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山崎与次兵衛アーカイブ:作曲家論集

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これまでWebページ、Blog記事として公開してきた、クラシック・現代音楽の作曲家の人と作品についての文章をアーカイブ。
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#ブルックナー

アイヒホルンのブルックナー交響曲選集についての覚書

クルト・アイヒホルンがリンツ・ブルックナー管弦楽団を指揮したブルックナーの交響曲選集は、私にとって少なくとも3つの理由で 関心を惹くものであった。 1.最初はこの録音の企画に起因するもの。(1)第9交響曲の終楽章つきバージョンが収録されていること。 ここではサマーレ、フィリップス、マッツーカ校訂の「現存手稿譜による自筆スコア復元の試み」演奏会用バージョン(1992年12月)が 採用されている。(2)第2交響曲のキャラガン校訂による2種の初期稿(1872年稿, 1873年稿)が

ブルックナーと「録楽」をめぐって―フランツ・ヴェルザー=メストとクリーヴランド管弦楽団の演奏を視聴して―

フランツ・ヴェルザー=メストがクリーヴランド管弦楽団を指揮したブルックナーの第7交響曲と第5交響曲の録画が放映されているのを 偶々視聴する機会があった。第7交響曲はクリーヴランド管弦楽団の本拠地であるセヴェランス・ホールでの2008年9月25日の演奏会、 第5交響曲はブルックナーゆかりの聖フローリアン修道院での2006年9月12日,13日の演奏を収録したものとのこと。 朝の7時半過ぎから夜の9時過ぎまでオフィスにいて日々の糧を得ることに追われた後のためか、久しぶりにブルックナ

オイゲン・ヨッフムのブルックナー(2):録音を聴いた感想

ヨッフムは実演を聴いて感銘を受けた数少ない指揮者の一人。聴いた演奏ではないが、同じ来日公演の同一曲の演奏記録のCDがリリースされたので聴くことができる。ひと頃はコンサートに行かなかったわけではないが、出不精もあって、圧倒的な印象を受けた実演に接したことは非常に少ない。かつまた音楽の聴き方はやはり変わっていくもので、嗜好も当然変化する。そうした中で、演奏の記録を聴き返すたびに、なお感動を新たにする演奏家で、かつ素晴らしい実演に接することができたという点で、ヨッフムは私にとっては

オイゲン・ヨッフムのブルックナー(1) : 実演に接した感想

1986.9.16 東京文化会館 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 ワグナー トリスタンとイゾルデ 前奏曲と愛の死 ブルックナー 交響曲第7番 もう聴いて20年近く経つが、この演奏会は当時の私にとっても今の私にとっても群を抜く、圧倒的な経験だった。 当時の私にとっては、ヨッフムは特に熱心なファンではないけれど、1度目のブルックナー全集(その当時、第9、第5、第2を持っていた)や、コンセルトヘボウ管弦楽団との「大地の歌」のレコードで馴染みの指揮者で、「あの」コンセルトヘボウ

バルビローリのブルックナー:第7交響曲・ハレ管弦楽団(1967年4月26日・マンチェスター、自由貿易ホール)

バルビローリがブルックナーの音楽を非常に好んでいたのは、ブルックナーの評価がドイツ語圏にほぼ 限定されていて、まだ評価が定まっていなかった時期のイギリスとアメリカで、それをしばしば取り上げた ことからも窺える。恐らくはレパートリー上の棲み分けの問題などもあって、正規のスタジオ録音が なかったため、バルビローリのレパートリーの中でブルックナーが占めている位置の大きさを知ることは、 近年のBBCによる放送音源や演奏会のライブ録音のリリースまでは一般には困難であったと言って良い。

バルビローリのブルックナー:第3交響曲・ハレ管弦楽団(1964年12月18日・マンチェスター、自由貿易ホール)

ハレ管弦楽団の根拠であるマンチェスターのフリー・トレード・ホールにて収録された放送用 音源をBBCがCD化したものである。同年9月に3回この曲は演奏会で取り上げられており、 それを踏まえて放送用に収録したものとのことである。放送用音源の多くがそうであるように、 これもまたモノラルで、音質が気になる人は聴取に抵抗を覚えるかも知れない。 流石にバルビローリのブルックナーの3曲目になるとどういう演奏になるかは或る程度 想像がつくようになるので、第9交響曲や第8交響曲を聴いたときの

バルビローリのブルックナー:第9交響曲・ハレ管弦楽団(1966年7月29日・ロイヤルアルバートホール)

ロンドンのロイヤルアルバートホールでの演奏の録音。マーラーの第7交響曲とのカップリングで BBCのレジェンドシリーズでリリースされたものだ。 上述のようにいわゆる今日標準的と見なされるであろうブルックナー演奏の様式からは まったくかけ離れた演奏だ。多分バルビローリは他の作曲家の作品と基本的には同じ スタンスで臨んでいるのだと思うが、テンポの設定、フレージング、強弱法、どれを とっても極めて個性的な演奏になっている。 バルビローリの演奏が意識の音楽であることが些か極端なかた

バルビローリのブルックナー:第8交響曲・ハレ管弦楽団(1970年5月20日・ロイヤルフェスティバルホール)

これはバルビローリの生涯の最後の年の演奏で、これに先立つこと約1ヶ月の4月30日に マンチェスターで同じ曲を演奏した時に、バルビローリは心臓の発作に見舞われたらしい。 その演奏の驚くべき覇気は、これが最後になるかも知れないという意識と無関係ではないのだろう。 それはあの7月24日の演奏会のエルガーと同じような、切羽詰った何かを感じさせる演奏だ。 演奏の様式は、現代ではもはや前時代的とされるものだが、一聴して驚かされるのは その解釈の緻密さだ。激しいテンポの変化も、旋律に対す

バルビローリのブルックナー演奏について

ブルックナーとバルビローリというのは、直感的にはあいそうにない。とりわけブルックナーの 音楽がある種の宗教性と結び付けられている限りにおいて、そのように思っていた。例えばシベリウスの交響曲にある種の超越を感じ取ることは可能だろうとは思うが、それはいわば 垂直軸を著しく欠いている。音楽は地平線の彼方を目指すのであって、天上をではない。 バルビローリのブルックナーというのは、BBCの録音が出るまでは、その存在すら知らなかった。実際に聴いてみれば、やはり普通のブルックナー演奏とは