残された物たち 2017/09/14

今現在、母親の介護生活に直面しているので折角だという思いで脳出血で倒れた状況から記憶を呼び起こしてノンフィクション的に文字として残しておいた方が誰かの役に立てるのではないか、役にたてないまでも自分たちの過去を、一歩一歩回復してきた道のりを明記しておくことが石杖になるのではないかという発想で書き起こし始めました。誰にでも起こることではないけれども、しかし突然に同じような境遇に遭遇することは世の中にはたくさん事象としてあります。

母親も一昨日までは普通に独りで、自分のマンションで生活していました。夕刻PM18時までは僕と一緒に仕事もこなして元気に自宅に帰っていきました。1週間ほど前に少し気分がすぐれないといって小一時間ほど横になったことはありましたがすぐに元の状態に戻って休めば問題ないわ、まだまだ元気やわ、と褒めていたほどです。高血圧、糖尿病などの持病も全くなくて服用薬も皆無、たまに疲れるとトルコから取り寄せてたサフラン茶なるものを愛飲していたくらいです。明後日の土曜日には僕と二人でいつもの行きつけの天麩羅屋さんに二人で外食しにいく予定でもありました。

ごくごく普通の生活を送っていたのです。

昨日の国立循環器病研究センターでの緊急手術後にNCUに入院となると日常生活から乖離します。残された物たちの多さ。近親者が近くに住んでいないとなるとどうなるんでしょう?更には近親者などなく完全なる独居老人だったらどうなるんでしょう?想像すると怖くなります。母親は賃貸物件ではなくてローンも残っていない保有資産である自分のマンション暮らしでしたからマンション維持費とインフラ基本料金の支払いだけで済みましたがそうでないケースのことを考えると肌が寒くなります。

当分の間は当該病院入院となり今後リハビリテーションに移行することになるので自宅に残された腐りそうなもの、冷蔵庫内の生鮮食品や常備菜の類いなどを整理する必要があります。

・コッペパン ・ピオーネ ・ポテトサラダ
・揚げる前のパン粉衣付けまでされた和牛ヘレ(カツレツ用)

これだけ処分すればあとはじっくりと対応できるだろうと判断する。

持って帰ったコッペパンにチェダースライスチーズを挟んでピオーネを横に添えて朝食とし、パン粉衣付けされた和牛ヘレはパン粉自体が2日経って湿気てカラリと揚がりそうもなかったのでパン粉を二度付けして自宅にあった長芋とオクラを一緒に揚げ物とし、横にポテトサラダを添えて晩餐とする。

本来なら点滴カニューレなどで栄養を摂らずにこの和牛ヘレカツレツを頬張っていたはずである。そう思うと泣けてきました。未だに麻酔から覚醒せずに虚ろ虚ろと生と死の間でどっちに行こうかこっちに行こうかよたよたした足取りで彷徨ってるに違いありません。万が一にももしかしたらこれが母親の作った最後のご飯となるかもしれない。勝手に残された者が妄想してるにすぎないのに残された物が残された者へ伝えるメッセージの力強さを垣間見ます。

ポテトサラダはポテトの甘みが存分に活かされてポテト好きの母親らしい味つけだなとしみじみしました。

食品類は当面問題ないとして他の課題点が浮き彫りになります。

・郵便ボックスの暗証番号がわからない
・金融資産、生命保険、株式証券、ファンド類の管理
・日常生活での他者とのつながり

いかに日常で大事なことを語り合っていないかが判明します。
当の本人が言下に明確としていたとしても聞かされている方が明確に受け取っていないと不明確な情報と化してしまう典型的な例です。呆れるほどに危機感がありません。まぁ聞いてなかったとしても死ぬわけじゃないので逼迫感がないというのが幸せな日常という言い方もできます。

でも今回は教訓になりました。

人間、倒れてからではなにごとも遅い、ということです。

何事も恣意的に。計画的に。


  


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