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◆節分の豆まき 節分で「鬼は外、福はうち」。 フッと思った。 鬼を追い出すってどうよ? 嫌なこと嫌いなことを排除。 嫌なものを外に追い出して、内側だけで幸せになる。 なんだか古く狭い世界の価値観。 ◆間違いやミスするのはイヤ。 話変わって、間違いやミスは嫌なこと。 そう感じるのは、教育時代に刷り込まれたからか。その可能性はたかい。 学生時代は100点をとる正解探し。それが一番と刷り込まれ過ぎ。 だからミスらない間違いたくない。間違えば不幸を感じ
昨日「引き算する生き方もいいなぁ」を投稿させていただき、こんな↓思いもふつふつ湧いてきちゃいました。 先の投稿は、自分でみつける価値や豊かさのために「引き算的生き方」も大切だねと、他者から与えられる足し算的なものから脱却!みたいなことを書かせていただきました。 こうした中、今回…。 今まさに世界各地で起きている戦争や紛争。怯え逃げ惑う人々の姿を報道を通じ見るたびに心が辛く苦しくなります。なんで人間は争うんだろうと子供の頃から思い続けていました(だからか大人にはな
ここ数年、時代が劇的に変化し続けていることを肌で感じます。 コロナ禍はこのことさらに助長していますかね? いかがでしょうか。 そして、最近は予期せぬ変化についていけない自分を感じます。これは歳なのかなぁ。 そんな時代の変化激しい嵐の中、会社や組織はなぜかあまり変わらないように感じますが、気のせいでしょうか。 しかも名が通り歴史のある大きな会社に限って時間が止まっているような気さえ…。 そんな巨大な会社のひとつに所属し、自分も同じように頭の中が世の中の
◆清濁合わせ飲む。 清らかなものだけでなく濁ったものも同じように飲み込める、つまり反対意見も理解する力(empathy)があるということ。頭が硬くなく心が柔らかい柔軟な状態なのでしょうね。 最近、TVの情報番組など批判目線なコメントで私の頭は清濁合わせ飲むような理解ができなくなりそうです。 どうやったら、偏らずに酸いも甘いも噛み分けることができるものなのでしょうか。情報は山ほどある時代なのに…。 ◆理解 そのヒントになりそうなこと。 まずは短絡的に「判断」せ
私は昭和時代前半に生まれ60歳近く。 もし平成元年に生まれた人ならば30年ちょっと。 この両者に何ら優劣や序列はないはずなのに、年齢差で序列がある社会ですよね。 60年生きていようと30年生きていようと、尊重すべき人間に差はないはずなんですが。 会社なら年功序列や階級。 学校なら年次や上級生下級生。 何かと差をつけたがりますが、よくよく考えると全くもってめんどくさい。 人間に優劣つけるのは経験差? 経験…過去の経験が逆に足枷になる時代ですから、いさ
先日、多様性社会には「公平性」と「個の尊重」が大切と投稿させていただきましたが、それだけだと「公平」な「個」がバラバラに迷走する社会もちょっぴり想像してしまいました。 そうならないためにはもうひとつ、「信頼」というキーワードが社会に浸透していなければならないのかもしれませんね。 そんなことをちょっぴり感じました。 信頼のあるなしは例えば他人を信じられるか信じられないかとしてみると…。 そもそも他人は自分の思い通りにはいきません。みんな考えも好みも全く違う生き
男性中心の社会環境にあって、男性だけではなく、女性、LGBTQ+、高齢者、心身がつらい方、みんなが幸せである社会を構築するために、今、目の前にある社会の欠陥に気づいて穴埋めをすることが大切なのだと。 先日、高尾美穂先生のオンラインでのご講演を拝聴する機会に恵まれ、こうした思いになった次第です。素敵なお話でした。 それまでは、多様性の時代に、これまでの男性中心社会から女性が活躍できる優しい社会にシフトする、軸足を移すのがよいと考えていました。 ただそれだと、一歩間