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山崎与次兵衛アーカイブ:作曲家論集

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これまでWebページ、Blog記事として公開してきた、クラシック・現代音楽の作曲家の人と作品についての文章をアーカイブ。
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#マーラー

アントン・ヴェーベルン(1883-1945):指揮者としてのヴェーベルン

現在ではヴェーベルンは間違いなく歴史上重要な位置を占める作曲家であろう。だが、ヴェーベルンの場合にはそれは寧ろ死後の名声であった。それでは生前の彼は一体何であったかと言えば、指揮者であった、というのが恐らく妥当なところではないかと思う。 指揮者としてのヴェーベルンに触れることができる資料として、SONYのヴェーベルン全集に収められたシューベルトのドイツ舞曲のヴェーベルン自身による編曲の演奏があった。また、指揮者ヴェーベルンについての証言としてすぐに思い浮かぶのが、アドルノや

アントン・ヴェーベルン(1883-1945):作品についてのある仮説

ある作曲者についての言説の圏内にいると、いつの間にか自明の前提というのが出来てしまって、必ずしも当然ではないことでも無意識的に通り過ぎてしまうということがしばしば起きる。勿論、そうした前提を準備しているのは作品自体でもあるわけだし、決してそれを不当なことであると言いたいわけではない。けれども、一歩身を退いて考えればそうした前提によって見過ごされてきたことで、少なくとも私の様な単なる音楽の享受者にとっては些かも自明でないことが結構あって愕然とすることも多い。 ヴェーベルンの音

アルフレート・シュニトケ

 音楽を生業とするわけでもなく、さりとて熱心なコンサート・ゴーアーでない人間にとって、実演に接する機会が限られることになるので、その限られた機会にどのような音楽に接することができたかについては、環境に由来する条件(作曲家を知っている、演奏家を知っているという場合を除けば、理由なく、一人で出かけることがほとんどないので、殆んどのばあいには、声をかけてくれた誰かの嗜好に合わせることになる)であったり、単純な偶然(その日にスケジュールの都合がつけられるか、体調が妨げになることはない