霊魂の持つ情の働きが数学の文化形態を生む
日々を生きる中で、片や霊魂の世界という極めて体感的な領域に携わりながら、片や数学の世界という極めて抽象的な領域に携わっており、明らかに両極へと触れている。
両者を結び付ける鍵は「情」にある。
常識的には、数学は純粋な知的体系としか思えないが、その奥底を突き抜けて考えていくと、情の流動的な働きが数学を支えていることが次第に了解されてくる。そして、情の働きとは紛れもなく、霊魂の持つ力(同調作用)に他ならない。その力の連鎖の重なりが文化形態に変容する。
霊魂の世界は、認知度の観点および理解の難しさにより誤解や勘違いが生まれやすく、ゆえに説明もしにくい。
けれど、対極に位置する数学の世界から風穴を開けて両者が開通するようになったら、状況は変わってくるのではないかとも思っている。
両者の溝を埋めること。おそらく、人類が次のステージに進むとしたら、それが必須なのではないかと思う。
感性は大切だ。しかし、感性を変革する知性の獲得なしには、個々の感性は向上しても人類が全体として感性を向上させるには難しい。感性の共同体が成立しうる場としての文化の母体を産むには、知性の助けを借りる必要がある。
そうした研究を進める際にはいつも、大宇宙大和楽を心に据えている。大宇宙の大念願は大和楽である、という意味の言葉である。
時には、他の意見や理論を批判することもあるだろうが、それは対立を生んでみずからの優位性を示すためであってはならず、調和を生むことでより大きなものへと包摂することを目指さなければならない。
かのポアンカレも「数学の本体は調和の精神である」と言ったように、目指す先は常に大和楽である。
大宇宙は大和楽を望んでいる。その大念願に応えるような数学をやってみたい。岡潔が「私の数学は”願い”の数学である」と言ったバトンをこの手に受け取りたいと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?