ウーレイと飛び去った鳩

息子のウーレイを公園に連れて行った。外を歩かせたのである。地面に下ろすと、数秒躊躇した後、よたよたと歩きはじめた。案外受け入れるのが早かった。

それはいいのだが、とにかく歩みを止めない。ずっと地面の感触を確かめながら、無言でぐるぐるうろうろしている。何かを確かめようと必死なのである。

10分以上歩き続けているので、休憩させようと持ち上げるが、潔癖な猫のように体をよじらせ腕から脱出しようとしてくる。世界に対する認識のすり合わせが済んでいないのだ。仕方なくその場で水だけ飲ませ、好きなようにさせておく。結局、30分くらい歩き続けた。おそらくぼくの一週間分の歩行に匹敵する距離だ。

汗をかきまくっていたので、強制的に中断したのであるが、やはり暴れてかなわない。どうにか父の権威を振るい、手洗い場まで連れて行こうとする。釣り上げた鯉のように腕のなかで跳ね回る。

と、目の前にバサバサと鳩が舞い降りた。ウーレイの意識は完全にそちらに持って行かれ、動きが止まる。鳩から視線を外さないので、そっちに近寄ってみる。いかにも鳩らしく、気まずそうな様子で何歩か歩いたあと、やっぱりバサバサ飛び立った。ウーレイは何が楽しいのかゲヘゲへ笑っている。ともあれ、鳩の到来と立ち去りによって彼の不機嫌は解消されたわけである。

世界は小さく、しかし偶然に対して開けている。子育てをめぐる困難と発見の多くは、「そんなことで」と「そんなもんか」が、ぼくたちの生を覆っていることに起因している。

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