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秋は、夕ぐれ。
夕日のさして、山のはいと近うなりたるに、烏(からす)の、寝どころへ行くとて、三つ四つ、二つ、三つなど、飛びいそぐさへ、あはれなり。
まいて、雁(かり)などの列(つら)ねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。
日入りはてて、風の音(おと)、虫の音(ね)など、はたいふべきにあらず。    

清少納言 『枕草子』の冒頭より

秋は、夕暮れ(がいい)。
夕日が(はなやかに)映えて、山の端にぐっと近づいたころに、烏が、巣に帰ろうとして、三羽四羽、二羽、三羽と、飛び急いでいる様子までも、心がひかれる。
まして、かりなどが列をつくって飛んでいる様子が、とても小さく見えるのは、たいそうおもむきがある。
日が沈んでしまって、(聞こえてくる)風の音や、虫の音なども、また言うまでもない。

https://shingakunet.com/journal/exam/20170327212914/より現代語訳


秋になると東京芸術大学作曲科では歌曲演奏審査が行われていた。

東京芸術大学作曲科は当時、芸大アカデミズムと呼ばれた仕事量が多く音符の数が多い「黒い譜面」で汎調性が推奨されていた(調性と無調の間ぐらい)
音符をたくさん書く訓練になる反面、一般の音楽とあまり関係がなく。曲は楽器の音色の総和で、どれも同じに聴こえる現象が起こる。


この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません?!


ある学生は、
田村隆一の「詩集1999」 の詩にのせて歌曲を書いた。手作業で書いた後、楽譜制作ソフトのプラグインで音列を抜き出して前奏後奏にしたり、ベルクの「抒情組曲」の総音程音列を用いたり、DNAを模した完全4度協和音程の組み替えによる12音技法を用いて、


歌曲演奏審査のために
”全音符と二分音符”のピアノ伴奏からなる
「白い譜面」を頑張って書き上げた。


「さよなら 遺伝子と電子工学だけを残したままの人間の世紀末――1999。」田村隆一「詩集1999」より


K先生が、その学生の発表曲の表紙をめくった途端(舌打ち)、そして振り返って。


K先生「君、音が漏れてくるからドア閉めてきて」

(( 譜面が白いぞ〜 ))(心の声)


学生「了解です!」 (( 笑 )) 



Mさんは不可をつけるし、近藤譲さんは抗議したそうだし。


しっちゃか、めっちゃか

温情かわからないが、他の先生は良い点をつけてくれたそうなので進級はできた。

すったもんだの末、教官室でハイフン( - )とアンダーバー( _ )の区別がつかない助手とメールアドレス登録の手続き後。


振り返ったら夏田昌和さんがいて、優しく微笑みかけられたのは彼の記憶に残っている。

4年次に行われた時代もあったそうだが、卒業記念の度胸試しをして5年生になる者が後を絶たず2〜3年次に変更に。(現在は3年次)

詞の語尾に「なのだ〜」をつけ、例えば「の○は○かな○だ〜」という作詞作曲自演を行い、先生に譜面を垂直に投げ捨てられた学生や、川島素晴さんVS.松村禎三先生は伝説となっていた。

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冬に続く

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