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「透谷巡礼」をめぐる16の断片

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ブログ「山崎与次兵衛アーカイブ:透谷巡礼」(https://tokoku-yojibee.blogspot.com/)で公開した透谷の「聖地」を巡ることをめぐっての文章をアーカイブ
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断片XIV 「自然」への反逆

 (…)  「いのちの無目的性」を賞揚することへのあなたの疑念については、 私個人の立場は明確で、なおかつ、あなたがお書きになられた意見に賛成です。 以下、私なりに敷衍してみます。  例えば進化というのは無目的なもので、「このようにいまある」のは そういう意味では偶然の産物です。一方で人間は目的論的思考をしてしまうように 方向づけられているので、ついつい無目的なものに目的を投射してしまうのは 確かで、そのために間違った認識を持ってしまうこともあると思います。  これは寧

断片XIII 「透谷」を巡礼する

 私がしている「透谷巡礼」を「考古学的」と形容するのが適切かどうかについては、 正直なところ議論の余地があると思います。例えば、隣接する領域として、ここでは それとの対比が前提となっている歴史学以外にも、人類学、先史学、古生物学の ようなものが思いつきます。歴史学というのは文書記録に基づくものであり、 文字記録が残っている時代は歴史学の領分と一般にはみなされていますが、 たとえ明治時代であったとしても、文書記録ではない遺構に基づくものであれば それは考古学の領分ではあります。

断片XII 透んだ水の湧く谷戸

 文章として書くには当然、蓄積し、無意識のうちに考えを整理するプロセスが必要で、 いわばそれは地下の水脈のようなものなのであり、水脈が涸れてしまったらおしまい ということになるわけだが、それゆえに、しばらく文章を書くことから遠ざかって しまうと、放っておくと涸れてしまうのでは、もう今からでは間に合わないのでは、 という危惧の念に付き纏われることになる。  今回は、掘ったら一応、水が出たということのようで、こうなると書けた文章の評価は 二の次で、個人的にはまずもって、水脈が涸

断片XI 未来に向けての、終わりなき運動

 巡礼はいつ終わるのか?とりわけても、この巡礼は?  この巡礼は、双六の如きゲームに似て、終了状態(「上がり」)が定義されうるような、 整備された札所巡りとは異なって、終了状態を定義することはできない。これは達成を競うゲームではない。 例えばこんな具合に「巡礼」は間歇的に、不規則に行われる。 小田原駅→城山高長寺→小田原駅 町田駅⇒薬師ヶ丘→町田ぼたん園→薬師ヶ丘⇒町田駅 町田ぼたん園往復 町田市立民権資料館往復 武蔵増戸駅→網代温泉→武蔵増戸駅 八王子駅⇒新清

断片X ヴァーチャリティに関する補遺

 ある場所を訪れようとしたとき、どのような技術的手段が可能かに ついての状況は、ネットワークの発達前と現在では大きく 異なっているように見えます。かつては地図・書籍といった情報や 既にその場所を訪問している人の話を直接聞くなどといった かたちでしか情報収集はできませんでした。  今は地図はPCでかなり詳細なものを見ることができて、 住所を入れれば場所が特定できるのし、行き方も所要時間も 事前に調べられますし、Webには大抵、その場所を訪れた人の 記録があるので、事前調査は非

断片IX 巡礼におけるヴァーチャリティ

 ここでは2つの「巡礼」が問題になっている。 一つはリアルなもので、「移動性をもった視線」もまたリアルなものだ。 もう一つはヴァーチャルなもので、「仮想の移動性をもった視線」によるものだ。 ここでいう仮想の移動性というのは、自宅のPC上で訪問可能ということでもあり、 マウスの操作によって、インタラクティブな仕方で道路上を移動し、ある場所で 視線の方向を変更できるという意味合いもある。  ところで「視線」そのものは 仮想なのだろうか?身体の向きを変え、首を回し、頭を上げ下げす

断片VIII 極東の架空の島の…

 ヴァーチャル巡礼ということを考え、透谷に関してはそれを リアルな巡礼と重ね合わせるということを思いついて実際にやってみて、 三輪さんの作品については、こうした具体的な 場所がどうした、ということをそもそも思いつかない ことにふと思い当たりました。  例えば過去の異郷の作曲家の場合はどうでしょうか? ここではヴァーチャルな巡礼は、リアルには訪れることのできない 異郷の地の訪問の代補として機能します。けれどもそもそも、 その作曲家の音楽はいわゆる「絶対音楽」であり、 別にある

断片VII 間奏曲(書簡)

 透谷については、もう少し蓄積をしてから整理をしようと 思っていますが、それにしても透谷の問題意識から、1世紀後を 経て、一体どれだけ変化したのだろうという感慨に囚われます。 三輪さんが言及された木戸さんの「トランスクリプションではなく、 トランスフォーメイション」という言葉に対し、思わず 透谷が、100年前の銀座を歩いて述べた「革命にあらず、移動なり」という言葉を思い浮かべてしまいました。透谷もまた、伝統には 実は革命が必要なのに、実際には移動しかなく、伝承が行われている

断片VI 幻境への旅

 小田原城山の高長寺にある透谷の墓を訪れた後、これもふとした偶然で、 町田市野津田の旧石阪昌孝邸跡に あるぼたん園を訪れることになり、透谷と美那の出会いを記念した「民権の碑」を 見ることができたことから、その後も透谷にゆかりの場所、特に関連する碑が 残っている場所を順次訪れてみようという気持ちになって、まずは五日市の網代鉱泉、 八王子みつい台の「造化の碑」、上川町森下の「幻境の碑」を訪れた。  訪問にあたっては、1997年刊行の「透谷と多摩」というブックレットを参照し、 P

断片V 神の衣を織る

 透谷の言葉は、1世紀後の文脈で読み直すことが可能だし、 そうすべきで、そうでなければ読む意味がありません。 例えば彼の「各人心宮内の秘宮」は、無意識の発見とも、 ジェインズのbicameral mindの構造を捉えた稀有な例では ないかとも思えます。「内部生命論」は、観念を抱くことが出来た人間という被造物が、 その観念によって自分を産出した世界を変化させ、新たなものを 産出する可能性に触れていて、一般にはキリスト教に対する 理解の浅さや、啓蒙思想の人間中心的な進歩史観に属す

断片IV 蓄音機

 劇詩「蓬莱曲」は文学的には失敗作ということになっているけれど、 能や浄瑠璃の世界と、バイロンやゲーテが取材したマンフレッドや ファウストの世界の両方を足場に、自分の見出した「内面」を ありのままに定着させようとした透谷自身の志向と、その内的 生命の力、結局透谷自身を圧倒してしまったのかも知れない その力の迸りは、時代を超えて、今、この地点でも明らかに 感じられるし、人間の「心」の問題を考えようとしたときに 今尚、決して古びていないものに感じられる。 それは、当時は実現できな

断片III 「現実」への姿勢

 透谷には「一夕観」という文章があります。死ぬ直前の透谷が、 恐らく療養の目的もあって、自分の故郷に程近い、先祖の菩提寺の 寓居(国府津前川)にて書いた文章の一つです。 そこで透谷は目前に広がる、人間の秩序を超えた現実である 太平洋の海原を眺めつつ、ホメロスやプラトン、シェイクスピア、 バイロン、ヴォルテールといった固有名を呼び出し、人間の心「を」 創りだした世界と人間の心「が」創り出した世界を往還します。  自分がその中で如何に卑小な存在であるかを認識し、人間の営為と い

断片II 墓参

前日出張で熱海に宿泊し、その翌日の昼前に家に戻る途中、帰りに 小田原で少し時間ができたので、久しぶりに小田原駅の周辺を一人で歩いた。 時間にしてほんの30分強程度でひとめぐりしたのだが、出張に岩波文庫の 透谷の選集を持っていったこともあって、透谷の墓の場所を確認しようと、 朝、起き抜けの熱海のホテルでふと思い立ったのがきっかけである。 小学校の低学年のときに郊外に越すまでは、小田原駅から10分くらいの 町中に住んでいたし、その後は高校が小田原駅の裏の山の上だったので、 今度

断片I 120年後の透谷

透谷の立っていた位置から1世紀後の人間は、一体どれだけ移動したというのか? 日本人の心性は、儒教的・仏教的なものに如何に深く根付き、だけれども 日本独特の神道的なものと(それ自体、極めて日本的な仕方で) 混淆していることか、西欧的な権利や義務の概念からの隔たりが如何に大きく、 あるいはまた、キリスト教的な一神教的、直線的な時間性から如何に遠いか。 しかもそうした日本人的な心性は、例えば東日本大震災のような状況において 端的なかたちで表れる。それは単純に西洋に対する東洋という