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山崎与次兵衛アーカイブ:作曲家論集

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これまでWebページ、Blog記事として公開してきた、クラシック・現代音楽の作曲家の人と作品についての文章をアーカイブ。
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#ハレ管弦楽団

バルビローリのシベリウス:第7交響曲 ハレ管弦楽団(1966)

シベリウスの音楽の極限。シベリウスの音楽は語法が伝統的であるのに比べて、 音に対する態度は、間違いなくいわゆるクラシック音楽の極北にあると感じられる。 例えばウェーベルンにも似たところがあるが、シベリウスはウェーベルンが引き返した (のでなければ、そこを極限と見なして立ち止まった)地点を(恐らく気づかずに)超えて 先に進み、そして全く別の理由で沈黙してしまったようだ。それはある意味では、周縁的な 音楽の特権といっても良いのかもしれない。(例えば、武満の音楽にそれを感じる時があ

バルビローリのシベリウス:第6交響曲 ハレ管弦楽団(1970)

他の演奏と比較した時、第1楽章のゆっくりとしたテンポが印象的。 ゆっくりした流れの向こう側から立ち上ってくるものを感じる。 個人的に最もシベリウスらしいと思っている曲。音を秩序づける主観をほとんど感じさせない、 無人の音楽。シベリウスの沈黙は、音楽を構築してしまうこと、 音の「自然」に対する主観の暴力への抵抗ではなかったか? そんな自然がどこにあるかという問いは、例えばこの曲を聴くと空しく思える。 音楽が湧き出てくる少し手前に間違いなく存在しているように感じられるから。

バルビローリのブルックナー:第7交響曲・ハレ管弦楽団(1967年4月26日・マンチェスター、自由貿易ホール)

バルビローリがブルックナーの音楽を非常に好んでいたのは、ブルックナーの評価がドイツ語圏にほぼ 限定されていて、まだ評価が定まっていなかった時期のイギリスとアメリカで、それをしばしば取り上げた ことからも窺える。恐らくはレパートリー上の棲み分けの問題などもあって、正規のスタジオ録音が なかったため、バルビローリのレパートリーの中でブルックナーが占めている位置の大きさを知ることは、 近年のBBCによる放送音源や演奏会のライブ録音のリリースまでは一般には困難であったと言って良い。

バルビローリのブルックナー:第3交響曲・ハレ管弦楽団(1964年12月18日・マンチェスター、自由貿易ホール)

ハレ管弦楽団の根拠であるマンチェスターのフリー・トレード・ホールにて収録された放送用 音源をBBCがCD化したものである。同年9月に3回この曲は演奏会で取り上げられており、 それを踏まえて放送用に収録したものとのことである。放送用音源の多くがそうであるように、 これもまたモノラルで、音質が気になる人は聴取に抵抗を覚えるかも知れない。 流石にバルビローリのブルックナーの3曲目になるとどういう演奏になるかは或る程度 想像がつくようになるので、第9交響曲や第8交響曲を聴いたときの