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寄稿者&作品紹介31木村重樹さん

2016年に開設したWeb上の《note版ウィッチンケア文庫》。現在20作品を掲載していますが、いつのころからか(数人抜きで)全期間アクセスのトップに躍り出て、以後、そのまま走り続けているのは、木村重樹さんが小誌第2号にご寄稿くださった〈私が通り過ぎていった〝お店〟たち〉。...たしかに、初出から10年が経ち、そこに書き残された諸々がより「貴重な証言」になったようにも思える──でも「ちょっと、何言ってんだかわからない」とZ世代からサンドウィッチマン・富澤的な反応をされるかもわかんないし〜──わけでして、ええと、今号での木村さんの寄稿作〈生涯2枚目と3枚目に買ったレコード・アルバムについて──キッス讃〉は、〈私が通り過ぎて〜〉でも語られていたロックバンド・KISSについての、愛情溢れまくりな評論(←エッセイ、かも)です。私的には、〝ロック語り〟的に書いたらウン万字いけちゃいそうですが、ここは冷静に、内容のご紹介だけ(コロナ禍が治まったら〝リアル〟で、とことんw)。

洋楽に目覚め、1975年に初めてLP盤(『スージー・クアトロ・ストーリー 永遠のゴールデン・ヒッツ』/戸越銀座の〝街のレコード屋〟にて)を購入した木村さん。次に夢中になったのがKISSだったのは何故? 作中では〝なぜそこまでキッスに夢中だったのかと問われると、正直「よく覚えていない」のである〟としつつも、当時の記憶を辿りながら、このバンドの魅力(と裏話)について語ります。私は最初のLPが親に買わせた「CBS SONY 3周年記念 ギフト・パック・シリーズ『サイモンとガーファンクル』(限定版〈2枚組〉¥3,000 ●'72年度版アーティス・トカレンダー付)」で次は「栄光のシカゴ」、ロックのライヴ盤だと当時新宿高校の従兄弟の家から持ってきちゃった(まだ返してないw)「Chicago at Carnegie Hall」が初体験だったりするので、いやぁ、この頃の《初期設定》が後々の音楽傾向に大きな影響を与えているのだと思います。私はけっきょく「ロックも好き」な軟弱軽音楽好きになりました。

木村さんの寄稿作がきっかけとなり、私もKISSを聞くようになりました。じつは、高校生のとき町田バスセンターにあった新星堂で「地獄の狂獣 キッス・アライブ」を店内立ち聞きして以来、ラジオくらいでしか聞いたことなかったのです。なんというか、あのプロレス的な禍々しいルックスと「聞きやすい普通のロック」っぽい曲調にピンとこなくって。...でももう余生もあまり長くはなさそうなので、食わず嫌いは改めます。

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 熱狂のピークは、レコードC面に収録された「100,000 Years」だ。曲の途中、ピーター・クリスのドラムソロに割り入るように、フロントマンのポール・スタンレーが観客とのコール&レスポンスを10分近く展開する。まるでミサの司祭のように……[*1]。
 ライブ盤を購入し、初めてこの曲を聴いた自分は、興奮のあまり鼻血を出したくらいだった(今でもライナノーツに鼻血の跡が残されているから、これは思い違いではない)。生のライブの熱狂をパッケージングすることに成功した同アルバムは、それまでのキッスのレコード・セールス不調を帳消しにする、全米チャート9位にまで登りつめた。

〜ウィッチンケア第11号〈生涯2枚目と3枚目に買ったレコード・アルバムについて──キッス讃〉(P190〜P195)より引用〜

木村重樹さん小誌バックナンバー掲載作品:〈私が通り過ぎていった〝お店〟たち〉(第2号&《note版ウィッチンケア文庫》)/〈更新期の〝オルタナ〟〉(第3号)/〈マジカル・プリンテッド・マター 、あるいは、70年代から覗く 「未来のミュージアム」〉(第4号)/〈ピーター・ガブリエルの「雑誌みたいなアルバム」4枚:雑感〉(第5号)/〈40年後の〝家出娘たち〟〉(第6号)/〈映画の中の〝ここではないどこか〟[悪場所篇]〉(第7号)/〈瀕死のサブカルチャー、あるいは「モテとおじさんとサブカル」〉(第8号)/〈古本と文庫本と、そして「精神世界の本」をめぐるノスタルジー〉(第9号)/〈昭和の板橋の「シェアハウス」では〉(第10号)

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