だけでは不充分なのだ。少なくともマーラーの場合だけは、音楽ではなく、音楽とは別に、そういう音楽を作り出した人を、その人の生を 探ることを止めることがどうしてもできない。極論すればマーラーの音楽の音調は半ば私自身であるといっても良い程度には、自分の中に埋め込まれてしまっている。 だがこれは私「の」音楽ではなく、ある他者の作り出したものなのだし、実際、埋め込まれつつもそれは時折、他者の声として私の中で響くことがある。私自身の 幼年時代と違った幼年時代の印象が、音調の中にこだましている。克明さにおいても、クオリアの強度においても自分がかつて見た風景とは決定的な違いを 持ちながら、マーラーが見た風景が、マーラーが風景を受容したときの情態が、私の中に甦るような気がするような一瞬が確かにあるのだ。それが「客観的に」 どういう価値を備えているのか、そんなものが世代を超えて伝達されることにどういう意味があるのかは杳として知れない。だが、そうしたことが起きることは 私を非常に強く魅惑する。マーラーの愛読書でもあった「意志と表象としての世界」の第3部(特に第52節)の中でショーペンハウアーは音楽を「意志全体の 直接の客観化」であるとし、音楽が表明しているものを「現象ではなく、内面的な本質であり、あらゆる現象の即自態であり、意志そのものである」としている。 レムが「ゴーレムXIV」の講義に仮託して述べているように、ショーペンハウアーは過度の一般化をしてしまったに違いないし、だから粗雑にも「意志」と ショーペンハウアーが呼んだものに、現代なら可能になった肌理の細かさを回復させる必要があるだろうから、それに応じて上述の音楽についての言及も 翻訳されなおす必要があるだろうが、にも関わらず、ショーペンハウアーは極めて優れた直観を備えて、音楽によって世代を超えて伝わるものを言い当てている ように思えてならない。ちなみにショーペンハウアーが範例的に思い浮かべていた音楽が、単に時代的な前後関係から無理だからというだけでは決してなく、 マーラーのような音楽ではないということは、この場合には問題にならないと考える。マーラーの音楽は、これはアドルノが別の文脈で的確に言い当てている ことだが、極めて「唯名論的」であって、例えばショーペンハウアーが上述の引用のすぐ後で述べていることと一見したところ一致しないように見えるかも知れないが、 実際にはそれは問題ではないはずなのである。だが、これらについては項を改めて述べるべきだろう。

(2010.6.6, 2024.6.27 noteにて公開)

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